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私の家庭は……それはそれは凄惨なものです。「家」ではなく「家庭」というところから、今から話す内容など、多少は明らかになったでしょう。つまりは家庭内の人間関係が私の抱える悩みなのです、私と父、私と母、私と妹、私と祖父母、…私がいない間柄にも問題はあります。ですがそれは追々話します。本当に、どこから話したものでしょうか。
先生は、私のように悩んだ人間が通例、似通った血の流れる人間を求めて相談を持ちかけることをご存知でしょう。うわっつらでは自分の道が分からないと言っておいて、結局は誤りでも求める道を歩くことを後押ししてくれる人種を探すことを。忌憚なく、恐れを捨てて言いますが、私はまさに今、そんな気分です。先生は誰にだって優しくて、誰にだって厳しい、二面に於いて平等の持ち主(正直に言っています、これは飼い主とはまた違うのですよ)でいらっしゃるようにお見受けしました。教師という仕事に就くまでに、自分の人間性を味見した瞬間があったのだと思います。そのとき、ご自分が、まるで前年の月刊誌をゴミ箱に投げ入れるように、他人を簡単に切り捨てることのできない人間だと認識されたのではないでしょうか。私は自分の嗅覚を信じて今からお話しします。
幼児の頃の記憶は疎らです。昼下がりまで残ってしまって、夜の薫風を残した寂しげな朝露のように。最も古いのは、私が幼稚園の年少の頃のものです。そのとき私たちは、四人で鹿児島に住んでいました。父は営業という仕事柄、よく帰りが遅くなりましたのでいつも時間がありました。私たち三人は、暇を持て余すのが常でした。
わが子を一人家に置いてはおけない、という親なりの気遣いからでしょう、私はいつも母に買い物へと連れて行かれていました。無論、赤ん坊だった妹は言うまでもなくいっしょでした。
秋でした。夏特有の熱がなんとなく抜けないで過ごしていた私は、日の短さを感じ出していました。夜の虫は……どうでしたか。覚えていません。兎にも角にもああやって連れていかれる買い物が退屈で仕方ありませんでした。
母の運転は、今思えばどうも目が近かったのでしょう、遠くを見ていたのなら気づいたはずの停止場所に気づかず、一旦停止と、交差点と、横断歩道とで急かされるようにブレーキを踏んで車内の居心地が悪かったです。車にはどれも個々で特有の匂いがありますね。煙草を吸う人間がよく乗るならヤニの匂いがフロアを小走りしています。うちの車からはシートから沸き立つ乾いたような小綺麗な匂いがしていました。あの匂いと、車酔いとが頭の中で結びついてしまい、今ではあの車に乗るだけで軽い目眩を催す始末です。私はあの日、この病的な匂いの中で目を覚ましました。