見出し画像

私は「この私」を通じてしか世界を経験できない──柴崎友香さんと横道誠さんの対話

『あらゆることは今起こる』が話題の柴崎友香さんと、小社の新刊『アダルトチルドレンの教科書』を上梓したばかりだった横道誠さんの対談イベントが、2024年7月8日に本屋B&Bで行われました。たいへん刺激的だったこの対談の模様を、本屋B&Bさん、「シリーズ ケアをひらく」と、小社のコラボ記事としてダイジェストでお届けします。イベントを視聴された方も未視聴だった方も、どうかおたのしみください。
(*なお、当該の対談アーカイブは、B&Bさんで9/14まで販売中とのことですので、元の動画を観たい方はぜひ)


「文学×当事者研究」の最前線に芥川賞作家が乗り出してきた!?

【横道】 まず、私が柴崎さんを初めて認識した時がいつかという話をしたいんですけど。
【柴崎】 はい。
【横道】 2000年代にmixiっていうSNSが流行ったじゃないですか。そこでいろいろと面白い映画の情報を集めていたら、『きょうのできごと』を知って、レンタルショップで借りて観てみたんです。当時、私は京大の院生で、出町柳あたりとかもろに生活圏内でしたから、そのあたりを舞台にしたこの映画に親近感を抱きました。それで、原作も読んで。
【柴崎】 ありがとうございます。
【横道】 で、その数年後に就職したんですけど、 学生たちがどういう本を読んでるかということを知りたくて、「好きな本を教えてください」とアンケート調査したら、『きょうのできごと』が好きだっていう子が何人かいて、 やっぱり人気があるんだな、と思ったことを覚えています。
そのあとは2016年に『寝ても覚めても』が映画化されたときですね。それまで私は濱口竜介監督の作品を観たことがなかったんですけど、ポスターの印象からなんとなくピンと来て観に行ったんです。それで、めっちゃハマりました。
【柴崎】 そうなんですか!
【横道】 以来、濱口さんの大ファンになりましたし、もちろん柴崎さんの原作も読んでいったんです。だから柴崎さんのことはいつも念頭にはあったんですけど、 まさか発達障害の問題で繋がっていくとはまったく予想しませんでした(笑)。私は文学研究者ですけれども、専門は外国文学で、とくに現代文学ではなくて古典文学が興味の中心にありますから、今回の思わぬ縁に喜んでおります。
柴崎さんのほうは、私のことを認識したのは、『みんな水の中』を読まれてからということですよね。
【柴崎】 そうですそうです、すごく面白かった。自分の感覚や、世界との関わり方っていうのを、こういうふうに書けるのか、っていうのにとても刺激を受けました。
しかもこの中に、「自閉スペクトラム症(以下ASD)者の自伝的な本にはいいものがたくさんあるけれども、日本だと注意欠如・多動症(以下ADHD)者のエッセイ漫画はいろいろあるのに、なかなか自伝的にまとまった本はない」と書かれていたので、じゃあ書いてみようかなって。
だから『あらゆることは今起こる』が刊行されたら、横道さんとお話したいと思っていましたので、今日はとても楽しみです。
【横道】 大変嬉しいお話です。私の『みんな水の中』は、アスペルガー症候群(現:自閉スペクトラム症)を診断された綾屋紗月さんと脳性まひの熊谷晋一郎さんの共著『発達障害当事者研究』という本がひとつのベースになっていて、それを文学的なタッチで再編成してみようと思って書いたんです。
それに加えて、私が『みんな水の中』のもとになった論文を完成させた頃に刊行された頭木弘樹さんの『食べることと出すこと』が、潰瘍性大腸炎の当事者研究を文学作品を参照しながら進めるものになっていたので、それも参考にして、その方向性で徹底的な本を作ろうと思ったんです。
それで私は「文学×当事者研究」という新しい領域の最前線に立ったという自負があったんですけど、まさかそこに現役の芥川賞作家が乗りだしてくるとは、まったく想像できませんでした(笑)。
やや表現をためらいますが、現役の作家がご自身の作品はADHD的な体感世界と関係があると公表したわけで、それってある意味ではご自身の全作品に対するある種のネタバレじゃないですか?
【柴崎】 まあ、そうですね(笑)。
【横道】 多くの作家やクリエーターは、自分に精神疾患とか発達障害の傾向があるかな〜?くらいに思ったとしても、その「ネタバレ」を避けるために口にしないことが多いと思うんですよね。そのタブーを踏み越えたのは画期的ですし、すごい勇気だなと。
【柴崎】 考えることが面白かったんです。特にADHDの診断を受けてからは、今まで「自分のこういうところはなんでやろう?」と思っていた部分についてのヒントがたくさんあった。それを考えることが面白くて。
ADHDは自分の好奇心のままに進んでいくところがあるので、「ADHDや発達障害について何か考えたい、書きたい」の方が勝った感じです。
それに、人間の認識や感覚への興味、世界の中で感じる違和感みたいなものを、ずっと書いてきたというのはあって、それを小説という形で表してきたのを、今回はこういう形で書いてみた、ということでもあります。
【横道】 柴崎さん自身も何かの講演で言ってらっしゃいましたけど、 柴崎さんの作品って、ホラーな展開があっても、あまりホラーっぽくならないんですよね。その理由として、登場人物があんまりそれに情動的な反応を見せないから、という説明でした。
【柴崎】 はい。
【横道】 でも柴崎さんご本人はそうでもないですよね。わりと感情の起伏がありますよね。ADHDの人らしく、あるいは大阪人らしく、わちゃわちゃした雰囲気を感じます。
【柴崎】 そうですね。小説の感じよりは起伏がありますね、本人は。
でもそれがあんまり表情とかに現れないタイプなんです。内面はすごく混乱してるんですけど、一見、何事もないような態度になってしまう。
ホラーって、怖い対象そのものよりも、むしろ怖がってる側、いかに怖がってるかの表現の表現の面白さだなと思ってるところがあるので、そうじゃない方向で書いているのかもしれないです。

