マルチリンガルが語る~不惑~
こんばんは、しょうごです^^
20歳の頃、自分に変化をもたらした一つの気付きがありました。
それは、
「自分には何の才能もない」
というものです。
その頃、僕はダンスを始めて2年、中国語学習も2年位でした。
なぜそう思ったのか、きっかけは思い出せませんが、たぶんダンスをやっていてそう考えたのでしょう。僕はその残念な事実に気づいてしまいました(笑) 結局は、気付いてよかったのですが。
※あと、実際はその後に、幾つかの自分の才能を発見しました。
結果、僕のような非才の人間は、何か自分がやりたいことを繰り返すしかない、訓練の量で才能のなさをカバーするしかないと考えるようになりました。
この気付きがあったせいか、その後20年間、読書/ダンス/中国語は、継続出来ています。英語も10年以上続けています。そしてその継続が僕の人生に様々な出会いや豊かさをもたらしてくれました。
さて、本題の不惑について。
「論語」為政の「四十にして惑わず」から、不惑とは40歳の異称です。
このブログを書いている人間(僕)が、40歳のおっちゃんだと知ったら、若者が多いnoteでは、やはり読者が減るのかしら、などと思わなくもないですが(笑) 自己紹介に書いてるから良いか。
20年ぶりではないのですが、近頃また自分の意識に大きな変化が生まれました。
気付いたのです。
残念ながら、40年生きて今の現状なら、その程度の器だということに。
自分が夢に見たような大きなことが出来たか、本当に人様の役に立ってきたか、それらを達成していないことは自分自身がよく知っています。器に気付いてしまったのです。
20歳で特にとびぬけた才能は無いと気付いたものの、心のどこかで、やってやる・ぶちかましてやる、自分にはどえりゃーことが出来る(なぜか名古屋風)などという妄想が最近、数年前まで常に頭の中に存在していました。
しかしここ数年来、身の程というものを時折考えるようになり、近頃ようやく気付いたのが上述のことです。もしこの期間に、大きなライフイベントが一つ起きていれば、もっと早く大人に(笑)なれたと思います(←言い訳)
悲しい?けど、それが現実。
ただ、この気付きが、自分の謙虚さ不足を気付かせてくれました。
これからは残りの人生、一分一秒を噛みしめて、地に足の着いた生き方をしていこうと思います。そういうわけで、生まれ変わった(と自分では思っている)自分にまだ期待しています。
おわり
PS: 数か月ほど前、尊敬する友人に不惑の話をしたら、大昔の基準で現代人には当てはまらないというようなことを言っていました。
僕としては、人生50年だろうが、100年だろうが、特定の※ライフイベントはある時期にしか経験出来ないと考えています。だから年齢ごとにある程度の目安があるのは、理にかなっていると考えています。
※ライフイベント: 極端なことを言えば、10歳で結婚は出来ないし(法的にも・笑)、たいていの場合、70歳でブレイクダンスは出来ない、また80歳で子供は持てない(明治期に活躍した北畠道龍(男性)は、80歳になっても子供をもうけたらしいですが。。)というようなことを意味しています。
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