モネ連作展の感想
※プラスの感想もマイナスの感想もあります。
先日、モネ-連作の情景-展に行ってきた。
私は以前から、好きな画家は誰かと聞かれる度に漠然と「モネかなあ。印象日の出、良いよね。」と答えていた。かなりミーハーです、すみません。
そもそも画家を多くは知らないのです。絵画全てが好きだ、というスタンスではいないので…。目について、印象的なものだけを追い求めたいタイプ。審美眼なんてゼロだし。これは私が特別そうなわけではなくて、同じタイプの人は多くいるんじゃないだろうか。
今回のモネ展では、淡い色使いのもの、ハッとするような眩いばかりの力がこもったものなど風景の一つ一つを切り取った美しい絵画がたくさん並べられていた。これは主観ではなく、客観的な話である。あくまで此度の展覧会は連作展なので、私のようなミーハーが知っているような作品はあまり多くはなかった。強いて言えば『昼食』や『睡蓮』(世間的に有名なあの『睡蓮』というよりも、その前身といった立ち位置にあるような絵画だった。)は知っていたくらいだ。
私ってモネのこと全然知らないんだなあ、と実感した。美味しいところだけ齧って生きてきたので、そりゃあそうではあるのだが。
少し話が逸れるのだが、私は昔のことを思い出す時にその記憶がよくセピア色に色付いている。それが、より新鮮で印象深い出来事になればなるほど、薔薇色に溢れんばかりの光できらきらした状態で思い返される。
モネの絵は、私の中では後者を彷彿とさせるのだ。あったかくて、やさしくて。心の柔らかい部分を遠慮がちに、それでいてしっかりとした手つきで撫でてくる。時には突いてきたりもする。ほろほろ泣けてきて、感動した。
今回の展示で見た全ての絵画にそういった感情を抱いたり情緒を覚えたりしたわけではない。しかし、一部の絵画を見ている時にそういった気持ちが湧き起こってきた。
私の思い出の記憶の琴線に触れたのがそれらの絵画であり、また私の琴線に触れなかった絵画は私以外の人たちの琴線に引っかかったのだろうなと思う。
とはいえ私の心に刺激を与えた絵画は少なかったから、割と今回の展示はスタスタ歩いて出てきてしまった。その分、ちょっとした物足りなさというものはあったけれど。しかし、得られたものは確かにあったので、よしとしようと思う。
ところで、展示のスタート地点に面白いものがあった。
床に蓮などが浮かぶ水面の映像が映してあり、その上を歩くとじゃぶじゃぶと音が聞こえてくる。また、その踏んだ部分の蓮の葉が本当に歩いたあとのように揺らいで、足にその振動がぶるぶると伝わってくるのだ。
小さい範囲だったが、割と楽しかった。
しかしこれには問題点がある。個人的には、これは入り口に置くべきではなかったのではないかと思う。
その映像技術をそこそこに楽しんだ後に本題の展示をいざみようと思うと、真横からじゃぶじゃぶうるさい音が止まらず聞こえてくるのだ。
自分がじゃぶじゃぶした時には何も思わなかったが、絵画を見始めた瞬間その音が耳に飛び込んで一気に気が散ってしまい、全然モネの世界に没入することができなかった。
人もその周辺に滞留してしまうし、それならまだ展示の出口あたりにそういったスペースを設ける方が良かったのではないかと思った。
淡くて朧げで、とても素敵な絵だった。
これを見ていると、ちょっとノスタルジーな気持ちになるなあと感じた。
ガツンと衝撃を受けたような絵画との出会いや、アツい感想を抱いたというようなことは今回は無かった。けれど、印象派ってそういうものなのだろうからそれで良いのだと思う。眩くて儚くて、消えてしまいそうなのに何故だか心のうちに印象深く残っている。美術の勉強なんてしていないし、美術史的なことは何も知らないけれど。少なくとも私はそう思う。
だから、行ってよかったなあとしみじみ思うのだった。