見出し画像

芦別紀行

 駅に降りると、周囲に全く建物はなく殺風景な原っぱが広がっていた。バス停もあるのだが待っている人もまばら。もしかしたら降りる駅を間違えたのかもしれない。不安になり駅舎を振り返ったが、看板にはちゃんと滝川駅とある。周囲を見渡してようやく駐車場の隅っこに赤のマツダを見つけた。近づいていくとNさんがひょっこり顔を出し、笑顔で手を振ってくれる。僕もようやく安心して手を振り返す。三ヶ月ぶりに会う彼はまたふっくらしたようで、そう伝えると「いやー、こっちの飯がうまくってさー」と、ポンポンと布袋さんのような腹をたたく。相変わらずである。
 Nさんは僕の勤めている陶芸教室で、子どもたちに陶芸を教えた仲間の一人だった。僕より二十も若いのに落ち着いていて、陶芸では僕の数歩先を行く彼から、よくアドバイスをもらい、よく酒を飲んだものだった。
 そのNさんは今年の六月に北海道の陶芸センターの所長として転職を果たした。それまで彼は瀬戸の老人介護施設で料理長として腕を振るう一方、陶芸家として活躍していたのだが、もっと陶芸に軸足を置きたいと、料理人としてのキャリアを捨て転身したのだ。その勇気ある選択に僕もなにかしらの応援できればと思い、北海道までやってきた。
 翌日、彼の勤務先である芦別市陶芸センターを案内してもらう。芦別ってどこ? という方もいるだろう。芦別は北海道のほぼ真ん中くらい。ラベンダーで有名な富良野から車で三十分程度の場所で、周囲を山に囲まれた静かで住みやすい街である。
 その郊外の森の中にたたずむログハウス、それが陶芸センターだった。センターは、僕の勤めている陶芸教室よりも広く設備も充実している。こんな環境で思う存分、陶芸に没頭できる彼が正直うらやましいと思った。一方、前任のセンター長が突然亡くなり、その後任として、手探りでセンターをきりもりするのは大変そうであった。それでも、この土地でしっかり根を張る覚悟もできている彼ならば、きっとやりきることだろう。
 六日間の滞在であったが、粘土を掘りに行ったり、地元で活躍する陶芸家の案内で砂金採りをしたりと、存分に芦別を満喫することができた。駅前の焼き肉店で食べたホルモンとジンギスカンの味は忘れられないし、芦別名物のガタタンラーメン(ルーツは小麦粉を水で練って小さな塊にした中華料理の「ガーダ」がという説があり、あっさり塩味のスープで油が少なく胃もたれしないのが長所。ガーダのほかにも野菜や肉、魚介や山菜など多くの具を入れ、片栗粉でとろみをつけて、仕上げに溶き玉子をふんわり流し入れた芦別名物)もうまかった。Nさんにマツダを借りて林道の探索もしてみた。ここで熊に出会えば、エッセイにぴったりのネタになったのだが、残念ながら鹿と遭遇したくらいだった。
 熊といえばこんなこともあった。芦別は「星の降る里」とも呼ばれ、星空がきれいに見えることを売りにしているが、僕も天然のプラネタリウムを堪能することができた。だが真夜中の街をふらふらしたことを自慢げにNさんに語ると、街中でも熊が出ることがあるからと注意され少しビビった。きっと口を開けて夜空を見上げるランニングとパンツ姿のおっさんに、熊もビビって出てこなかったのではないだろうか。 
 帰り際、Nさん曰く「正田さん、来月も穴窯を焚くから手伝いに来てくれない?」と。それをフォローするように「採れたてのジャガイモはおいしいわよ」と会員さん。さてさてどうしようか? 涼しかった北海道を思い出しつつ、パンツ一丁でこのエッセイを書いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?