【短編小説】サプライズ・ニンジャ人生
「私の人生って、サプライズ・ニンジャ人生なの」
「……?」
シノブの言葉をうまく理解できず、コウタは首をかしげた。休日のカフェは混雑しており、会話が混じり合い溶け合い、さざ波のような雑音を生んでいる。シノブの透き通った声はそうした雑音に邪魔されることなくコウタの耳に届いていた。けれどもその内容は雲のようにとらえがたい。
「サプライズ……ニンジャ?」
「そう、サプライズ・ニンジャ人生。つまり、何か楽しいこと、ワクワクしたことが起こったとしても、ニンジャが出てきて戦いを始めてしまうの」
「ニンジャが」
「そう。たとえば友だちと遊園地に行ったとするわよね」
「うん」
「そこでジェットコースターに乗って、おいしいアイスクリームを食べて、華やかなパレードを見て。すっごく楽しい気分になったとするわよね。そういうときにニンジャが現れて、着ぐるみを着て変装していた敵ニンジャと戦いはじめるの」
「なるほど」
「ほら、ニンジャの戦いってジェットコースターよりもワクワクするじゃない? だからそれまでの楽しい体験が吹き飛んで、全部ニンジャに上書きされちゃう。私の人生はいつもそうなの」
シノブは冷めたコーヒーをスプーンでかき混ぜ、ため息を吐いた。
「むなしくなるのよね。ああ、どんなに楽しいことをしようと思っても、絶対にニンジャにはかなわないんだって」
「…………」
コウタは無言で、自身の前に置かれた空のコーヒーカップに視線を落とした。カップの底に残った黒くて小さな水たまりが端の方から乾こうとしている。
「君は見たことある? ニンジャの戦闘」
「うんまあ。数回くらいはね」
「だったら分かるでしょ? あれに比べたら、映画を観たって買い物したって、本を読んだってバーベキューをしたって、面白さがかすんじゃう」
「分かる気がする」
「やっぱりそうよね」
シノブはまたため息を吐いた。隣の席のカップルが席を立ち、すぐに店員が食器を下げてテーブルを拭く。入れ替わりに女性客が2人、流れるように席に滑り込んだ。
「……きっとこのデートもそうなると思う。私としてはとても残念なんだけど」
シノブは心の底から申し訳なさそうに言った。コウタは口を開きかけ、一旦閉じた。ニンジャの戦闘よりも面白いデートというのを、彼自身想像することができなかったから。
「……シノブさんの言うことは、多分正しい」
しばし迷ってから、コウタは言った。 隣の席の女性客2人組は、壁に貼られた「期間限定!」ポスター、生クリームのたっぷりのったケーキの写真を指さして、カロリーについての談義を開始していた。
「だってニンジャの戦闘っていうのは……」
けれど、コウタの言葉は最後まで続かなかった。ガシャンッ、という物音に反応して、シノブの視線がコウタから店の中央あたりに移動する。いや、シノブだけではない。そこに展開されていた奇妙な光景に、店中の視線が集まっていた。
客たちの視線の先では、2人の男が別々のテーブルに仁王立ちして向かい合っている。 テーブルマナーもへったくれもない。土足の2人は喧嘩を始める直前の野良猫よろしく、殺気をまとってにらみ合っているのだ。
そして2人は、黒い忍び装束を身にまとっていた。
「え……ニンジャ……?」
客の誰かがつぶやいた。声は店内の空気を震わして、現実を端的に伝達した。
その声が空気の中に溶けて消える頃……2人のニンジャは同時に跳んだ!
ガガンッ!!!
テーブルが椅子を巻き込んで倒れ、グラスやカップが砕けて舞い散る。コウタとシノブが床に伏せたときには、ニンジャの蹴りが空中で衝突していた。ニンジャは反動で跳び離れ、即座に手裏剣を放つ! 2人が巧みなステップでかわした手裏剣は壁を割り、飾られた洋書をずたずたに引き裂き、照明器具を粉砕する!
コウタは倒したテーブルを盾にしつつ、ちらちらと顔を出してニンジャの戦闘を見守った。隣ではシノブが子どものように目を輝かせ、今にも拳を突き上げて立ち上がりそうになりながら無邪気に観戦している。
なるほど、とコウタは納得した。
これがサプライズ・ニンジャ人生か。
戦闘は手裏剣の投げ合いから、再び肉弾戦へとシフトした。カフェの客たちは床に伏せ、悲鳴も上げられずに息をひそめている。一方のニンジャが他方を殴り飛ばす。不利と見たか、殴り飛ばされた方はそのまま間合いを切り、窓を割って外へ脱出した。もう1人のニンジャが即座に追いかける!
「やっぱり今回もそうだった……!」
2人のニンジャの姿が窓の外に消えるや否や、シノブは興奮気味に立ち上がった。他の客たちもコウタも、まだ立ち上がることができずにいる。
「君とのデートも楽しかったんだけど……やっぱりニンジャの戦いの方が面白かった……! それじゃあさよなら!」
言うが早いか、シノブは割れた窓から飛び出していった。ガラスに引っかかってスカートが裂けたが、気にする様子はまるでない。彼女はニンジャたちが風のように去っていった方角へ、同じく風のように駆けていった。
カフェの床には、砕けた食器やテーブルの破片が台風のあとの海岸のように散乱していた。残された客たちがおそるおそる立ち上がる。コウタはしばし床に伏せたまま、割れた窓をじっと見つめていた。
「サプライズ・ニンジャ人生」
コウタはつぶやき、やがてゆっくりと立ち上がった。同時に、彼は小動物のように縮こまっている客たちの中に、スーツ姿の男が静かにたたずんでいるのを発見した。スーツの男はコウタをじっと見つめ、眼鏡をはずして床に捨てた。
「……やはり気づいていたか」と、コウタは男をにらみつける。
「一般人のフリをしていればやり過ごせると思ったか。俺の目はごまかせんぞ」
スーツ姿だったその男は、いつの間にか忍び装束に変わっていた。異変に気づいた客たちが悲鳴を上げ、一部はテーブルの陰に伏せ、残りは出入口に向かって殺到する。コウタは素早くポケットに手を入れると、一瞬にして両手に手裏剣をかまえた。
コウタは敵のニンジャと間合いをはかり……手裏剣を投擲! 敵は素早い横っ飛びでこれをかわすと、刀を抜いて襲いかかってきた! コウタは手裏剣を刀に持ち替えて応戦する。刃のぶつかり合いによって火花が散り、テーブルが真っ二つに断ち割られる。刀身が額をかすめ、痛みとともに血が飛び散る。
シノブの言った通りだ。
ニンジャの戦闘以上に心躍るものは、この世にない。
流れる鮮血で顔を濡らしながら。今まさに命のやり取りを行いながら。コウタは笑っていた。