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『鳩の撃退法』鳥飼なほみ役・土屋太鳳さん考察

津田伸一はなぜ「鳩の撃退法」というタイトルを付けたと思いますか?

正直なところ、考えても考えても、というか考えれば考えるほど津田さんの気持ちは分からないので、「私が津田さんなら、なぜこのタイトルを付けたか」という視点で書かせてください。

この作品は観る人が混乱する作品だと思いますが、演じた私も混乱していました。もしかしたら現場のほとんどの人が混乱していたと思います。

でもこの混乱は、「物事は理解できて当たり前だ」とか「理解できることがいいことだ」と思い込んでいるから生まれる混乱なのかな、とも思うんです。たとえば夢を見ている時も、起きてから思い出すと一貫性のないストーリーでも、夢の中では意外なくらい納得して行動していることが多いと思います。現実も夢も同じ脳の中で受け止めているので、じゃあ何がその判断を変えてるのかと考えると、その理由のひとつが「思い込み」なのかなと思います。思い込みって、人が生きる時の選択肢の自由を奪うと思うんです。「しあわせは、こうあるべき」という思い込みも含めて。

その思い込みを撃退すれば、いくらでもやり直せるし、いろいろな形のしあわせが生まれるかもしれない。私なら、そういう思いを込めて「鳩の撃退法」というタイトルを選ぶと思います。

幸地秀吉はなぜ、「本通り裏の男」倉田健次郎と一緒にいたと思いますか?

私はこの作品を読みながら、時々、登場人物は本当に実在しているのかな、と感じたことがあるんです。たとえば私が演じた鳥飼さんも、もしかしたら「本物の人」として存在していないのかもしれない。津田さんの心の鏡かもしれないし、分身かもしれないし、社会とか世間を象徴する存在かもしれない。

それくらいこの作品は自由だし、どんな解釈も有りだと思うのですが、同じように秀吉と倉田さんも、もしかしたら「二人の人」なのではなく「一人の人の別の姿」とか「光に対する影、影に対する光」のような関係性なのかもしれないと思います。

このラストシーンでも、私は物語上の理由というよりは、この二人のお互いの存在理由のようなものを感じました。言葉にするのが難しいんですけど、「なぜ一緒にいるかというよりは、もともと一対の存在だったから」なのかなと思います。


公式"裏"サイト「本通り裏」

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