言葉が内蔵をつかんでくる!
「うーん。なにかないかなぁ」
モヤモヤした、どうしようもない空気の中で本を探した。
「なんや、詩集いっぱいあるなぁ」
ちょっと読みかけて、本棚につめ込んだままだ。
宮沢賢治、中原中也、谷川俊太郎、寺山修司、シェイクスピア、ランボーなど。
「全然、読んでないやん」
いつか読もうと思って買った。
「いつ読むんですか?」
「いまでしょ!」
と引っ張り出してきた。
パラパラとページをめくっていく。
「シェイクスピアでも、ランボーでも中原中也でもないなぁ」
やっぱり、いまでしょではなかった。
結局、なにを探しているのか?
「これか」
詩集を横において、手にとったのは
“自分の中に毒を持て”
岡本太郎の本だった。
私は心が弱ると、岡本太郎の絵を見に行った。
岡本太郎の絵は強烈に迫ってくる。
さらに言葉が私の内臓をつかんではなさない。
「面白いねぇ、実に。オレの人生は。
だって道がないんだ。眼の前にはいつも、
なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む
瞬間、瞬間があるだけ」
「人間は精神が拡がるときと、とじこもるときが必ずある。強烈にとじこもりがちな人ほど
逆にひろがるときがくる」
「この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、
力があるないとか、才能とか、金とか、
あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ」
「ぼくは口が裂けても、
アキラメロなどとは言わない」
モリモリと勇気がわいてきた!
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