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はじめに|島田裕巳『最強神社と太古の神々』

好評発売中の島田裕巳先生の新刊『最強神社と太古の神々』より「はじめに」を公開します。『古事記』や『日本書紀』に登場する神々を祀る神社、と著者が定義する最強神社。そのありがたくも、おそろしい力とは――。最強神社の謎に迫ります。

はじめに 

 日本には、実に多くの神社が鎮座しています。

 文化庁が毎年刊行している『宗教年鑑』によれば、日本全国におよそ8万社あるとされています。コンビニエンスストアの数が約5万6000店ですから、神社はそれよりもはるかに多いことになります。

 しかも、『宗教年鑑』に掲載されているのは宗教法人として認証されている神社のみですから、認証を受けていない神社もありますし、屋敷神やビルの屋上などにある神社を合わせれば、20万社に達するのではないかと言われています。

 神社には、それぞれ祭神が祀られています。祭神はひとつの場合もありますが、複数の祭神がひとつの神社で祀られていることもあります。境内にいくつもの摂社・末社(神社本社の管理に所属する小規模な神社)があれば、祭神の数は増えます。まさに、八百万の神が祀られていることになるわけです。

 古代にあった神社については、927(延長5)年にまとめられた「延喜式神名帳」に記されていますが、神社は2861社、神は3132座を数えます。「社」は神社の数を、「座」は「柱」と共に神の数を示す単位です。前述のように、ひとつの神社で複数の祭神を祀る場合があるため、神社と神の数が異なっています。

 「延喜式神名帳」に登場するということは、927年以前から祀られていた神社ということになります。石清水八幡宮(京都府八幡市)や北野天満宮(京都市)は重要かつ著名な神社ですが、「延喜式神名帳」には記載がありません。石清水八幡宮の創建は860(貞観2)年(859年説もあり)、北野天満宮は同947(天暦元)年と、時代が新しいからです。

 「延喜式神名帳」にある神社は有力なものということになりますが、神社の名称や場所は記されていても、祭神は数が示されるだけで、ほとんどの場合、どのような神が祀られているかはわかりません。したがって、祭神についての情報は「延喜式神名帳」からは得られません。

 なぜ「延喜式神名帳」に祭神が記されていないのか。その点については、情報がないのでわかりません。神を祀る空間としての神社は重要でも、祀られる個別の神は重視されなかったのか、なかなか興味深いところですが、理由を説明するのは困難です。

 では、パワーがもっとも強い神社、すなわち最強の神社を選ぶには、どのような基準を用いればよいでしょうか。それは、神話に登場する神々を祀っているか否かが重要なポイントになります。

 日本の神話は、8世紀はじめに成立した『古事記』と『日本書紀』に記されています。どちらも前半は神々の物語であり、「神代(じんだい・かみよ)」と呼ばれる神話です。後半になると、それが代々の天皇の物語に引き継がれていきます。天皇は、日本の中心に位置する存在ですから、神話は日本の成り立ちを示した、きわめて重要な物語になります。

 『古事記』『日本書紀』に登場する神々のなかには、日本の国土を生み出したり、国づくりをした存在が含まれています。皆、重要な神々です。したがって、そうした神々はさまざまな神社で祀られ、それぞれの神社では特有の信仰が成立しています。
 
 このことを踏まえて、本書では『古事記』『日本書紀』に登場する太古の神々を祀っている神社を「最強神社」と捉えることにします。

 アマテラス、スサノオ、オオクニヌシは神話で大いに活躍しますが、神道の信仰においても重要な役割を果たしています。オオモノヌシはアマテラスなどと比べると、重要度はやや落ちるものの、それを祀る大神神社(奈良県桜井市)は神社のもっとも古い形を残していると言われ、とても重要です。また、コノハナノサクヤビメと宗像三女神は、それぞれ山の神、海の神の代表として取り上げました。自然は山と海によって構成され、神道には自然信仰の性格が強くあるからです。

 こうした最強神社と太古の神々について知ることで、必ずしも体系化されていない、あるいは体系を持つものとしては説明されていない神道について、より深く理解できるようになります。それによって、参詣・参拝など神社との向き合い方も大きく変わるはずなのです。

島田裕巳

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