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はじめに|島田裕巳『宗教にはなぜ金が集まるのか』

安倍元首相の銃撃事件で宗教と金の問題が大きくクローズアップされました。なぜ宗教にはお金が集まるのか? 本書『宗教にはなぜ金が集まるのか』では、歴史をたどり、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教を比較しながらその本質を明らかにします。

はじめに

 宗教と金の問題が、思わぬ形で浮上することになりました。第26回参議院議員選挙真っ最中の2022年7月8日、奈良市内で応援演説をしていた安倍晋三元首相(1945~2022年)が背後から銃撃され、命を落とした事件です。これは日本国内だけではなく、海外にも衝撃を与えました。

 問題は、銃撃した容疑者の犯行動機です。容疑者の母親は、統一教会(旧世界基督教統一神霊協会、現世界平和統一家庭連合)の信者で、教団に多額の献金を行い、そのために家庭が崩壊したと言います。容疑者は、それを恨みに思い、同会の幹部を狙おうとしたが、それが難しかったので、関係が深い安倍元首相を狙撃したとされます。また、安倍元首相の祖父である岸信介元首相(1896~1987年)が、同会を日本に引き入れたことも、安倍元首相を狙った理由だと供述しているようです。

 宗教団体に対して多額の献金をする人たちは少なくありません。特に「新宗教」と呼ばれるような教団では、教団のほうから献金が強く呼びかけられ、それに応じる信者もかなりの数に上ります。信仰を続けていれば、献金したことに不満は生じませんが、何か問題を感じて脱会するようなことがあれば、いったいなぜ自分はそれだけの額を献金してしまったのかと後悔し、教団に騙されたと感じるようになってしまいます。

 私たちの多くは、そんなことは自分には起こらないと考えています。しかし、本当にそうでしょうか。

 たとえば、仏教式で葬儀を行った時、私たちは「布施(僧侶や寺院に金銭や品物を施すこと。第2章で詳述)」をします。布施は仏教の言葉ですが、献金の一種です。新宗教に対する献金の場合、教団が額を決め、それに応じなければならなくなることが問題とされたりします。

 いっぽう布施は、信者の自発的な意志で行われるのが本来であり、どれだけ出すかは本人次第と説明されることが多いでしょう。ところが、どの程度の額を布施すればよいのか、寺の側から指定されることが少なくありません。実際、「どの程度お支払いすればよろしいのでしょうか」と寺に聞けば、金額を教えられるのが一般的です。

 「戒名料」ともなれば、かなりの額に上ることがあります。戒名には「格」があり、院号のついた戒名になれば、50万円、100万円を超えることもあります。
 
 さらに、寺の本堂を修繕しなければならない時には、檀家(第2章で詳述)に寄付が求められます。その際には戒名の格が影響し、院号のついた戒名を授かっていれば、そうでない檀家よりも多くの額を支払うことを求められます。

 こうしたことに対して、不満を抱いている人も少なくないはずです。これを面倒に感じて、今流行している「墓じまい」を行う人もいますが、寄付に応じてしまうことが少なくないのは、布施や戒名料を出す側に「プライド」があるからです。そのプライドが、かえって高額な金を支払うことで満たされるのです。

 このように、宗教と金の問題は、実は身近な問題なのです。なぜ宗教と金は密接に関係するのか――。歴史を辿り、各宗教を比較しながら考えることにしましょう。

島田裕巳

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