児童養護施設職員「生きていることを褒める」
児童養護「現場の事例」case.2
今回は、児童養護施設にて児童指導員をしている大澤さまにお話を聞きました。
子どもと関わる上で大切にしていることは、ずばり「褒める」こと。
何かをしたから「褒める」というのではなく、その子が「ただそこに居ること」「そこに居て、ちゃんと生きていること」を褒める。
児童養護施設に措置された子ども達は、親権者である保護者から離れて生活します。その理由は様々ですが、健全な成長に適さない家庭環境や、身体・精神・心理・性的な虐待を受けて、施設に辿り着いたという子は少なくありません。
ここ近年の措置理由は、「虐待」が増加傾向にあります。
本来なら、自分(子ども)を守って、沢山の愛情を注いでくれる筈の存在が、言葉や暴力や行動によって、自分を否定する。
当事者の子ども達にとって、それはどれほどのダメージなのでしょうか。
想像することしかできませんが、子ども達が得るそのとき気持ちは、転んですりむいた傷とは違い、長い未来へ尾を引くものになるのだと思います。
そんな環境で生活してきた子ども達が「普通に生きている」「頑張っている。今日も元気にやっている」ことを褒めるということを、大澤さまは大事にしているそうです。
↓↓↓ 本編はこちらからどうぞ ↓↓↓
「ただそこに居ること」「生きていること」を「褒められる」って、どんな気持ちになるのでしょうか。
戸惑う気持ちや、なんだか上手く表現出来ない気持ちもあるかもしれませんが、「嬉しい」「ホッっとする」など聞いたことがあります。
他者との比べてではなく「わたしががんばっている」を褒めてくれる。言葉にしてくれる。口にしてくれる。大人でも子どもでも、自分を褒めてくれる、認めてくれる人がいる。それはやっぱり、嬉しいことだと私は思います。
施設の生活には,沢山の大人がいます。それを疎ましく思う子は沢山います。自分の生活の中に他人が干渉してくる事に、全身で嫌悪を表す子もいます。
けれど、良くも悪くも「独り」ではありません。必ず、誰か人の気配があるのが施設生活です。
そこを退所した後、「せいせいした」という若者もいますが、「なんだか淋しい」と「孤独感」について話しをする若者が多くいるのも事実です。
施設退所後に、それぞれが新しい生活の中に身を投じます。そこで孤独を感じながら生活を送るのは、まだ10代後半~20代の若者にとっては、とても過酷な状況ではないでしょうか。
退所後にも関りが持てる大人の存在は、全く無いより、少しでも有る方が、きっと良いと思っています。
話は変わりますが、私がお話の中で気になったのは「弊害」についてでした。大澤さまは「施設あるある」とも仰っています。
「生活をしていると、”~ねばならない”が出てくる」と。確かに。
児童指導員として従事するという事は、子どもの過去、現在、将来について考えながら、子ども達と向き合う事が求められます。
ただそこに居る。生きている。それだけを褒めたい気持ちとは裏腹に、今後の人生を考えた上で、厳しい事を伝える必要もあります。そうなると、子ども達が「ただ生きている事を褒める」のが難しくなります。
そうした弊害を意識しつつ、子ども達を褒めるというのを大切にするのは、口で言うほど簡単なものではないな、と感じました。
「条件付きの褒める」が悪いものだとは思いません。それも、何かを達成する上ではとても重要なものだと思います。
ですが、それ以前に。何かを頑張ったから褒めるという前の段階として、子ども達が自分という存在に少しでも自信や愛着を持てるように、存在そのもの、「生きている事を褒める、あるがままを認める」という事は、とても重要なものなんだと考えさせられます。
大澤さま、有難うございました。
「弊害は自分の中にある」ということ、「褒める」ことの大切さ。人に関わる仕事をしていく上で、忘れない様にしていきたいと、改めて思いました。
youtubeの「現場の事例」こちらも是非「いいね!」「チャンネル登録」よろしくお願い致しますm-m
↓ 同チャンネル内の「プロにきく!」もお願い致します。noteにメイキング記事をのせています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?