【全文公開】魔女たちの選挙――近藤銀河『フェミニスト、ゲームやってる』より
あなたが過去と未来を作り変えられる
魔女になれたら?
──『コズミック・ホイール・シスターフッド The Cosmic Wheel Sisterhood』、やってみた
クィアな誰かを歴史の中に探そうとすることは、ときに困難を伴う。そこには歴史の断絶があるからだ。
大きな歴史だけではない。個人史でも、本人にとって過去は存在しない空白であったり、あるいは複数のバリエーションをもっているかもしれない。かくいう私も、過去が空白と空想のあわいにあるものに感じられることがある。
過去が瑣末(さまつ)なわけではない。むしろ、過去へのつながりを考えたいからこそ、過去の断絶が際立って現れてくる。クィアな過去を知ろうとするほど、クィアな存在の記録を抹消し、過去を作る権力の差別性が現れてくる。過去の空白が現れるのは、過去を求めた結果でもある。
過去の空白に対峙するには想像力を使うしかない。今という時間から想像するしかない。
それは過去を作る機構に変化を求めることでもあり、生み出される変化は今を変え、未来へつながるだろう。そこでは未来も過去もある程度の創造性を帯びてくる。
とはいえ、多くのSF作品などでも示されてきたように過去を想像/創造することは今と未来を危険にさらすことでもある。
今回は、想像の可能性とリスクについて考えながら、タロットカードで過去と未来を占うゲーム『コズミック・ホイール・シスターフッド/ The Cosmic Wheel Sisterhood』をやっていく(以下、同作のタイトルを『コズホル』と略記します)。
自分でタロットカードを作り出す
『コズホル』は魔女となって占いをしていくゲームだ。ドット絵のグラフィックが少しノスタルジックだけど、物語にはSFの色も濃い。この世界の魔女たちは宇宙空間に住まう超越的な存在として、魔法を研究したり、植物を育てたり、各々(おのおの)が好きなように暮らしている。
主人公のフォルトゥーナは、タロットを使った占いを得意とする魔女だ。しかし彼女が属していたコヴン(魔女の互助組織)の滅亡を予言してしまった結果、コヴンから追放されタロットカードも剝奪された状態で、小惑星への千年間の流刑を言い渡されてしまう。
しかし孤独すぎる生活に耐えられなくなった彼女は、流刑二百年目にして禁断の存在ベヒモスのエイブラマーを呼び出し、契約を結ぶ―というところからゲームは始まる。
ベヒモスは、フォルトゥーナが住んでいる二階建ての家と同じくらい巨大な、宇宙創成の前から存在する超越的な生物(生物なのかどうかも怪しい)だ。強大な力をもっているが意外とユーモラスで、人間との交流を好んでもいる(ちょくちょく挟まれる彼との会話も面白い)。フォルトゥーナはそんなベヒモスとの契約によって得た力で、奪われたタロットの代わりにオリジナルのタロットカードを作っていく。
これはゲームのコアとなるシステムでもあって、プレイヤーはさまざまな絵を組み合わせて自分のオリジナルタロットを作ることができる。どの絵もドット絵で可愛らしく、また図像は神秘的で不気味でもあり、それらを拡大縮小やコピーなど色々な機能を使ってオリジナルのカードを作っていくのはとても楽しい。
カードに使える図像には、宇宙飛行士からSMの女王まで幅広いものが用意されていて、それぞれには異なる意味や象徴が付与されている。そうした絵を用いて作ったカードにはそれぞれまた異なる意味が与えられる。
ちょうどフォルトゥーナがベヒモスを呼び出し自分のカードを作りはじめたのと同じ頃、魔女間トラブルを調停する裁定機関がフォルトゥーナに人々と交流する許可を与える。千年の流刑はあまりにも過酷で、苦しみを募らせた魔女が危険な存在になるかもしれない、というのがその理由だ。
魔女たちのシスターフッド
こうして魔女フォルトゥーナの新しい人生が始まる。
ゲームの基本的な流れは、小惑星にある自宅に訪問してきた魔女たちを自作のタロットで占っていく、というものだ。フォルトゥーナを訪ねる魔女たちは、悩みや課題を抱えていて、フォルトゥーナはカードによる占いで彼女たちの手助けをしていくことになる。