ADHDの問題なのか、大阪人であることの問題なのか

【横道】 作品のいわゆる文体的特徴と、柴崎さんが喋ってる感じも結構違いますよね。口語と文語に距離感があるといううか。
【柴崎】 違いますか。
【横道】 私も口語と文語がきれいに言文一致してるわけではないのですが、なんというか柴崎さんも私も、話すと多弁的ですよね。それがまた、どこまでADHDの問題で、どこまで大阪人の問題かというのはわからないんですけど(笑)。
【柴崎】 ですよね。そうですね(笑)。
【横道】 私たちってペラペラ、ペラペラと喋りますよね。口から先に生まれてきた感じ。
【柴崎】 喋ってないと不安ですよね。沈黙がダメですよね。大阪の人ね。
【横道】 大阪人は多分、日本で1番ADHD的な人々だと思いますね。
【柴崎】 そう思います。横道さんとはご近所なんですよね、地元が。
【横道】 そうそう。海を挟んで対岸の地域です。いまは私は京都、柴崎さんは東京ですけど。
【柴崎】 横道さんは住之江区でね、私はその隣の大正区。横道さんの『乖離と嗜癖―孤独な発達障害者の日本紀行』を読んでいたら地元の話がちょこちょこ入っていて、「あ、こんな近所やってんや」と思って。
【横道】 大正区って、駅前に沖縄料理店がいっぱいあるとこですよね。
【柴崎】 そうですそうです。
【横道】 大正区の爬虫類カフェに遊びに行ったことがあります。飲み食いをしながら爬虫類と戯れることができるんですけど。
【柴崎】 そこ知らないですけど、意外なつながりですね(笑)。
【横道】 ADHDの多動って、わちゃわちゃ動いていて椅子に座ってられないみたいな、そういう見るからに多動なパターンもありますけど、そればかりではないですね。かつて「不注意優勢型」って言われていたやつがあって、ぼーっとしている、でもそれって実は「脳内多動」なんですよね。
【柴崎】 私はまさにそのタイプ。身体的にはあまり動いてなくて、外から見たらむしろぼーっとしてるように見えるんですけど、 脳内はすごい動いてる。授業中も先生の話を全然聞いていなくて、違うこと考えてたり別のことをしていることが多かったです。
【横道】 私は体の方も結構多動なタイプで、いつもソワソワして、椅子に座っていられない子どもだったんですが、そういうことはまったくなかったですか?
【柴崎】 変な座り方をするっていうのはありました。体がちっちゃかったっていうのもあるんですけど、椅子の上で正座したり、体育座りしたり。
あとはね、細かく動いてますね。この間も自分のトークの動画見たら、手がずっとこの辺で、なんか触ったりして動いてて。細かく動いて多動を逃がしてるというか、そういう感じはありますね。
【横道】 柴崎さんの今回の本では、ADHDの話題が中心にありながら、ASDや強迫性障害の話、喘息のことなど、いろいろと詰まってるのが良かったです。精神疾患を含めて、病気ってしばしばサラダボールみたいなものですからね。私も『みんな水の中』では、ASDがメインだけど、ADHDもあって、同時に依存症やPTSD的なものもあると書きました。私たちの本はどちらも、ベタな「自閉症のサンプル」「ADHDのサンプル」になってないのがいいですよね。
【柴崎】 それが、私自身、ADHDの診断を受けて思ったことでもあります。横道さんはいつも、「みんなそれぞれ違う」「自分はこういう方法でやっているけどそれが誰にでも当てはまるわけじゃない」と書かれていますけど、私もすごくそう思います。
