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言語類型論は浅い?言語類型論とはどんな研究分野か。

本記事は,松浦年男先生が主催されているアドベントカレンダーの12月21日分として書いたものです。お声がけ頂いた松浦先生に心から感謝申し上げます。

背景

私は現在,ドイツのライプツィヒという都市で言語学を研究している。ひとえに言語学といっても,その範囲はとても広く,私が実際に専門としているのは,あくまで「言語類型論」という言語学の一つの下位分野である。

本記事の執筆をお誘いいただいたのは,北海道大学で行われた日本言語学会第169回大会の初日,11月9日であった。私は,このアドベントカレンダーや(似たような意図を持つ?)言語学フェスなどの催しに参加したことがなかったのだが,「学会発表」や「論文執筆」で扱うには適さない考えや意見を共有する場として兼ねてから参加してみたいと思っていたので,二つ返事で書かせていただくことにした。

執筆を決めた時点では,「どんな記事を書こうか」と自分の中でいくつか候補を挙げていた。その候補の1つに現に本記事で取り扱う「言語類型論とはどんな研究分野かを紹介する」というのがあった。これはあくまで私の印象論でしかないが,単に「複数の言語を見たから」や「類型論で言われてることをある言語で調査したから」,この研究もあの研究も類型論ですよとするような単純化がしばしば見られるからである。これが決して悪いということではない。ただこのような単純化がきっかけで言語類型論が本来,目的としていることが忘れられ,誤ったご批判を受けるのも事実である。例えば,前述の日本言語学会の2日目に,フロアを歩いていると,「類型論っていうのは浅い!データを軽く見ている!」というような声がふと聞こえてきた。これは私が直接言われたことでもないので,私が同日に行った「通言語的視点から見た相対的場所表現の文法化」という研究発表が引き金になったのかは分からない。しかし,少なくともこのような意見を持つ人もいるのだなと肌で感じることができた。私自身は,どんな研究でも(個別的にも分野全体としても)批判はされるべきであると考えているため,このような批判を受けることは大変ありがたいことであると思っているのだが,同時にそのような批判はその研究をより発展させることに貢献するようなものであることが望ましいとも考えている。この場を借りて,言語類型論とはどんな研究分野かを説明すること,さらにそのような批判への返答を明文化しておくことは,これに対するさらなる批判を頂いたり,それに対するさらなる返答をしたり,という営みを通じて,より良いものへと発展していくための足掛かりになるのではないかと考えている。これこそが本記事の執筆動機である。

類型論とは?

類型論(学)(Typology) とは何も言語学に固有なものではない。Wikipedia によれば,心理学や考古学などにも類型論という分野が存在するそうだ。

それでは,そもそも(言語学に限らず)「類型論」とは何か?Wikipedia によれば,その答えは以下の通りである。

類型学(るいけいがく、類型論、型式学、タイポロジー、英語:typology)とは分類学、特に考古学や考現学などにおいて、物質をその特質・特性によって分類し、分類結果を考察すること、および、心理学や人間学の立場では、同様に人間行動を類型を用いて、その個人を全体的に把握しようとする方法論である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%9E%E5%9E%8B%E5%AD%A6#%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%82%84%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%A1%9E%E5%9E%8B%E5%AD%A6

つまり,類型論とは,ある特徴や特質に基づき「分類」することで「全体を把握」しようとすることである。

これは言語学(つまり言語類型論)でも例外ではない。事実,Croft (2007) では言語類型論を「言語の本質を明らかにする経験的な分析」としている(その他 Croft 2003: Ch.1; Cristofaro 2011; Haspelmath 2021 等を参照されたい)。

While empirical (observational or experimental) analyses of phenomena in a single language are to be strongly encouraged, one can only posit language universals empirically via broad crosslinguistic comparison. In this sense, typology is the empirical method for investigating the nature of language

(Croft 2007: 80)

この引用で着目されたいのは,2つの language である。前者は個別言語(つまり英語や日本語などの具体的な言語)について述べているのに対し,後者は人類言語を指している。この人類言語とは,人間がコミュニケーションのもしくは思考のツールとして(つまり言語として)持てるもの, 習得できるもの全体を意味する。したがって,これには,既に消滅してしまった言語やまだ見ぬ未知の言語だって含まれる(cf. Bickel 2014)。つまり,Wikipedia の類型論の定義と照らし合わせると,言語類型論とは

