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育児してる人は偉い
僕は普段から、いろいろな立場の人たちが抱える悩みや仕事について話を聞く機会がある。
でも、その中でも「育児ほど大変なものはないんじゃないか」と思うことが、ここ数年でますます増えてきた。
なぜなら、周囲を見渡してみても、子どもを育てながら日々を乗り切っている人たちが、あまりにも多くの苦労を抱えているからだ。
たとえば、赤ちゃんの頃。夜泣きでまとまった睡眠時間が取れない中、授乳やオムツ替えは待ってくれない。
お腹が空けばすぐに泣くし、ちょっとした物音や体調の変化でもまた泣く。
外出ひとつするだけでも、大量の荷物を用意して、時間を見計らって、天気や周囲の目まで気にしなきゃいけない。
もし一瞬でも手を離せば危険が及ぶかもしれないし、精神的にも常に緊張感が抜けない。
じゃあ、子どもが少し成長すれば楽になるかというと、決してそうでもない。
小学生になれば、学校の宿題を見てやったり、習い事の送り迎えをしたり、友達関係やSNSの使い方も気にかけないといけない。
中学生になれば部活動、受験、反抗期の始まり。高校生になっても進路の悩みは尽きないし、経済的な負担も増える。
つまり、どの段階を切り取っても別の苦労があって、気が抜けるタイミングなんてそうそう見当たらない。
しかも育児というのは、休みがほぼ存在しない。
たとえ親が体調を崩しても、「今日は休みます」なんていうわけにはいかない。
自分のことは後回しにしてでも、子どものことを優先しなければならない場面が山ほどある。
そこに家事や仕事、近所づきあい、ママ友・パパ友のコミュニティなど多彩な人間関係が絡んでくると、どれだけ心と体をすり減らしているんだろうと思わずにはいられない。
なのに、世間からは「親なんだから当たり前でしょ?」と見られがちだ。
少し前に「ワンオペ育児」という言葉が話題になったように、家庭内でも一人の親に負担が偏ってしまうことは珍しくない。
周囲に助けてくれる家族がいない場合、24時間ずっと気を張り続けていることだってある。
それでも、文句も言わず頑張り続けている人たちが少なくないのが現実だ。
僕はそんな姿を見るたびに、本気で「育児してる人は偉い」と思う。
給料が出るわけでもないし、評価システムが整っているわけでもない。
それでも、子どものために踏ん張っている。
それだけでもう尊いし、社会にとってものすごく価値のあることじゃないか。
少子化が深刻化している今の日本において、子どもを育てるという行為は未来を支える大切な営みだ。それを一人ひとりの“自己責任”で片付けてしまうのは、あまりにももったいない。
だから僕は、たとえ一言だけでも「偉いよ」「お疲れさま」と言う風潮がもっと広がってほしいと思っている。
もちろん言葉ひとつで負担が軽くなるわけではないし、現実的なサポートや制度も必要だ。
それでも、“当たり前”のこととして放置するより、ちゃんと「すごいことをしている」と認めるだけで、少しは救われる人がいるんじゃないだろうか。
褒めることやねぎらうことはタダでできる上に、相手の心をほんの少しでも軽くできるかもしれない。
最近では、育児休業を取る男性が増えてきたというニュースも聞くけれど、それでもまだ圧倒的に割合は少ないし、周囲から理解を得にくいケースもあると聞く。
仕事と育児の両立をめぐって職場や家庭内でギクシャクする話もよく耳にする。それは制度だけの問題ではなく、やはり社会全体の意識が変わっていないからだろう。
あらゆる人が遠慮なく「助けて」「辛い」「手伝ってほしい」と言えるようにならないと、本当の意味で育児の大変さを分かち合うことはできない。
そして何より、育児をしている人自身が「自分は偉いんだ」と思えるようになることが大事だと思う。
まわりがどう言おうと、子どもを育てるために努力しているのは疑いようのない事実で、それは誰に誇ってもいい行為だ。
イライラしたり、落ち込んだり、泣きたくなることだってあるだろう。
けれど、そんな感情を抱えながらも子どもと向き合っている時点で、すごい力を発揮している。
そういう自分をもう少し認めてあげてもいいはずだ。
僕は、子どもが嫌いなわけでもないし、育児に対して他人事だと思っているわけでもない。
ただ、社会にはまだまだ「子どもがうるさい」「子連れが迷惑」みたいな冷たい視線があることも確かだ。
電車やバスなどで子どもが泣いたときに冷たい目で見るのではなく、「ああ、そういうときだってあるよね」「大変だよな」と受け止める余裕が、もう少しみんなにあればいいのにと思う。
何度でも言いたい。育児してる人は偉い。どんな形であれ、子どもと向き合っている人は本当に立派だと思う。
頑張っているのに当たり前のように扱われがちなのは、不公平というか、もったいない話だ。
だから、少なくとも僕はできるだけ、育児をしている人を「すごいね」「偉いね」と称え続けたいし、その言葉が当たり前に出てくる社会になるよう願っている。
もし今、「もう限界かも」って思いながら子育てをしている人がいるなら、どうか周りの人に気軽に頼ってほしい。
そして、「偉いよ」「ありがとう」と言ってくれる人がきっといるはずだから、その声をちゃんと受け取ってほしい。
世界中の親や子どもにとって、少しでも明るい未来が広がっていくように。
僕はそう願いながら、この言葉を繰り返す。育児してる人は、やっぱり偉いのだ。