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僕が尊敬する親友の話

こんにちは。今回は僕の最も尊敬する人物の話をしたいと思います。
人は付き合う人間によって人生が変わると言いますが、まさに僕の人生を変えたのは幼馴染の鈴木達也です。彼がいたからこそ僕は人間的にもサッカープレイヤーとしても成長できたと思っています。

 僕と彼の出会いは小学2年生の時、少年団FC高坂というサッカークラブです。
僕が入団する前から彼はそこに所属していましたが、初めて彼を見た印象は" 凄い奴がいる"でした。彼はとても足が速かったからです。当時僕は小学生ながら自分より足が速い人を見たことがなかったのでとても驚いたのを覚えています。鬼ごっごをしてもすぐに後ろから追いつかれたというショックが今でも鮮明に覚えています。同じサッカーチームでしたが、学区の関係で別の小学校に通っていました。彼はサッカーが一番上手いおまけに勉強もできる人でした。
 僕達は共に横須賀市の選抜に選ばれたため、自然と一緒にいる時間が増えました。その後、小学5年生から共にマリノスのスクールに通いました。彼はその実力を買われ6年生になる前にマリノスの下部組織のチームに移籍する事になりました。その為、彼と会うのは週に1回の横須賀選抜だけになりました。同じ地元のサッカークラブで切磋琢磨していたライバルであり強力な味方がいなくなってしまって寂しかったのを覚えています。

 中学は同じ学校に通うことになりました。その頃には僕もマリノスのジュニアユースに入る事になったので、学校でもサッカーでもほとんどの時間を共に過ごしました。
 以前から知ってはいましたが、やはり彼はとても賢く、テストでは毎回クラスのトップクラスでした。サッカーの練習がおわって帰宅する頃には22時半頃になるのにも関わらず、彼はそれから勉強をしていたようです。練習後に勉強をするというのは本当に凄いことです。僕はサッカーでも勉強でも彼には敵わないと思っていました。その上、彼は性格がとても良く、怒り狂っている姿を見たことがありません。

 高校生からは別々の道を歩む事になりました。彼は県立横須賀高校という横須賀で一番賢い学校に受験で入りました。そしてサッカーはマリノスユースに昇格しました。一方僕は、成績はオール3ほどでしたがサッカー推薦で進学校の桐蔭学園に入学しました。僕は基本的に勉強が嫌いで自ら進んではできませんでしたが、オール3ほどの成績をなんとか保つことができたのは、勉強を頑張る彼に影響されたからだと思います。
 高校では3年生の時に神奈川県の選抜で一緒にプレーをしたり、対戦相手として会ったりしました。彼はマリノスユースで日本一になりましたが、変わらず頭も良くとても優秀でまさに絵に描いたようなエリートでした。

( 因みに僕はピアノを習っていたためピアノを弾ける事を誇っていましたが、彼もまた同じようにピアノが弾けました。何をとっても勝てない人でした。)

彼は勉強ができたので高校卒業後にプロになることは最初から考えておらず、筑波大学にサッカー推薦で進学しました。結果的にサッカー推薦でしたが、どこの大学でも合格できる程に頭が良かったです。

 僕は桐蔭横浜大学という付属大学に入りました。大学の頃はたまに会ったりしていましたが頻度は高校よりも少なくなりました。
 大学も卒業すると彼は柏レイソルに入団しました。ここまでの経歴を聞いて彼を超す人は殆どいないと思います。サッカーがエリートなだけでなく、勉強もまたエリートだからです。
 彼の弱点は少し怪我が多かった事でした。怪我をした回数が目立って多い訳ではないですが、タイミングが悪かったのです。柏レイソル時代、当時日本代表だったオシム監督が彼を観に来るというちょうどその前日に怪我をしたと聞いたときは本当についてないと思いました。もちろんサッカー選手としては活躍しましたが本来の実力の半分ほどしか評価しかされていないと思います。
 競技サッカーをしていると本来の実力通りの評価を受けていない人や逆に本来の実力以上に評価されている人に出会います。「何が本来だ。それも含めて実力だ!」という人もいると思います。けれどそれは外側からの意見であって、プレーをしていれば上手さなんて分かるんです。サッカーは個人競技ではないですし、数字でも見えないですが分かるのです。たまに客観的に見れない人は例外として。

 僕の一番尊敬する人、鈴木達也の引退までの話を僕視点で勝手に書きました。振り返ってみると、やはり彼が近くにいたからこそ僕はまともに頑張ってこれたのだと思います。学生時代にずっと一緒に過ごした人間がさぼり癖のある不真面目な奴であったらおそらく僕も影響されてサッカーは辞めていただろうし、遊びほけていただろうとなと思います。それがダメな人生だとは言いませんが近くにいる人間で自分の人生はかなり変わると思います。鈴木達也という人間が近くにいた僕の人生は本当にラッキーでした。

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