たとえば、フォルトゥーナと同じくベヒモスを召喚してしまった魔女のグレーテ。彼女は魔法建築家で、神殿を作ってはその中で瞑想しながら宇宙の意味を考えつづけていた。ある日通常の建物に限界を感じた彼女は、ベヒモスを呼び出しその力で新しい建築を作ろうとするが、ベヒモスに体の一部を乗っとられてしまう。
フォルトゥーナはグレーテのために、彼女の宇宙の意味を考えるという探求が達成されるか、また、ベヒモスにどう対処すべきか、という二つの問いを占(うらな)うことになる。
カードを使った占いは、『コズホル』の特徴的なシステムだ。実際に自分で作ったカードで構成されたデッキを使って予言をしていくのは、今までのゲームでやったことのない本当に独特な面白さがある。
占いの工程は複雑なものではない。ランダムに出てくるカードを、いくつかある質問のどれに対する答えかを決めて(グレーテの場合は探求かベヒモスのいずれか)、そのカードの意味をいくつかの選択肢から選ぶ、という二つのステップで占いは行われる。どのカードを質問の答えに選ぶか、どんな意味を選択するかで物語は大きく変わっていく。
本編の大部分をしめるこうした占いの面白さは、本作のタイトルにシスターフッドとあるように、女性同士のやり取りと協力から来るものでもある。
本作にはたくさんの女性たちが登場し、ときにフォルトゥーナは彼女たちを助けたり、対立したり(!)して関係を築いていく。女性たちの関係性の描写がまだまだゲームには足りていない感じがする私には、『コズホル』で描かれる彼女たちの交流は本当に楽しいものだった。
トランジションする魔女
本作に登場する魔女の中には当然、トランスジェンダーの魔女も登場する。
ゲームでは彼女が魔女になる前の姿が描かれる。その頃の彼女はカムアウトすることができず、デッドネーム(トランスジェンダーの人々が名前を変える前の名前のこと。それで呼ばれるとトランスの人に大きな苦痛を与えることがある)で人々に呼ばれていた。
そんな彼女だが、ある日すべてに嫌気がさした瞬間に、魔女に選ばれる。とはいえ、いきなり魔女に選ばれて彼女も困惑しているし、どうすればいいかわからない。魔女に選ばれた人間は自分がどんな魔女になりたいかを決めなければならない。
ここで描かれる魔女に変身する過程の描写は、明らかにトランス女性のトランジションをベースにしている。魔女になるということは、自分がどんな姿でありたいかを考え、その姿に変身することでもあるのだという。『コズホル』におけるこうした魔女のあり方自体がすでにトランス的な感じもする。
しかし、フォルトゥーナのもとを訪れた彼女は、どんな姿のどんな魔女になりたいか、その像を思い描くことができない。また、どんな名前で呼ばれたいかも決められない。
フォルトゥーナはそんな彼女に過去のことを聞いたり、好きな物事を聞いたりしながら、少しずつ一緒にどんな姿になりたいかを考えていく。
それは、たくさんの過去からいま必要な過去を選び出し、望む未来を考えていく作業だ。カードによる占いも同じ役割を果たす。そこでは未来は選択可能なものとしてあり、それは運命のように定まっていない。
占いによって未来や過去を作り出すという、本作のコアシステムと、クィアな人物が重なる場面でもある。占いを終えて、彼女は自分のなりたい姿を想像し、勇気を得て、魔女としての姿を獲得する。私がプレイした時には彼女は唐辛子を操るホットな魔女・ペッパーマンサーになった。私がこのゲームで一番好きな場面でもあり、このゲームの占いの役割の重さを痛感する場面でもある。
過去と未来を想像し創造する
『コズホル』の占いの描写で際立っているのは、過去や未来を運命ではなく変化しうるものとして描いているところだ。
プレイヤーは出てきたカードにただ従うのではなく、それを解釈する自由が与えられている。ときには同じカードに対して、相互に矛盾する解釈の選択肢が現れることもある。フォルトゥーナは過去のことを占うこともあるけど、そのときにもカードの解釈の幅はじつに広い。