ひと口に「ADHD」「発達障害」といっても多様なんですよね。もとは同じ要素から来ていたとしても、現れ方が違う。そこはすごく書きたかったところです。
世間的にはどうしても「ADHDは落ち着きがない」とか「ASDは空気読めない」みたいな、単純化された情報ばかりが流布しがちなので。かつ、特に私は診断を受けた時は48歳だったから余計に思ったのですが、大人になるともういろんな要素が混ざっているじゃないですか。人って、生きてきた経験が重なり合って今のその人になっているから、そこで「この部分がADHDですよ」と取り出して書くことはできないなと思って。
【横道】 一方で、読者はしばしばそのあたりに戸惑うんですけどね。私の『みんな水の中』だと、メインはASDの話なんだけど、サブとしてADHDが出てきて、発達障害ってこういうものなんだなと思って読んでると、途中から宗教2世としての体験談も追加されて、どうもPTSDがありそうで、じゃあどこまでが発達障害でどこからがトラウマの問題なんですか、と読者は混乱するという(笑)。
【柴崎】 発達障害があると、トラウマを受けるような出来事に出会いやすいっていうのもありますよね。否定される経験が多いから。
【横道】 そうなんですよ! トラウマ的なものがまったくない発達障害者さんはいないですよね。だから発達障害の問題とトラウマ障害の問題って、かなり連続している。
【柴崎】 そうですよね。どうしてもそういう経験をしがちで、それがやっぱ残りがちなので、それを抜き抜きに語ることはできない。
【横道】 柴崎さんの本で感動したことの1つとして「本がなかなか読めない」ということを書いていることがあります。私も実はそうなんです。いつも「無理やり力づくで読んでる」という感じがある。ぜんぜんスラスラと読んでいない。あちこち読み飛ばしちゃったりとかしながら、本を読むたびにカオス的な読書体験を重ねています。
でも文学研究者という職業柄、なかなかカミングアウトできなかったんですよね。ちゃんと本を読めない文学の専門家って何? と思われるんじゃないかと。最近はインタビューで告白したりしていますが、『みんな水の中』の時点では、勇気が出なかった。だから柴崎さん偉いなと思いましたね。
【柴崎】 あれこそカミングアウトですよね(笑)。小説家なのに本が読めない。でもやっぱりそこが自分の大きな困りごとでもあったので書いておこうかなと。「家の中で立ち読みしてる風方式」が自分にはハマることにも気づいたので、そういうことも書きたかったんです。
私のほうは、横道さんの本を読んで、文学研究者ということもあって引用や構成がちゃんとしてるなあと感心しました。すごく整理して書かれていますよね。私は、今回の『あらゆることは今起こる』では特にですが、脳内多動をなるべく文章に残すよう、あまり整理せずに書いたんです。だからということもあるんですが、改めて読み返して、「いや、もうちょっと考えて書こうや」って思ったりして。
【横道】 その整理されきってなさに関係がありますけれども、柴崎さんのユーモア感覚が面白いですよね。私は結構ウケ狙いのわかりやすいユーモアを操ることが多いんですけど、 柴崎さんの本だと「ADHDだからそんなことはできないのだ(できるADHDもいます)」とか書いてあって、なんだこりゃって(笑)。
【柴崎】 いや、やっぱりツッコんでもらってなんぼですよね。私はツッコミの余地がある文章を書きたいんですよね。

