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日本経済はどこへ向かうのか | 水野和夫『シンボルエコノミー 日本経済を侵食する幻想』
日本経済の停滞を嘆く声は多い。G7で日本だけが経済成長をしていないとされるが、なぜだろうか。そもそも、それは本当なのか。
私たちは、株式や為替などの記号を重視するあまり、実体を伴わないシンボルエコノミーの世界を生きるようになった、と著者は指摘する。その「幻想」が人々の自由を奪っているのである。
古びた理論にしがみつく日本政府や日銀、経営者を批判し、経済成長率の 〝まやかし〟を明らかにする。世界に先駆けて「定常状態」に移行する日本経済はどこに向かうのか、われわれはいかなる選択をすべきか。
ベストセラー『資本主義の終焉と歴史の危機』著者が読み解く、日本経済の本当の実力と処方箋。
はじめに
本書で扱っているのは、2020年から人類を恐怖に陥れた新型コロナ・パンデミック(大流行)、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナ侵略戦争、イスラエルとハマスの戦闘などによって激変する株式市場、為替市場および債券市場です。派手な動きをするマーケットと、「定常状態(停止状態)」になりつつある実物経済の乖離をどう解釈すべきかについて考察しました。
本書のアイデアは、演出家で思想家の鈴木忠志さんが率いる劇団SCOTの役者たちが演じる『リア王』(ウィリアム・シェイクスピア作)と「世界の果てからこんにちは(果てこん)」から得ました。『リア王』の演出ノートのタイトルは「世界は病院である」、「果てこん」のそれは「日本という幻想」です。
本書を貫くのは、21世紀の世界は「病院」であり「幻想」の時代になったという認識です。鈴木さんの舞台はいずれも精神科病院、あるいは老人ホームを思わせる設定になっています。「果てこん」の主人公である病院長は時々、幻想に苛まれ、患者も精神を病んでいるかのようです。
『リア王』と「果てこん」を最初に観たのは2008年です。当初、舞台の登場人物は皆、変な人ばかりだと思っていましたが、毎年繰り返し観ているうちに、観客席にいる自分が「異常な世界」、すなわち入院患者であることを思い知らされます。このことに気づくのに10年近くかかりました。
「果てこん」のなかで、同じくシェイクスピア作『マクベス』の妃を日本に置き換えた「日本が、父ちゃん、お亡くなりに」という科白があります(2021年から「父ちゃん」という科白は「親分」に変更)。これは、リアルの世界が亡くなったのだと解釈すべきではないかと最近思うようになりました。
実際、人間の経済生活のみならず、人間の精神も殺されてしまったようです。シンボルがリアルを殺して、「シンボルの時代」となったのです。リアルの世界から見れば、シンボルの世界は「狂気の世界」であり、「幻想の世界」です。リア王の三女コーデリアは劇中でもっとも善人、かつもっともリア王を愛していたのですが、最後は殺され、葬送行進曲で幕を閉じます。リアルの敗北は絶望しか生まないのですが、同じことが21世紀の世界で起きています。
リアルエコノミーは、人々が必要とする財・サービスを提供するために、L(労働)とK(資本)を用いてGDP(実質国内総生産)を生み出す世界です。対してシンボルエコノミーは、ROE(自己資本利益率)を引き上げてK(資本)を増殖させる世界です。
リアルエコノミーのKはJ・R・ヒックスが言う唯物論者の資本であり、具体的には企業のバランスシートの借方である資産の部に計上されている固定資産を指します。シンボルエコノミーのKは資金主義者の資本であり、貸方の資本の部に計上されています。カール・マルクスの『資本論』における資本とは、G(Geld[貨幣])─W(Ware[商品])─G'(増加した貨幣)……のうち、W─W'、すなわちGDP成長、つまり国民生活に資するのがリアルの資本です。G─G'、資本増加率で捉えたのがシンボルの資本です。
シンボルは単なる記号であり、「幻想」です。株式も為替も記号にすぎません。テレビ番組のニュース・キャスターは日経平均株価が上がればにこやかな顔で、下がった時はすこし不機嫌な表情で伝えますから、言う前に今日は上がったか・下がったがわかります。昨今、マスコミなどは株価が34年ぶりに高値を更新したと騒いでいますが、人々を無意識のうちに「日本という幻想」に押し込めています。シンボルに振り回されているうちに実質賃金は下がり、人々の自由が奪われているにもかかわらず。
人類史は「蒐集(コレクション)」の歴史です。『資本論』は、第一巻第一篇第一章「商品」の冒頭、次の有名な1行から始まります(以下、引用の旧字・旧かなづかいは現行にあらため、適宜ふりがなと改行を加除しました。傍点は原文通りです。また一部、不適切と思われる表現もありますが、翻訳者の意図を尊重してそのままとしています)。
「資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は『巨大な商品の集合体』の姿をとって現われ」(マルクス[2005a]55頁)る。
「巨大な商品の集合体」は“immense collection of commodities”となっていますから、資本主義は商品(労賃も商品)、すなわちW、commoditiesをコレクト(蒐集)して資本を増殖していくことなのです。シンボルエコノミーではGの極大化が最終目的であって、中間手段であるWが捨象されます。Wに含まれている労働力が軽んじられるようになったのです。
古代は土地(land)を、中世は霊魂(anima)を、資本主義社会は商品をコレクトすることで社会秩序を維持してきました。21世紀は“collection of money”となって、資産と資産を交換することで資本をコレクトするビリオネア(純資産10億ドル超長者)が「幻想と狂気の世界」の支配者となりました。日本銀行が行った異次元金融緩和は、日本人を「幻想」の世界に引きずり込んだことになります。
こうした事態を食い止めるには、まず「幻想」でリアルが見えなくなった世界を見えるようにしなければなりません。鈴木さん演出の芝居はそれを可能にしてくれます。このことにリアルの世界に住む主権者である国民が気づかないと、国民国家の時代が終わり、「資本の帝国」の臣民となりかねません。いや、すでにそうなりつつあります。
それでは早速、紐解いていきましょう。
2024年11月
水野和夫