『庵野秀明展』に行ってきた
国立新美術館で開催中の『庵野秀明展』に行ってきた。
本展は庵野秀明の足跡を「庵野秀明を作ったもの」「庵野秀明が作ったもの」「これから庵野秀明が作るもの」の三部構成で辿れるようになっており、ひと言で言えば「庵野秀明記念博物館」といった様相を呈していた。
その一方で、作家としての庵野秀明とは基本的に一定の距離を置いたキュレーションとなっており、あくまで作品と設定資料を中心とした展示に留めている。
個人的にはより作家性に肉薄するような手稿や作品の企画書、つまり「庵野秀明が何を考えていたか」がわかる資料に期待していたが、こればかりは致し方無い。
庵野秀明という作家を、彼が関与し、関与された作品にフォーカスして追いかける事で戦後の代表的なサブカル文化を歴史的に整理する事ができるのは確かで、現在彼が進める諸々の活動を加味すればその意義は大きいと言わざるをえない。
とはいえ展示の節々から庵野秀明という作家の光と影を感じられるようになっており、その点キュレーションとしてのレベルは高い。
基本的には、古参ファンとしての楽しみ方としては「ああ懐かしい!」「こんなポスターがあったんだ」といったエモさを味わえる場所として、エヴァから入ったファンとしては「こんな作品があったんだ」と新しい発見をする場所として、十分に楽しい展示であったと言える。
以下、記憶に残ったものなどを中心にレビューしていく。
オタクに撮られるオタク「庵野秀明」
入場するとまず、庵野秀明の肖像画と彼が仮面ライダーのコスプレをした等身大POPが迎えてくれる。
「完全にギャグやんw」と思ってしまうのだが、真面目に彼の肖像を写真に収める人で溢れかえっており、ちょっとこの会場のテンションについて行けるか不安になった。
私としては「こいつこんなふざけた事してる!」「肖像画とかw」といったオタク仲間のおふざけを笑うセクションかと思ったのだが、ごく真面目に一眼で撮影する人も相当数おり、庵野秀明教でも誕生したかのような勢いで面食らう。
庵野秀明の実家のミシンの展示の後は、「原点、そして呪縛」といったタイトルで彼が幼少期から親しんできたコンテンツにまつわる展示が所狭しと並び、完全に昭和の世界にトリップする。
展示作品は確かに庵野に大きな影響を与えたであろう作品や関係資料がずらっと並んでいる。例えば写真の『宇宙大戦争』は『シン・ゴジラ』のヤシオリ作戦時のテーマソングの原典となっている。
円谷系の特撮映画からウルトラマン、仮面ライダー、永井豪作品の当時の資料で満たされたこの空間は、庵野秀明もさぞかしオタク冥利に尽きるものだろう。
個人的に意外だったのは模型としては戦艦やバイク、宇宙船の展示が大多数を占める中、『サーキットの狼』に登場する風吹裕也が駆るロータス・ヨーロッパの存在だった。
確かにエヴァではミサトさんがアルピーヌに乗ったりしてはいるものの、庵野が車を好きだという話は特に聞いたことがなかったので新しい発見だった。
伝説の日本SF大会を肌で感じるダイコン・フィルム時代
庵野くん至福のオタク部屋を抜けると、彼が中学時代に描いた油絵の展示から始まる「庵野秀明が作ったもの」セクションに突入する。
(マットアロー1号カッコよすぎだろ!!)
このセクションでなんと言っても嬉しいのは、『帰ってきたウルトラマン』や歴代の『DAICON FILM』といった庵野たちの自主制作フィルムを100インチを超える大きなスクリーンで鑑賞できることである。
大きな画面で見ると庵野の画作りはこの時代でかなりの域に達していたことがわかる。特に『帰ってきたウルトラマン』は粗があるとはいえハッとさせられるような画面構成が多々あった。こんなに凄かったっけ。
そしてスクリーンの前に多くの人が集まってワイワイしている様子も、庵野らの作品が公開されて伝説と化した往年の日本SF大会について「こんな感じだったのかも知れない…!」とその片鱗を味わった気になれる。同時にこれほどの作品を作る事を予算的に可能にした岡田斗司夫の凄さも肌で感じる事ができる…!!
