彼岸〜ミャンマーで見た夕日を〜
今日はお彼岸の中日でした。
世間は三連休ですが、お寺に勤める僕はお経を読んだり、雅楽を演奏したり、納骨をしたり、、、
忙しくてバタバタしていましたが、最近は雅楽が好きです。
一生懸命演奏しているので、東京に来られた際は、ぜひ聴きにきてくださいね。
彼岸とは「彼(か)の岸」と書く。向こう側の世界、お浄土(仏の世界)のことです。
対して、私達が生きている世界は「此(こ)の岸」と書いて此岸(しがん)と言います。
仏の世界に対して、この世界のことを此岸、娑婆世界と言います。
春は春分の日、秋は秋分の日を中日として、前後3日間の1週間がお彼岸の期間です。
なぜこの春分の日と秋分の日がお彼岸なのか。
それは、この日、ちょうど太陽が真東から昇り、真西に沈むと言われているからです。
ずっと西の方角にある世界が、阿弥陀仏の世界、お浄土(西方浄土)です。
真西に沈む太陽。
その夕日を見ながら、遥か西の彼方にあるお浄土を想う。
そして、先立っていかれた方々、お浄土に生まれていった方々を想う。
この太陽が真西に沈む期間を私達は「お彼岸」と呼んで大切にしてきました。
SNSを見ていると、世間はあまりお彼岸のことを意識していないのかなって思っていましたが、今日僕が勤める東京のお寺は参拝者で溢れていました。
若い人たちも沢山参拝されていたな。
まだまだ大切にしていきたい日本の習慣の一つです。
夕日で思い出すのは、3年前にミャンマーのバガンという地域で見た夕日。
それは、つい先日ご往生された内藤和上と行った旅でした。
仕事の都合上、先生とは月に一度程、東京でお見かけしていたので、往生の報せを聞いた時は、ただただ言葉を失いました。
3年前、「ブッダロードツアー」と題して、ほとんど初対面の和上と共に行ったミャンマーの旅。
大阪からハノイ経由でヤンゴンへ行き、ミャンマー国内でも飛行機を乗り継ぎ、マンダレー、そしてバガンへ行きました。
バガンの遺跡群は世界三大仏教遺跡と呼ばれ、世界遺産登録もされました。
一つの村の人たちが人生の大半を費やして作り上げる仏塔(パゴダ)。
そのパゴダがバガンの地域には数千も林立しています。圧巻でした。
馬車で移動して、バガンのある場所へ行きました。
その場所とは、バガンで一番夕日が綺麗に見える場所でした。
沢山の人たちの想いが募ったパゴダ越しに見える夕日でした。
先生はその夕日を見ながら
「この方角にお浄土があるんだね」と言いました。
西の方角に阿弥陀仏の浄土があることは、もう何百回も聞いていたことでした。
だから、西の方角にお浄土がある、と言われても僕は驚くことはありません。
しかし、ミャンマーの夕日を見ながら、先生の言葉を聞いた時、改めて思ったのです。
「そうか、この方角にお浄土があるんだ」と。
心から頷けたのです。
それまでの僕は西方浄土というものを頭で理解していましたが、心で頷けていなかった。
なぜ勧学和上ほどの先生が、崇高な知識でもなく、難解な理解でもなく、
ただ「この方角にお浄土があるんだね」と仰ったのか。
それは、先生はまっすぐに、ひたむきに、お浄土という世界をいただいていたからなんじゃないかと、最近気がつきました。
そして僕もその時、ようやく「そうか、この方角にお浄土があるんだ」と頷くことが出来たのです。
命の終わりは、お別れではない。
死とは、お浄土へ生まれてゆくこと。
同じお浄土で、再びあえるということ。
今日は、その西方浄土に往かれた先生と、父を想う一日でした。
お勤めをして、納骨をする中で、沢山の方と掌を合わせた日でした。