「ある特徴や特質に関して,個別言語を分類し,その結果,全体(人類言語)の本質を明らかにする」

学問である。

では,人類言語の本質を明らかにするとは具体的にどのようなことを意味するのか?これも既に上記の引用の中に見ることができる。language universals,つまり人類言語が持つ普遍性(一般性)の導出すること,さらに人類言語はそのような普遍性(一般性)をなぜ持つかということを解明することである。

このように人類言語の本質を明らかにすること(=普遍性を発見し,それを説明すること)は,言語をどのようなものと見做すかによって,様々な分野への貢献を想定することができる。例えば,言語とは,生物学的なものであると考えれば,このように人類言語の本質を明らかにすることは,言語という観点から人間そのものの本質を明らかにすることに貢献する可能性がある(人類言語は人間しか使えないと考えれば)。

これこそが言語類型論が元来,追求していることである。

言語類型論への批判とそれへの返答

前節では,言語類型論とはどのような学問で,どのようなことを目的としているかについて概説した。それを踏まえて,1節で触れた言語類型論への批判:「言語類型論は浅い/ データを軽く見ている」に関してお答えしたい。このような批判は,以下の3つの引用に見るように,以前からよくされるもので,これに対する反論も既にNichols (2007)やHaspelmath (To appear) などでされている。

It’s [Typology’s] allegiance to large samples and “superficial” generalizations is simply one of the consequences of casting the net wide and looking for differences in a quick and easy way: testing for possible placement of a negative marker should reveal more variation across two hundred languages than it would across ten. 

(Polinsky &Kluender 2007: 275)

Such research allows us to uncover subtle distinctions and fine details of grammar that often remain unnoticed in a coarse-grained approach to language typology.

(Polinsky 2011)

From the perspective of generative grammar, much typological analysis seems excessively surface-oriented.

(Roberts 2019:12)

さて,言語類型論はこれらの批判が述べるように「浅い」のであろうか?

多くの言語学者が研究対象とする個別言語(前節の2つの言語の区別を思い出されたい)という単位で見れば,確かに言語類型論での個別言語の取り扱いは浅いし,軽い。これは事実である。しかし,言語類型論の目的は,全体を把握すること,つまり人類言語の本質を明らかにすることであって,個別言語1つ 1つを「深く」取り扱うことは,むしろ言語類型論が目指すものと矛盾する。

仮に,生物の全体を把握したいとする。生物には,ヒトだけでなく,イヌやネコなども当然含まれるわけだが,いくらネコを深く研究したってそれは「生物」の全体を把握することを意味しない。例えば「生物の足の本数」という特徴について調べたいとき,ネコを見て,4本足なので「生物の足の本数」は4本ですと一般化できないのと同じである。

要するに,言語類型論において,ある言語(もしくはある語族や地域)を深く取り扱うことは,むしろその言語(や語族,地域)に偏重した,誤った一般化を招きかねないということである。したがって,言語類型論において大切なことは,全言語を統一的に扱うことで,いずれの個別言語にも偏ることのない,厳密な意味での人類言語の普遍性を見つけること,そしてそのような普遍性はなぜもたらされるのかということを解明することである。

つまり,「言語類型論は浅い」という批判は,ネコだけを見ていては,4本足以外の生物の存在を見逃す可能性があるにも関わらず,「もっとネコを見ろ!」と主張するようなものである。

言語(語族・地域)に固有な特徴と通言語的な特徴

前節で取り上げた批判を受ける要因の1つに,言語類型論研究は個別言語研究の成果に依拠していることを挙げられるかもしれない。

例えば,Mizuno (2024) では72言語をサンプルとして言語類型論研究を行っているが,それら言語の出典はすべて各言語の参照文法である。

そこで,ある言語の専門家は,言語類型論研究の中で提案された普遍性(一般性)を見て,「いやいやうちの言語はそんなに単純ではなく,もっと複雑なことがあるんだ」と思うかもしれない。

しかし,ここで重要なのは,2つの特徴の区別である。一方は言語(語族・地域)に固有な特徴,他方は通言語的な特徴である。前述のように,言語類型論は,人類言語の本質の解明を目指している以上,前者,つまり言語(語族・地域)に固有な特徴は敢えて捨象する必要がある(もちろん,同時になぜある特徴がある言語や地域に固有なのかと問うことも必要ではあるが)。

