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【恋愛日記⑥】恋の終わり、そして、新たな人生の始まり。

ボクはひとつ前の記事で「失恋したがもう少しだけ追いかけたい」と書きましたが、これ以上彼女を追いかけるのをやめることにしました。

今はただただ清々しい気持ちです。

この考えに至るまでに何があったのか、何を思ったのかはここには書きません。

恋したあの女性を花に例えるなら、、、

3ヵ月前に出会って恋をしたあの女性は、本当に素晴らしく、可憐な人でした。花で例えるならダリア。

大きくてきれいな花と、それを支える細い茎。綺麗な花であるがゆえに、その重さに耐えきれずに茎が折れてしまうのではないかといつも不安にさせる、不思議な力の持ち主。

ボクは必死になって頑張ったものの、実りませんでした。

振られた直後は煮え切らなかったものの、今は完全に納得できています。

後悔は、1ミリも残らなかった。

これは本当です。確かに不器用だったが、何とかしようと思って出来ることは全部やった。あの時こうしていれば、、、というのは全くない。

昨日、とある尊敬する人生の先輩と電話してこの恋のことを話した時に、思わず震えるような言葉を頂きました。

諦めた先に幸せがある

何でもやりきるから諦めて次に進んでいける。「自分には無理だ!」と気づいてこそ、絵空事を浮かべずに身の丈に合った恋愛をしていけるのだと思います。

自分には到底無理なんじゃないかと思えることに挑戦することの本当の価値は、「それを諦めることで、次に進んでいけること」なのではなかろうか。

挑戦せずに何も動かなかったら、諦めることが出来ない。羨み続けて、そのうち年老いて死んでいく。物理的に死ななくても、心は屍と化していくのだろう。

普通だから悩む、頑張ろうとする。

ボクがもしも長身イケメンでハーバード大学を卒業していたとしたら、こんなにも恋愛に悩むことは無いかもしれない。

ボクの家系にはひとりもイケメンはいないし、頭もそんなに良くない。

だからこそ、悩む。どうすれば上手くいくんだろうと必死に考える。

後天的に何か自分に魅力付け出来ないか、頑張って考える。自分には何も無いと気づいて、また頑張って考える。

ボクがこうやってnoteを執筆する本当の理由はそこにあるのかもしれない。普通な自分が嫌だ。これがオレの作品だ、これがオレの象徴だ、と言いたいんだ。何も持っていない自分から逃げたいんだ。怖くて怖くて、早く逃げたいんだ。

全てが上手くいく人生なんてツマラないだろう。だって、ボクは必死こいてぶつかって得た自分の経験の素晴らしさに気づいてしまったんだから。

この恋を経て、仕事に対するスタンスや対人関係の考え方も改善した。ちょっと無理っぽいことでも、やってみたいと思う気持ちを優先してやってみる。難しい仕事の担当に立候補する。話したい人に勇気を持って話しかけて、話を聞きたいと頼む。とにかく何でも、興味のあることに対して必死に力を注ぐ。

壁にぶつかって諦めて、また次の挑戦をして諦めて。その試行錯誤の先に、自分の居心地の良い場所が待っているんだろう。

1対1の関係性が人生を豊かにするんだと思う。

2月にコロナが発生してから、はや9ヶ月か。

ボクにとっての最大の学びは、1対1の関係性が人生を豊かにするということだ。

3年前に上京してきたときは、東京にひとりも友達がいなかった。ボクは必死に知り合いを作ろうとした。知り合いはたくさんできた。でも、不思議なことに、人生の足しになったことは殆ど無かった。

コロナ期間中は、密を避けないといけないこともあって、1対1で話す機会が増えた。親友と呼べる人もできた。会社の同期の数人と個人的に長時間話したりした。自ら勇気を持って話を聞きたいと持ちかけた結果、人生の師と呼べる人も何人かできた。

