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高校二年生になった彼を受け持つ渡辺は、数学の教師だった。渡辺は痩身の女性で、冬になると決まって薄手のベージュのカーディガンを羽織っている。その下のシャツは翠色で、淑やかな印象とカジュアルとが肉体を舞台に踊り惚けていた。
「どういう状況なのか話せる? 話せるところからでいいから。ここには他の先生が入って来ないようにお願いしてあるから、安心してくれればいいからね」
桜井の前には彼の担任である渡辺が座っていた。二人は彼らの他に誰もいない会議室の椅子で、向かい合って座っていたが、どこにも緊迫した様子がなかった。そこにあったのは寒さだった。
冬の寒空が窓から見え、当然のように冷気が漂う日で、校舎の廊下には至る所に灯油ストーブが煌々と燃えている。それでもひどく寒かった。三十路に差し掛かる手前の彼女は、手の甲から透ける青い血管をそのまま精神に宿したような生真面目さで知られていた。
倨傲の残り香の漂うのが高校生であり、それはむしろ倨傲の最も厄介な時期と言ってよい。怠慢を正当化する者もいれば、勤勉を見せびらかす者もいる。渡辺はどちらにも平等であることを好んでいた。そうした平等性が、全ての人の中で輝く瞬間があることを知っていたのだ。しかしこの日は寒かった。
彼女は出来る限り生徒の力になってやることが自分の仕事だと信じていた。生徒に日々の生活を記録させて、提出させていた。提出用紙には生活に加え、自由欄が設けられていた。多くの男子生徒はそこに巫山戯た愛の言葉を記していて、桜井もその一人だった。渡辺はそれらに優しい言葉を添えて生徒に返した。
桜井は、平素は明朗を繕い、色んな種類の生徒乃至教師と話せる高校生だった。それもこれも、彼のある種無鉄砲なところが構築した考えからだった。例えば反りの合わぬ朋輩には、反りの合わぬ拠無い要素がその中にあるはずで、それに触れ、理解することができたなら、彼は誰とでも親睦を深めることも同時に可能になるはずだと考えたのだ。これが無鉄砲と言わずしてなんと言うだろうか。北国で育った人間には、その気候に適応した身体が備わっている。彼らは乾燥した大気の中を生き抜くため、往々にして大きな鼻を持っている。そんな人間が南国で快適に過ごせるはずがないのだ。
先述の用紙の自由欄で事件は起きた。彼はそこに、愛の言葉ではなくこう書いた。『実は折り入って相談したいことがございます。お時間ある時で構いませんので、お願いできますか』、と。
渡辺の経験上、桜井のような生徒の実は明朗ではない。貧者一灯で人に優しくしているのとはわけが違う。誰にでもいい顔をするだけで、結局誰とも心を通わせることがない人だった。それは、他人が自分に興味を持つことを諦め切ってしまい心を塞いでいる、まるで油が水と極限まで接しても決して交わらぬ様だった。桜井は快活いながらにして、度せるような図々しさを持っていなかった。それがいよいよ己の危機を伝えるような大事なメッセージの口ぶりの余所余所しさに現れていた。
彼女はここに自分と桜井に似通ったところを見出していた。
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