実際のところ、フォルトゥーナの力は運命を読み解いているのではなく、カードを介して未来や過去を変える力なのだと物語の中盤で明かされる。
未来や過去をラディカルに変化しうるものとして描くのは、本作の最もスリリングな点だ。そこでは過去さえも、本質主義(なんらかの属性や物事と結びついた性質を動かしがたい本質だとするような考え方)を肯定する根拠とはならない。自分自身の過去がどのようなものであったのかさえ、粘土のような可塑的なものになる。
クィアなゲームの過去改変
本作のヴィジュアルスタイルも、そうした可塑性が関わっているように感じられた。本作だけではないが、クィアなゲームはときに80年代、90年代のスタイルを取ることがある。
ドット絵であったり、粗いポリゴンのようなノスタルジックなスタイルのゲームを本書ではこれまでもいくつか紹介してきた。
それは過去を実際に改変しようとするゲームたちだと私は思う。ドットやポリゴンのビジュアルが最盛期だった過去の時代に、そんなにもクィアであってくれるようなゲームはなかった。そんなにもフェミニズムを考えたゲームはなかった。
けれど、もしそんなゲームが過去にあったら。90年代にそのようなクィアなゲームがあったら。その夢想が、古いスタイルのヴィジュアルをあえて使う背景にあるように思える。
もうあまり覚えていないけど、私もそうしたゲームを子供時代に望んでいた。クィアなレトロな見た目のゲームはかつてあったかもしれない願望を満たして、世界を少し書き換えているのだと思う。
選挙とコミュニティに対する倫理
しかし過去や未来を変える力は危険なものでもある。
過去や未来を決めてしまうことはどこまで許されるのか。どうやって運命を作り出すことの責任を取ることができるのだろうか。
実際、過去への可塑性は当然ながら歴史修正主義と裏腹なものでもある。過去に干渉するときには、危険もつきまとう。本作の中盤から、そうした過去と未来の取り扱いの重さが次第に問われていく。
フォルトゥーナの力が過去や未来を変えるものであることが明らかにされたあと、彼女を追放したコヴンの独裁的な長だった魔女が死に、後継者を決める選挙が始まる。
選挙という場でフォルトゥーナのカードを使った力はきわめて強力に作用していくことになる。フォルトゥーナとプレイヤーはコミュニティに対する倫理的な責任を感じ、悩み、苦しみながら、未来や過去をどう読み解き作り出すかを選択していく。
選挙にはフォルトゥーナのふたりの友人が出馬する。ひとりはある程度の刷新をしつつ保守的な路線を受け継ごうとする。もうひとりはもっと開かれたコミュニティを志向する改革路線を打ち出す。
フォルトゥーナ自身が政策を作って選挙に出ることもできる。コミュニティにとってなにがいいのか、どんな人々がコミュニティにいるのか、それを考えながらカードと未来や過去と向き合っていくこの場面はゲームのハイライトだと思う。
選挙の結果を占って決めてもいいのか。他人の過去を読み取り捏造することはどうだろうか。コミュニティに新しくやってくる人々をどう受け入れるか。選挙の中で女性たちは自分の意見を打ち出し政治を行い、ときに対立しながらも友情を信じながら語り合う。この作品におけるこうした選挙の描き方は、女性たちの差異と討論をしっかり盛り上げつつ、単純な対立に還元しないもので、とても好きなものだった。
もちろん、コミュニティを解体し、新たに個人間の協力体制へと変化させていく、なんて選択も最終的にはありえる。そういうところもこのゲームの良いところだ。
そしてここでは、コミュニティや人々にとってなにが良いのか、という倫理的な問いが物語を駆動させる。過去と未来に向き合うゲームのシステムが常に倫理的な問いとして立ち現れることになる。
それは実際の歴史でもそうだろう。過去への想像は常に政治的なものでもあり、過去を語るときに倫理的な問いはついてまわる。選挙をめぐる物語はそのことも突きつけてくる。
本質主義と性愛規範への疑問
