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マルチリンガルが語る~広八幡神社(和歌山県広川町)~
こんばんは、しょうごです!
また久々に、マルチリンガルが語る~シリーズです^^
では行ってみましょう^^
駅員さん「乗られますか?」
僕「はい、乗ります」
1月30日(土)の午前7:54、JR天王寺駅にて。紀南(和歌山県南部)へ向かう特急列車にぎりぎり間に合い、僕は慌てて指定席の5号車辺りに乗り込みました。そこから車中を歩いて前に進み、自由席に移動しました。
まずは特急列車で海南駅に向かい、そこから鈍行列車に乗り換え、午前9時31分、JR湯浅駅に到着したのでした。
当初、最初の目的地に考えていた稲村の火の館 (濱口梧陵記念館/津波防災教育センター)はAM10:00オープンのため、先に広八幡神社へ行くことにしました。
この日は終日歩くだろうと考え、駅前に2台しかないタクシーのうち、駅舎に近い方に乗り込み、ものの数分で広八幡神社に到着しました。
広八幡神社とは、稲村の火で有名な濱口梧陵(1820-1885)が1854年、現在の広川町で津波が発生した時に、住民を避難させた場所です。海岸線からはずいぶん遠い場所(約2㎞)にあるので、避難場所としては良い場所だったのだろうなと想像しました。
境内では、何人かの男性が、厄払いをしていました。それを横目に、境内北の方にある石碑へと、僕は足を進めました。
目の前に飛び込んできた大きな石碑の前には柵があり、その前に説明書きがありました。
濱口梧陵の息子が、人づてに幕末の偉人、勝海舟に頼み書いてもらったという、梧陵の人生を振り返る文章がそこに刻まれていました。
勝海舟が若い頃、悟陵は経済的に支援をしていたこともあり、二人の友情は梧陵がニューヨークで客死するまで続いたという背景がこの石碑にはあります。
石碑に書かれている新約という地名は、どこのことを指すのか分かりますか?と、突然のクイズも出題されました(笑)。僕は答えを知っていましたが、中国語で纽约と書き、2文字目が同じなので、ニューヨークだと分かりましたと答えました。神主さんも感心なさっているようでした。
そこから再び境内に足を進めると、厄払いの儀式を終えた神主さんが話しかけてくれました。
濱口梧陵さんの関係で来させてもらいましたなどと話していると、神主さんもちょうど時間が出来たからか、僕を先ほど見た石碑(梧陵濱口君碑)に誘いました。
神主さんのお話は、僕にとっては本やネットで得た情報と重複する部分もありましたが、2015年に11月5日が世界津波デーと認定される前のいきさつなどを当事者の一人として語って下さった内容は興味深かったです。
※世界津波デー登録のための前振りとして、2003年に稲むらの火祭りが始まったそうな。国政を担う二階氏や世耕氏が来るとかで、和歌山県知事も参加しないわけにはいかなくなったとか。
またその後、社務所においても様々な説明をして下さり、パンフレットを頂きました。
印象深かったのは、コロナも注意しないといけないが、それで行事を止めることは出来ない、絶対に負けてはならないという神主さんのお言葉でした。
また、広八幡神社や濱口梧陵の功績などについて、大阪や日本、世界にアピールして欲しいとも仰っていました。
そういうつもりも含め僕も足を運んでいるのですが、神主さんのお言葉が僕にこのブログを書かせていることは間違いありません。
丁重にお礼を述べ、その場を去ろうとしたのですが、ふと目に入ったお札を購入することにしました。他に人はおらず、再び神主さんに声をおかけし、購入したのでした。
そこからは、またゆっくり稲村の火の館へ歩いていきました。
これが広八幡神社を訪問した際の一連のお話ですが、濱口梧陵の人生については、後日マルチリンガルが語る~濱口梧陵~をぜひお楽しみにしていて下さい。
おわり
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