文学作品に求めるのは、覚醒することか、混沌か

【横道】 柴崎さんは以前の講演会で「「私」という存在を一般に考えられているより、もっと曖昧なものだと理解している」とおっしゃっていましたよね。私も同じように思っていて。私というのは、もちろん自分自身もでもあるんだけれど、ある意味、他者の集合体みたいな面がある。『みんな水の中』では「自己=間主観性」という定式で表現しました。
【柴崎】 そう思います。人間ってそんなにかっちりくっきり、個人として独立しているものではなくて、その日の天気にだって影響されますし。
本をたくさん読んでると、その中に書かれていることが自分の記憶みたいになっていきます。私という存在はそういうことで成り立っているので、自分がくっきり独立した1人の人間、「確固たる私」みたいなものが一貫してある、というふうには思えない。というか、そうじゃないところが面白いなと思っています。
【横道】 今回の本のメインメッセージは、「自分の中に複数の時間が平行して流れている」みたいな話だと思うんですけど、 その並行して走っている時間にしても、それぞれは他者と共有されたものだということが多いですしね。
【柴崎】 ああ〜そうそう、そうなんですよ。他者と共有されてる時間の間に、自分が存在している。そう、重なり合ったりしてるところに自分が存在してるっていう感じがすごいします。
【横道】 あと、「はっきりした面白い服が好き」っていう小ネタわかります。これもK Y的になるという発達障害の問題なのか、「ウケ狙い命」の大阪人の問題なのか、はっきりしませんけど。今日はほら、チンアナゴのTシャツを着てきたんですよ(笑)。で、びっくりしたのが、柴崎さんてぼーっとしているように見えるのに、会った瞬間私のTシャツをさっと指差して「チンアナゴ!」って。
【柴崎】 めっちゃ気になりました(笑)。
ADHDって注意散漫だから、動いてるものや目立つものにぱっと意識が向くんですよね。なので、面白い服は気になります。目ざといことと不注意が同居している。
【横道】 わーっと思考が動いてるから、ある時、ぱっとひらめいたりするんですよね。
【柴崎】 でも肝心なことは忘れてたみたいなことが同時にあって、ずっと混沌としてるのがADHDかなって思います。
【横道】 好みの文学作品については、私と共通点もあり相違点もあり、というところでした。柴崎さんは夢野久作の『ドグラ・マグラ』とか、ガルシア・マルケスでも『百年の孤独』より『族長の秋』が好き、とか。私はどちらもイメージは好きなんですけど、読むのにやはりすごく苦労しました。
【柴崎】 ごちゃごちゃしたものの方が好きっていうのはありますね。
【横道】 その「ごちゃごちゃしたもの」との関わり方が面白いですね。例えばフィリップ・K・ディックが柴崎さんがお好きっていうのは、私も一緒なので、よくわかるんです。予定調和ではない作品世界、使い古された言葉ですけど「不条理」な作品世界にリアリティを感じて納得しやすいということ。それって、ある意味ではもっとも文学的な感性じゃないですか。
だけど、どこらへんまで混沌を愛せるか、っていうと、同じ発達障害者でも、だいぶヴァリエーションがあるだろうなと思うんです。
【柴崎】 それは私もすごく思います。『みんな水の中』が良かったのは、ASDもADHDも両方あるっていうところで、ASDの方が強めだけどADHD要素も結構あって、その両方が書かれてたところが、私にはとても面白く読めたんですよね。
私はASD要素もあるけど、ADHDが強い方なので、横道さんの本を読んでると「めっちゃわかる!」っていうところと、「すごく違うな」っていうところ、「私はそこまでではないけど、でもわかる」というところと、いろんな部分があって、そこもすごく面白いんですよね。
【横道】 柴崎さんは私の本を読んで一種の当事者研究をした、ということですよね。もちろん私にしても、柴崎さんの本から「なるほど、こういうパターンもあるのか!」と、さらに自己理解を深めることができました。私はふだん自助グループをたくさん主宰していて、たくさんの発達障害者と交流してきましたが、参加者のなかに芥川賞作家が混じっている、みたいなことは一度も経験していないので、 今回の本はすごく稀なケースとして勉強になりました。
