ツボにはまる
正月に有吉佐和子の『青い壺』を読んだ。友人に「陶芸に携わる者なら読んでおくべきだ」と勧められて手にしたのだが、その言葉のとおり一読の価値のある本だった。無名の陶芸家が生み出した青い壺が、様々な人の手を渡っていく物語である。青い壺はまるで意志を持つように、所有者の手をすり抜け旅を続ける。壺の視点から人間社会を傍観するように、愛憎や欲望が巧みに描かれていて、さすが有吉佐和子だと思わせる作品だった。
読んでいて僕も「青」に魅せられた一人だったことを思い出した。きっかけは通信制の大学で出会った「雨過天青」という言葉である。雨過天青は中国北宋時代の汝窯(じょよう)で焼かれた青磁を表現する言葉で「雨後の天の青さこそが、もっとも美しい青磁とされ、それを器の中に表現することは一つの夢であった」と講座のテキストには解説されていた。それを読んで雨後の空のような青ってどんな色だろう?と興味を持ったのだ。だがテキストの写真はモノクロで、図書館の図録で調べても釈然としない。レポートを書くために調べれば調べるほど実際にこの目にしたくなる。自然に僕の足は大阪、中之島にある東洋陶磁美術館に向いていた。
そこで目にしたのが雨過天青の一つ青磁水仙盆だった。それまで全く陶芸の知識などなかった僕だが、空に吸い込まれるような、柔らかで優しい青に魅せられてしまった。それ以来、文字通りツボにハマってしまい、青磁を求めて各地の美術館を訪れるようになったのだ。
青磁行脚をする中で東京国立博物館の馬蝗絆(ばこうはん)も印象的だった。これは割れた茶碗をホッチキスのように鎹(かすがい)で留めて修理してあるため、そう呼ばれているのである。この茶碗については以前noteで書いたことがあるので、今回はこの馬蝗絆の兄弟碗(諸説あり)について書いてみたい。あまり知られてはいないが、日進市のマスプロ美術館にその茶碗はある。さすがに馬蝗絆とは名乗れないので、こちらは鎹と銘がつけられているが、緩やかな曲線を描いて立ち上がる姿の優美さ、透明感のある青色は東博の馬蝗絆と瓜二つである。
マスプロ美術館のHP(ホームページ)によれば、東博の馬蝗絆とマスプロの鎹はもともと二個セットだと解説されている。これが事実だとするならば、かたや国の重要文化財として日の当たる場所で称賛を浴び、もう一方は地方の小さな美術館で埋もれているなんて、器のたどった運命の皮肉さを感じる。ついつい鎹の方に同情したくなるのが人情だろう。
さて雨過天青(雨過天晴が一般的)という言葉には、物事が悪い状態から良い方向に改善されるという意味もある。一つの言葉がきっかけとなって、僕の人生は大きく舵を切ることとなった。勤めていた会社を退職し、陶芸に関わる仕事に就こうと決意する。今まで知らなかった世界に飛び込むと、どこからか手を差し伸べてくれる人が現れたりして、フォローの風が後押ししてくれた。
あれから五年経つがまだフォローの風を感じる。特に行き先を定めているわけではないが、この風に乗って行けるところまで行ってみたい。もしかしたらどこかにたどり着けるかもしれない。どこにもたどり着けなくてもそれでよし。運命を語るにはまだ早い気もするが、それも運命だと思って受け入れたい。