コラム④信頼関係とロールプレイ
「話を聞く」することにより、その人の個別性を「理解」する。
それっぽくいうと「傾聴」からの「児童理解」ですね。
この技術を知ったくつべらマン。さっそく実践しようとして失敗します。
誇張してあるので分かりやすいと思いますが、誰もが自身の「身の上話」を誰にでも話したいわけではありません。この感覚は大切なことで、要するに「プライバシー」です。性教育につながることだと思っています。
私が、若い当事者が自身の生い立ちをメディアで発信することに懸念をもっているのはそこからです。自分の持つ感情や、過去の物語(生い立ち)はその人だけのもので、世間の解釈にさらされてよい類のものではないと思います。しかし「当事者の発信」運動は、社会改善の大義が掲げられ、促進されます。そうやって社会システムが改善される歴史もあり、ダメとは言えませんが、主催する側の配慮にはもっと焦点を当てて欲しいと思います。
話が逸れました。
私の恩師には、児童養護施設職員の仕事の一つが「関係性の提供」であると教わりました。一緒に笑ったり、喧嘩したり、ご飯を食べたり、出かけたり...などなど。色んなことをする時間/積み重ねられる関係性自体が、提供されるべき福祉のサービスということですね。言葉にすると冷たい感じがしますが、気持ちが辛いときに省略されがちな事柄なので、仕事!と強調しておきたいです。そのうちに子ども自身が信頼を感じた相手へ、大切な思い出や感情を伝える。相手の大人は、それに耳を傾け、言葉でリピートし、児童の胸のうちにあったものがより目に見えるものになる。感情の言語化、それが共感。そしていつか、口に出さずとも「わかっている」「わかってもらっている」。些細な挙動の交換だけで得る、そういう実感が「お家の安心」をつくりだす。これが受容。私は、そのような理解をしています。
こうした対面のやりとりを疑似体験し、自分の対人援助技術をチェックできるのが「ロールプレイ」です。
緊張感が薄れると、ついつい個人的な感情の反射でやりとりをしてしまいます。私は、話を聞くときに目が逸れる癖があります。あと早口と、結論を先に口にしてしまうこと。感じ悪いですね。気を付けていきたいですね。
今日は以上です。
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