【柴崎】 なぜか芥川賞と直木賞だけ「〜作家」ってプロフィールに肩書きとして付くのは謎なんですけど(笑)。
【横道】 ははは、そうですね。純文学の世界だと、中堅作家や大御所に与えられるハイレベルな賞がいくつもあるのに、なぜか新人賞の芥川賞と最高峰のノーベル文学賞ばかりが注目されがちですね(笑)。
柴崎さんと私の感じ方がはっきりと違うかもしれないところは、私が文学作品に何よりも求めてしまうのは、覚醒作用ということなんです。ハッとしてから世界がクリアになったりすることが快感なんですけど、柴崎さんはおそらくその逆なんですよね。混沌に惹かれる。
【柴崎】 そうですね。ハッとしてクリア、みたいなことももちろんたくさんあるんですけど、それもありつつ、でもわからないものが好きっていうのがあって。
ガルシア・マルケスの『族長の秋』なんかが好きなのは、読んでいて「これ何の話やねん」って思うんですよね。
【横道】 ツッコミのセンスを求められるやつですね。
【柴崎】 そうですね。途中で何の話かわからなくなる小説が好きなんですよね。わからないことに対する興味が多分強いんだと思います。
『あらゆることは今起こる』でも紹介しましたが、シオドア・スタージョンの『昨日は月曜日だった』っていう短編があって。世界は常に数秒ごとに作り直されていて、人間はそれを知らずに次々とその世界を移動しているんだ、という話なんです。そして、時には作り間違いがあって、だから急にものがなくなったり、それ知らない、なんてことが起こるんだと。
ADHDの私にとっては、よくものがなくなったり、自分だけ人の話を聞いてなかったりするのは、誰かの意図や自分の失敗のせいではなく、世界のエラーなんだって思うほうが気が楽なんでしょう。だから混沌とした世界に心惹かれるのかなと思います。
【横道】 俗な見方かもしれませんが、それはご自身が周囲に理解されにくいということと、やはり関係があるのでしょうか。
【柴崎】 もちろんあります。私はずっと、自分は人と違うと感じていたので、そういう自分がいても大丈夫だと思える場所、いろんな人が出てきて、こういう人もいてもいいんやって思えたのが、小説の中の世界だった。
あとは大阪ですね。大阪の繁華街を1人でうろうろするがすごく好きだったんです。ああなんかいろんな人おるわ、適当でええねんな、と思えるから。それに似た感じですね。
【横道】 私の場合は、宗教2世体験であるとか、PTSD的な症状のために、混沌としたものが怖くて、それを解消したいという思いがすごく強いんですね。混沌としていると将来への展望が開けなくて、希死念慮が湧いてくるんです。一方では文学の専門家として、混沌としていて安易じゃないものを愛してはいるんですけれど、他方では深い混迷に耐えられない。私が特別愛好する作品は、エピファニー(啓示)の瞬間があるとか、神秘主義的な内容のものがほとんどです。おそらくそのような覚醒を求めて、アルコール依存症にもなってしまったわけですけど。
【柴崎】 生育歴によってそういうことは違ってきますよね。でも、根本はすごく近い。発達障害があると、自分は他の人と違うとか、うまく世界に入れないみたいな経験を重ねていくことになりますが、そこでやっぱり、今横道さんが言われた希死念慮的なものが、私にもあるといえばあって。
私は普段は、発達障害があることをちょっとユーモラスに語ったりして、そこまで辛くはなかった気もする一方で、すごくしんどかったっていう気持ちもあって。
そのしんどさについては、横道さんの本を読みながらいろいろと考えました。
よく横道さんは「異星人」と表現されてますけど、私は自分のことをわりと早い段階で、「人間にちょっと足りてない」っていう感じがしていたんですよね。いろんなことができないし、できないことですごい怒られたり、理不尽な目にあったり。横道さん、ちょっと年下だからわかるかな、『妖怪人間ベム』ってあったでしょう。
【横道】 これは驚きました! じつはいま作ってる本で、まさにその『ベム』への共感をあとがきに書いているんですよ。
【柴崎】 あれ、オープニングで「早く人間になりたい」って言うじゃないですか。
【横道】 すごくわかるなあ(笑)。
【柴崎】 めっちゃ気が合いましたね(笑)。

