独特な香り漂うサウナで出会った外国の少年との平和の話
先日仕事で広島県に赴いた。
「初めましてこんにちは広島」
そんな気持ちで新幹線から広島の地に降り立った
今回は広島出張で宿泊したホテルで出会った一人の外国人少年との話。
私は長崎県出身で
小さい頃から平和学習は当たり前のように身近にあって
原爆や被爆者の話を聞いたり、
子供には衝撃的な当時の写真など見たり、
原爆が投下された日は
県内の学校は夏休みの登校日で、
投下された時刻には県内一斉にサイレンが鳴り響く。
そういう風に小さい頃から
戦争や原爆のことを見て聞いて育った長崎と広島の方は
他府県の方々よりも原爆と戦争への知識・理解が深いと思う。
今回1泊2日での広島出張だったので、
広島2日目には平和記念公園に行って祈りを捧げようと思っていた。
1日目の終わり、
ホテルの小さな浴場内にあるサウナに入っていると
7〜8歳くらいの外国の少年が一人で入ってきた。
時間も遅かったこともあり、サウナ内は私と少年の二人きり。
「ここ、なんか臭いね」と、
いきなり見た目に反した流暢な日本語で
話しかけてきた少年に私は驚き
広島の夜に胃に流し込んだアルコールで
ほろ酔い気分だった私の脳は
急に酔いがマシになった。
「そうだね、ちょっと臭うね」と笑いながら返答すると、
「今日はホテルに泊まるの?」と聞いてきた。
「そうだよ今日はここのホテルに泊まるんだ」
「旅行できたの?」
「仕事で来たんだよ」
「僕は旅行だよ」
そんなやりとりの後に
「平和記念公園は行った?」と聞いてきた。
「明日行くつもりなんだ」
そう答えると
「僕は今日行ったけど、すごく勉強になった」
と少年が言ったので、
「長崎は知っているかい?私は長崎の生まれだから、広島の平和記念公園でも祈りを捧げたいんだよ」
私がそう言うと
「もちろん知ってるよ!本当は広島の次は小倉になるはずだったんだよね!でも長崎に変わってしまったんだよね?」
そう少年が答えた。
私は本日2度目の衝撃を受けた。
旅行で広島に来たという流暢に日本語を話す外国の少年が
広島の次の目標地が長崎ではなく小倉だと知っていたことに驚いた。
今日行った平和記念公園内の資料館などで
そのような記述を読んだり聞いたりしたのかもしれないが、
それでも少年が見聞きした事をちゃんと覚えていることが凄いと思った。
「どうして小倉から長崎に変わったんだろうね?」
そう少年が聞いてきたので
「当時、小倉には雲があって原爆を落とすには街がよく見えなかったんだ。
だから、急遽次の目標地だった長崎に変わったんだよ」
そう教えてあげた。
「そっかー、長崎に変わってしまって悲しいね」
そう少年は言ってくれた。
長崎の人からすると
小倉から長崎に目標地が変わって
長崎で悲劇が生まれたことは確かだけど、
だからと言って小倉になっていれば良かったわけじゃない。
そもそも広島にだって起きてほしくなかったことだし、
世界中のどこにだってしてはいけないことだ。
この外国の少年が
広島で起きたことの惨状を見聞きして
知識として記憶してくれたこと、
哀悼の気持ちを持ってくれていること、
世界でもこの日本でしか起きたことのない悲劇を
平和記念公園に行き学んでくれたこと
その全てが素晴らしいことだと私は思う。
「いつか長崎も行ってみたいな」
そう少年が言ってくれた
「ぜひ行ってみておくれ」と私は答えた
そのタイミングでサウナの扉が開き
少年の父親が英語で少年を呼び戻した
「バイバイ」
そう言って少年は笑って手を振ってサウナから出ていった。
その後サウナ内で一人きりとなった私は
もう少しだけサウナ内に留まり
少年との短い時間の交流を振り返りながら
アルコールと疲れを汗と共に流した。
翌日、
平和記念公園に行ってみると
雨の中、大勢の外国の方々が訪れていた。
老若男女の外国の方々が
記念碑や慰霊碑の前で手を合わせていた。
私も手を合わせ祈りを捧げた。
外国人観光客は観光の一つとして平和記念公園を訪れているのだが、
皆真剣に資料を読み、ガイドの説明に耳を傾けていた。
とても素晴らしい事だと思う。
広島と長崎で起きたことを
二度と世界のどこにも起こさないようにするためには
日本だけでどうこうできる事じゃない。
サウナで出会った名も知らぬ外国の少年のように
日本人だけでなく、世界の人々が広島と長崎で起きたことを
見て、聞いて、知識として記憶し、
哀悼の気持ちを持ち、
平和を願うことで
今後世界に第三の被爆地ができることはないと私は信じたい。