つまり,個別言語を深く研究することは必ずしも言語類型論研究に貢献するわけではない。なぜなら,個別言語の深い研究は,多くの場合,その言語に固有な特徴を明らかにするからである。

言語類型論の前提は,「全言語異なる」ということである。だからこそできるだけ多くの言語を調べようとする。したがって,「うちの言語は違う!」のような意見は,あって当たり前なのである。全言語,違うという前提のもとで人類言語に共通する普遍性(一般性)を導出しているのだから。

しかし,そのような言語(語族・地域)に固有に見える特徴が,実は通言語的特徴であるかもしれない。それを明らかにすることは,各個別言語の深い,丁寧な研究の蓄積によってのみ可能である。

つまり言語類型論では,個別言語的要素をいかに捨象し,人類言語の本質を見つけるかが重要なのに対して,個別言語研究は,その言語のある特徴は他の言語とどのように異なり,それはどのようなメカニズムで動いているかを解明することで言語類型論研究に貢献することができる。

まとめ

以上のように,言語類型論は多くの場合,個別言語研究とは異なることを目指している。したがって,各個別言語の単位で見れば,当然「浅い」研究ではあるが,それは2種類の「言語」と2種類の「特徴」の区別によって,ご理解いただけると考えている。

また,私個人の研究に関して言えば,自分が依拠した出典や例文などの情報をなるべく丁寧に公開することで,研究に興味を持った人がそれぞれの言語のより詳しい情報(つまり私の論文で得られることより深い情報)をご自身で確認できるようにしている。例えば,Mizuno (2024) では,サンプルとして使用した72言語の出典を本や論文のタイトルだけでなく,ページ番号まで記している。またMizuno (To appear) では,この論文で参照したほぼ全ての例文を参照することができるようにしている。

本記事が,言語類型論とはどんな学問で,どんなことを目指しているかということを少しでも明確にするものであること願って結びとしたい。

参考文献

  • Bickel, Balthasar. 2014. Linguistic diversity and universals. In: Enfield, N J; Kockelman, Paul; Sidnell, Jack. The Cambridge Handbook of Linguistic Anthropology, 101-124. Cambridge: Cambridge University Press. DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781139342872.006

  • Cristofaro, Sonia. 2011. Language universals and linguistic knowledge. In Jae Jung Song (ed.) The Oxford Handbook of Linguistic Typology, 227-250. Oxford: Oxford University Press.

  • Croft, William. 2003. Typology and universals. 2nd edition. Cambridge: Cambridge University Press.

  • Croft, William. 2007. Typology and linguistic theory in the past decade: A personal view. Linguistic Typology 11(1). 79-91. https://doi.org/10.1515/LINGTY.2007.007

  • Haspelmath, Martin. 2021. General linguistics must be based on universals (or nonconventional aspects of language). Theoretical Linguistics 47(1/2). 1-31. https://doi.org/10.1515/tl-2021-2002

  • Haspelmath, Martin. To appear. Breadth versus depth: Theoretical reasons for system-independent comparison of languages. In the Oxford Handbook of the Philosophy of Linguistics (to appear).

  • Mizuno, Shogo. 2024. Noun juxtaposition for predication, possession, and conjunction: Beyond ambiguity avoidance. Linguistic Typology at the Crossroads (to appear). 

  • Mizuno, Shogo. To appear. Noun Juxtaposition. In Haspelmath, Martin (ed.), CrossGram.Leipzig: Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology. (Available online at https://crossgram.clld.org/.)

  • Nichols, Johanna. 2007. What, if anything, is typology?. Linguistic Typology (11)1. 231-238. https://doi.org/10.1515/LINGTY.2007.017

  • Polinsky, Maria. 2011. Linguistic typology and formal grammar, In Jae Jung Song (ed.), The Oxford handbook of Linguistic Typology, 650-665. Oxford: Oxford University Press.

  • Polinsky, Maria and Kluender, Robert. 2007. Linguistic typology and theory construction: Common challenges ahead. Linguistic Typology 11(1). 273-283. https://doi.org/10.1515/LINGTY.2007.022

  • Roberts, Ian. 2019. Parameter Hierarchies and Universal Grammar. Oxford: Oxford University Press.


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