「あらゆることは今起こる」という感覚について考えていく

【横道】 『あらゆることは今起こる』というタイトルは、非常にインパクトがあって、納得させられました。このアイデアは、おそらく哲人皇帝として知られるマルクス・アウレルス・アントニヌスにさかのぼると思うんですね。彼は『自省録』で、「本当は現在しか存在しない」と書いているんです。例えば今死ぬとしても、それは「現在」が脱落するだけであって、過去も未来も関係はないんだ、なんて大胆なことを言っています。
同時にもう1つ、この本のメインメッセージに対して私として強く感じたことがあって。柴崎さんは、「あらゆることは今起こる」と多分すごく関係しているとしている考えが、「場所にしても時間にしても、人間は2か所に同時にいることはできない」ということだって書いているじゃないですか。
【柴崎】 はい。できないですよね。
【横道】 それで、実は私自身はそれができるという感覚でいるんです。
これはなぜかというと、ひとつには私は自助グループで大量の自分の分身に出会ったわけですよ。それで数年前から、自分は複数の時空に存在しているというような感覚が芽生えてきた。
そして、私はPTSD的なフラッシュバックに頻繁に巻きこまれているので、時間や空間の感覚が特殊なのかもしれません。自分自身が複数の時空の座標に点在している感覚がある。
【柴崎】 先日、斎藤環さんとトークイベントをした時に、斎藤さんが私の『わたしがいなかった街で』の解説でカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を引用したことについて話したんです。『スローターハウス5』は、ビリーというアメリカ兵が、すべての時間を見渡せるトラファマドール星人と出会って、人生のいろいろな瞬間を行き来する小説ですが、ヴォネガット自身が第2次大戦中にアメリカ軍の兵士としてドイツでドレスデンの爆撃を経験して、そのトラウマ的なフラッシュバックで、それこそあらゆることが同時に起こっているような時間感覚があったんじゃないか、と。
私もその感覚に近いものはあるんです。でも多分、自分の身体の存在が「今ここ」みたいになっている方に重心があるのかもしれません。自分が同時に別の場所にもいるような気もするんですけど…うん、難しいですね。これはまだまだ、小説を書きながら考えていくことやなと思っています。
【横道】 私は『みんな水の中』を出してから、現在までに3年2か月なんですけど、この間、単著で書いた本と、私が中心になった共著・編著だけで22冊あるんです。
【柴崎】 そんなに! 私は20年かかってそれくらいです(笑)。
【横道】 それは結局、私の著述活動全体が『みんな水の中』を中心とした銀河系なんですね。ホワイトヘッドが言った「全西洋哲学はプラトンへの脚注」というのと同じようなことが、私の『みんな水の中』を中心とした執筆活動に起きている。それで思うんですけど、柴崎さんにもぜひ『あらゆることは今起こる』を中心とした銀河系を作ってもらえると、ワクワクするんですね。
【柴崎】 はい。書こうと思っています。
でも注釈っておっしゃいましたけど、いろんなタイプの本を出されてるじゃないですか。それがすごいなと思って。ケアに対応する本、自助グループの人にお話を聞いた本、横道さんが書かれた小説に解説を加えた本と、いろんな入り口、道筋をつくられている。
【横道】 書き手のスイッチって、それぞれバラバラだと思うんですけど、私の場合には、スタイルのオリジナリティがトリガーなんですよね。できれば世界で初めてというタイプの本を書きたい。それは高望みでも、日本初の本をぜひ書きたい。それでも高望みなら、少なくとも自分の過去の著作にはなかったスタイルの本を書きたいという思いがあって、そういうのが書けそうと感じたら、執筆作業に入ります。
【柴崎】 私も前書いたのとなんか同じことはやりたくないっていうのはありますね。
小説形式の『海球小説』はすごく面白く読ませてもらいました。この前トークイベントした山本貴光さんが、理系であまり小説読んでこなかったっていう学生に、「小説っていうのは他人シミュレーター、他人を経験できるシミュレーターだよ」って言ったら、「そういうことですか!」みたいな感じで読んでくれるようになった、ってお話されてたんですが、本当に『海球小説』は他人シミュレーター。「地球」を「海球」に置き換えたタイトルに象徴されるようにいろいろな状況を反転させて、発達障害の人が置かれてる状況を体験、シミュレーションできるんですよね。
(ここでビールが届く)
【柴崎】 2杯目? 3杯目ですか?
【横道】 この会場、「本屋B&B」とは「ブック・アンド・ビア」のことですから、この書店のアイデンティのために飲んでます。良かれと思って(笑)。でも以前、荻上チキさんとここで対談した時は7杯目までいって、それはさすがに反省しました、
【柴崎】 よかれと思って(笑)。私は飲むと眠くなるタイプなんで、イベントの時は飲まないんですけど、終わった後で飲みますね。