薄い関係性の友人や会社の同僚と飲み会していたコロナ前よりも、毎日が楽しい。楽しくて仕方ない。相手のことをよく理解して、自分のことを理解してもらって、感情を共感する。

いつもその人が近くにいなくても、何となく安心する。分かってくれている人がいるから大丈夫だ、と思える。

そしてこの「1対1の関係性が人生を豊かにする」という仮説は、この恋を通じて確証に変わった。

何故か?ボクがちゃんとひとりひとりを大事にしようと日々を過ごした結果、素敵な女性を紹介してもらえたんだと思う。

ボクが今回素敵な女性に出会うことが出来たのは、会社の同期である「ひとり」に、「きっとこの人なら、大切な友人を大切にしてくれるかもしれない」と思ってもらえたからじゃないかと思う。

なぜそう思ってもらえたかというと、その会社の同期のことを「ひとりの人間」として捉えて、大切にしたからだ。

すれ違ったらちゃんと声をかける。変化に気づいてあげて何となく伝える。たったそれだけでもいい。見かけたら、たった一瞬でいいから、何となくその人のことを考える。旅行のお土産を手渡ししてあげる。何かしてもらったら、ちゃんと顔を見て、恥ずかしがらずに感謝する。たったそれだけ、、、でも、積み重なれば大きな差を生む。

雑な会話しかしない「ヨッ友」に、誰が友人を紹介するだろうか?

自分が大切にされているから、友人も大切にされるのではないかと思ってくれるはずなのだ。

みんなの中のひとりじゃなくて、その人ひとり。

そうやって、一人ひとりをちゃんと大事にすることで、素敵な縁がまた巡ってくるんだと思う。

最近はマッチングアプリが流行っているようだが、個人的には否定派だ。

だって、既に、身近に素敵な縁は沢山転がっているじゃないか。

友人に自分の魅力を分かってもらおうとして、相手のことも分かろうとしてあげれば、その身の回りにいる素敵な人と会って恋人になれることだってあるんじゃないか。

ブスこそマッチングアプリなんか使っちゃダメだ。中身で勝負したいのなら、まずは身近にいる大切な人に魅力を伝えようよ。見た目で勝てないのにマッチングアプリを使っても、自信をなくすだけじゃない?使って良いのはイケメンと美女だけだ。

損得を考えすぎずに、純粋に相手を楽しませようとして日々を過ごせば、相手も自分を喜ばせようとしてくれるさ。それこそが豊かさ。

Facebookで何人友達がいようと、Instagramで何人がストーリーを見てくれたとしても、そんなの豊かさとは呼べないんじゃないかと最近思うんだ。

告白はあまりにも素晴らしい行為。

告白はあまりにも素晴らしい行為なんじゃないかと思う。誰も損しない。

相手のいいところを必死に考えて言語化して、目を見て伝える。これ以上に人としてカッコいいことってあるのかな。

しかも、その一言の告白が人生を変えるかもしれない。恋人ができて楽しい毎日が待っているかもしれないし、童貞を卒業できるかもしれないじゃん。振られてもいいさ。度胸を手に入れて、次の恋に進んでいけるじゃんか。何が足りなかったんだろうって必死に考えて、次の努力をするきっかけになるじゃん。

別に交際を申し込まなくても良い。まずは、良いと思ったことを言語化して相手に伝えよう。

誰だって褒められたら嬉しいし自信になるんだから、お互いにすればいいじゃない。

そして、本気の告白をしたいと思ったら、勇気を出してすべきだと思う。確かに苦しいし悩むけど、振り返ったらとてつもなく大きな経験だったことに気づけると思う。

応援ありがとうございました。

これまでにこのnoteを読んで頂いた皆さん、本当にありがとうございました。ここで一区切り。

また恋をすることがあったら、また書くかもだけど、、、いや、もう書かないかな。

いつか読み返して、ああこのときこんな馬鹿なこと考えてたのかwって笑いたいです。

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あお
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