一方で、DAICON FILMといえば今までは知識量でマウントを取りたいオタクか業界人くらいしか知らなかった庵野秀明の出発点であった。故にその歴史が詳らかにされることについて、少し寂しい気持ちもしてしまうオタク(自分のことです)の居心地の悪さも少々感じつつ、それでも「う、これが…」とお宝を眺めるような気持ちで原画などを楽しんだ。
作品の展示以外にも、DAICONの余波がいかに凄かったかを今に伝える資料や、DAICONを契機に庵野が師事した板野との関係性を窺うことのできるインタビュー記事なども展示されており、当時の雰囲気をそれとなく知ることができる。
油が乗り切ったGAINAX初期作品
ダイコンフィルムのメンバーがGAINAXを設立し、王立宇宙軍、トップをねらえ!、ナディアなどに繋がっていく展示内容は、展示スペースこそそこまでキャパを割かれていたわけではなかったが、非常に濃い!お宝感が満載のエリアである。
ガンバスター!!!!ああ最高かよ!
トップをねらえ!の販促ポスター。予告漫画では本編には全く登場しない「パパはこんな奴に殺されちゃったの!?(ドォ〜〜ン)」というシーンが面白い。庵野くんの予告詐欺の起源はこのポスターかもしれない。それにしても当初、ノリコが青髪でお姉さまが茶髪だったのか。
また、この時期の展示作品にはどことなく生気がみなぎっており、庵野秀明自身からもはつらつとしたエネルギーのようなものを感じる。
「やあ、みんな!」とか「次はいよいよパソゲーだ!!来春、出るぞ!」とか、これほどまでに浮き足立っている庵野くんを、実際のところエヴァ世代である僕は知らないのである。この後のことはよく知っているだけに、傷ましさまで感じてしまう。
エヴァ、そして庵野秀明を支える人びと
エヴァの展示は混雑していたことと、設定資料の展示が中心だったことから家でゆっくり図録で見ればいいやと割と適当に見て回る。
しかし、ウッと胸に来てしまったのは旧劇場版シリーズのポスターとそのコンポジションである。
どんどん庵野くんのメンタルが悪くなっていき、行くところまで行ってしまった感が半端ない……ひたすらに「可哀想に」という感想しか湧いてこない…。
『彼氏彼女の事情』を最後に一旦アニメを離れる庵野は『キューティーハニー』『ラブ&ポップ』『式日』『流星課長』などかなりアヴァンギャルドな刺々しい実写作品の制作にとりかかる。
この時代の展示資料は手稿や企画書なども多く、その筆跡や内容からもかなり切迫した状態であったことを窺い知ることができる。
こうした痛々しい状況に対して、庵野に手を差し伸べた人々の存在があることを本展は示唆している。
それは庵野が部分的に参加した樋口真嗣の『ローレライ』や『日本沈没』、安野モヨ子原作の『シュガシュガルーン』、三鷹のジブリ森美術館の『空想の機械たちの中の破壊の発明』などである。
樋口真嗣はGAINAXの初期から庵野を支え、『ふしぎの海のナディア』でも庵野が監督不行届状態に陥った23話〜39話の監督を務め、その後も常に女房役のように庵野の作品を支えているし、安野モヨコに関しては言及するまでもないだろう。
宮崎駿も『新劇場版エヴァンゲリヲンQ』で精神崩壊した庵野を『風立ちぬ』で声優としてキャスティングし、それが「アニメに対するしがみつき効果になった」と庵野自身も語っているように、やはり常に庵野を気遣っていたのだろう。宮崎がTV放映されたエヴァを見て庵野を心配し、電話をかけたエピソードはあまりにも有名である。
こうした取り巻きの人びとは、庵野秀明という人間は何かを作ることでしか治癒できないことも十分に知悉している最大の理解者だったんだろうなと思う。
実際、この展示エリアだけは時系列の展示ではなく、庵野がエヴァの合間に作ったもの、制作に参加した作品の展示が『シン・ゴジラ』を含め多岐にわたり紹介されている。
新劇場版と「シン・シリーズ」へ
新劇場版の展示に関しては、やはりこれも混雑していたので図録でいいだろうと流し見にとどまったがプリヴィズのアングル選定サムネイル集の山には目を見張った。
今回、新しい画を探す目的で導入されたプリヴィズだが、ここには明らかにアニメーションと身体、つまり虚構と現実の関係が導入されている上に、単純に大量に切り取り可能なアングルを同時に精査していくのは人間わざではない。
どれだけ脳内レンダリングが必要になるんだ…正直プリヴィズパートの演出、絵造りがどこまで成功しているのか現時点で私は判断する術を持たないが、途方に暮れる作業であったことをこの山づみの資料が雄弁に物語っている。
高畑勲展でかぐや姫が走り抜けるシーンの作画の展示を見た時も、これはアニメーター死ぬわと思ったが…。
『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』に関しては割愛するが、最後にエヴァを除く全ての「シン・シリーズ」の特大フィギュアが展示されていた。
ここにエヴァのそれが置かれていないことについて、少々意味深に感じてしまうのは私だけだろうか。
個人的に、庵野君は最終的にもう一回エヴァを作るのではないかと思っている。