発達障害で“遭難”しないための地図をつくる

【柴崎】 私も、発達障害とは別のことでグループカウンセリングに参加してた経験があるんですけど、そういうところで話していると、他のところではわかってもらえなかったことが通じるみたいなのはありますよね。
【横道】 私の場合だと、自助グループを見学に来た定型発達者が、もうほとんど逆に発達障害者に見えることをいつも楽しんでいます。発達障害者が多数の世界に少数の定型発達者が混じっていると、すごくKYなんですよ(笑)。
【柴崎】 ですよね。「何言ってんねやろ」みたいになる。
【横道】 発達障害者は同じような感じ方をして、同じような体験を重ねて、同じような考え方になっていることが多いですからね。だから集まると同調して共感し合う。「発達障害者は空気が読めない」という言説は嘘だらけです。
【柴崎】 そうそう! めっちゃ共感してるんですよ(笑)。
【横道】 あと私、柴崎さんにどうしても聞きたかったことがもう1個あって。人間の顔って認知できる方ですか?
【柴崎】 私はまあまあできる方だと思います。
【横道】 私はASDに典型的な失顔症(相貌失認)がはっきりあって。むかしは、なかなか新垣結衣と綾瀬はるかと長澤まさみの区別がつかなかったんですよね。
『寝ても覚めても』に、ちょっとそれっぽい展開があるじゃないですか。「この人、亮平じゃないやん!」という衝撃的な場面。
【柴崎】 自分の記憶が信用できない、みたいな感覚はあると思います。
相貌失認については、先日対談した方がめっちゃそうで、自分の弟ですらちょっと怪しい、っておっしゃってて。家の中にいたら確実に弟やなっていうことがわかるけど、電車の中とかだと、「弟」と認識される容貌の人がいても、至近距離まで行かないと確信が持てないんだそうです。
【横道】 その感じ、私はすごくわかりますね。
ASDやADHDの困りごとは、本当に多様で、運動にしても、体全体を使う粗大運動と、手や指先を使う微細運動についても、一人ひとり問題が異なりますよね。柴崎さんは全身運動が苦手で、指先なんかはあまり問題ないんですか?
【柴崎】 どちらかというとそうですね。でも、蓋は閉めにくいんです。横道さんは蓋閉められますか?
【横道】 そうですね、一応は閉められますけど、でも私はどちらもダメな方です。『ドラえもん』ののび太って、運動が苦手ですよね。だけどあやとりや拳銃は得意でしょう? 映画なんかではいつも、次元大介以上の射撃の名人なわけですよ。私は両方できない、だから運動音痴ののび太に親近感を抱きつつも、その手先の器用さを妬んでいました(笑)。
【柴崎】 なんやねんこいつ、みたいな(笑)。
ADHDの「注意欠如・多動症」だって、注意欠如と多動が一緒でいいのかっていうのもありますよね。私は「動けない多動」で、1日にできることがすごく少ない。あれもこれもやろうと思ってたのになんにもできない、っていうのが困りごとで、体力もないし、すぐに疲れてしまうんですけど、めちゃめちゃ体力があって動ける多動の人だと、むしろやりすぎることが困りごとになる。
【横道】 ニューロダイバーシティ論の第一人者で、発達障害児の支援をしている村中直人さん。私は非常に親しい関係なんですが、ADHDは今後、分割されていくんじゃないかって予言をしています。現状では、あまりにも多様なものがごっちゃにされているんじゃないか、と。かつてサブタイプが解消されて、自閉スペクトラム症に統合されたのとは逆の動きがADHDに起こるんじゃないかという推測です。
【柴崎】 横道さんの本を読んで、私も子供の頃のことをいろいろ思い出しました。最近出された『発達障害の子の勉強・学校・心のケア〜当事者の私が今伝えたいこと』という本がありますよね。めちゃくちゃよかったので、その話していいですか。
【横道】 ありがとうございます。私も『みんな水の中』のあとでは、あれが1番スマッシュヒットかになるかと期待してたんですけど、売れてません(笑)。
【柴崎】 はい、さっきそう聞いたので、めっちゃ宣伝します(笑)。
特に子供がいる人、身近に子供がいる人はもちろん読んでほしいんですが、大人になってからでもすごく役に立つことがいっぱい書かれている。今を生きるいろんな人に必要な本です。
【横道】 あらゆる柴崎友香ファンにおすすめできる本です(笑)。
【柴崎】 そうですそうです、本当にそうです。
例えば、「正しい教育では、1人の子供を他の子供たちと比べません」と書かれています。ほんまにそうですよね。
「通知表は困っていることを知るためにあるのであって、絶対的評価じゃない」とか。これもほんとにそうですよね。
教育は本来、子供のためにあるものじゃないですか。それが今は「この規格に当てはまらなかったらダメ」みたいになっていて。できるためにどうするか、変な日本語やけど「できなさい」っていうのしかなくて、「できない時にどうするか」っていうのは全然教えないんですよね。むしろそちらのほうが生きていく上では大事かもしれないのに。
規格に当てはめるために努力しなさい、努力すればできるはず、みたいなのが強すぎて、本当にしんどいなと思う。
この本では「こういうやり方もこういうやり方もありますよ」っていうのが、すごく丁寧に書かれていて。
【横道】 私の本って本当にいいことばっかり書いてますよね(笑)。
【柴崎】 やっぱり発達障害の子供って、“遭難する”リスクが高い。そこで遭難しないように、というか、しかかった時にどうするかを考えないといけないっていうことが、この本には書かれていて。この表現は、私が『あらゆることは今起こる』の中で、自分が発達障害の診断を受けて以降いろいろと考えたことを、「地図をつくっていく」と書いたのと通じるなと思いました。
地図があると、遭難リスクを下げられます。それは、「絶対山に登らないといけない」ということではなく、「私はやめときます」みたいなこともできるようになるということ。
横道さんはこの本を「叩き台」と書いていらっしゃいましたが、本当にいろんなことが詰まった、全員読んでほしい1冊です。読んでください。売れてください(笑)。
【横道】 ここまでこの本を推してくださるとは感激です(笑)。今日はすごくいい対談になりました。ありがとうございました。
【柴崎】 いいお話ができましたね。ありがとうございました。

(2024年7月8日本屋B&Bにて。構成・剣持亜弥)

柴崎友香(しばさき・ともか)
1973年、大阪府生まれ、東京都在住。大阪府立大学卒業。 1999年「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」 が文藝別冊に掲載されデビュー。2007年『その街の今は』 で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、 咲くやこの花賞を受賞。2010年『寝ても覚めても』 で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。 その他に『パノララ』『千の扉』『待ち遠しい』『百年と一日』 ほか、エッセイに『よう知らんけど日記』など、著書多数。最新刊の『続きと始まり』で芸術選奨文部科学大臣賞、谷崎潤一郎賞受賞。

横道誠(よこみち・まこと)
京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。 文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『 みんな水の中─「発達障害」 自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!─ 当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『 イスタンブールで青に溺れる─発達障害者の世界周遊記』(文藝春秋)、『発達界隈通信─ ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『 グリム兄弟とその学問的後継者たち―神話に魂を奪われて』(ミネルヴァ書房)、『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』(大和書房)、『アダルトチルドレンの教科書』(晶文社)ほか多数、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち─# 宗教2世に信教の自由を』(明石書店) がある。