しかしやはり歴史を想像することは危険でもある。残念ながら本作もその危うさに取り込まれている部分もある。
たとえば魔女のあり方だ。私たちの世界では魔女はかつて迫害され、殺される存在でもあった。『キャリバンと魔女』(以文社刊)のように魔女への弾圧と女性についての研究書も少なくない。ゲームでは『ウィッチャー3 ワイルドハント』のように魔女の歴史を参照した作品がある。
しかし、そうした魔女の迫害に関する物事は、本作ではどこか軽く思えてしまう。魔女たちは強い力をもち、宇宙に暮らす存在でもある。彼女たちは地上にいることはほとんどなく、人間は本物の魔女を一度も迫害しなかったという説明がなされる。その説明はどこか軽いジョークのように語られていて、私は少し戸惑ってしまった。
また本作での魔女のあり方は本質主義的にすぎる。ゲームでは魔女は女性しかなれないことが説明される。別の場面では、魔女になる存在は地球の人間だけではなく、植物生命体の暮らす星や、女性が強い権利をもつ星の人々など、さまざまな存在が魔女になるとされ、実際にそうしたキャラたちが登場する。
だがほかの星や生命にも女性というジェンダーがあるのだろうか? あったとして、なにが女性というジェンダーを本質的に保証するのだろうか?
女性たちによる魔女のコミュニティはとても楽しいし、そこにトランス女性がいるのも嬉しい。そこにはもちろんフェミニズム的な会話も発生するし、文字通りシスターフッドの中でこうした魔女の不思議さは何度か言及される。それはゲーム外の世界で女性であることを祝福されない人に向けた祝福として、機能するのだろう。
けれども、女性であることを本質的に規定するような設定には、けつまずいてしまった。シスターフッドとされるものがもつ力は、ときに排除的になるからだ。
結果として本作には女性以外の、現実において周縁化されたジェンダーの存在は登場しない。その意味で、クィアな要素や人物はあるものの、クィアなゲームなのか、ということに対して疑問を挟まざるをえない。なぜならそのような存在が出る可能性は設定の時点で排除されてしまっているからだ。
そういった排除的な要素は、本作にあふれるセックスポジティブな姿勢にもある。セックスについて主体的というより、セックスの礼賛みたいなセリフも少なくなく、また恋愛しないプレイもできるものの、アセクシュアル差別としてよくある発言もとくに咎められたり疑問視されることもないまま流されてしまっていた。過去も未来も流動的な世界が根底にあるのに、性愛規範やジェンダーの本質主義がなぜ要請されてしまうのか。
クィアな人間にとって過去はときに想像することでしか得られない。クィアな存在はそもそも記録されていなかったりするし、そうした記録があったとしても、属性によってその多寡や掘り下げの度合いが変わってしまうからだ。
私たちの個人史も、ときにそうした可塑性を帯びるだろう。それは危うさもあるけど力にもなることであり、『コズミック・ホイール・シスターフッド』でもそうした力は描かれる。
そして過去が力になるのは、未来につながるものだからだ。現在と過去という二つの点があれば、その点同士をつないだ先に未来が現れる。だから過去は難しく、重要なのだ。
ぜひフォルトゥーナとなって占いをしながら、人々と関わることと過去や未来を想像することの重さを体験してみてほしい。
(本書は「はじめに」「#01(「ピクミン4」の章)」も公開中です)
『フェミニスト、ゲームやってる』
【DATA】
四六判並製 320頁
定価:1,980円(本体1,800円)
978-4-7949-7420-4 C0095〔2024年5月24日発売予定〕
ゲームをつくり、プレイし、プレイし損なう。そのすべてがフェミニズムの実践たりうると教えてくれる。
──三木那由他(哲学者)
遊び倒したはずのあのゲーム、俺は何も見てなかったのかも、と思い知る→またプレイしたくなる←批評の力!
──宇多丸(RHYMESTER)
バックラッシュを恐れぬ勇気、キレキレの知性、さらにゲームに最大限の可能性を見出そうとする愛に溢れた一冊だ。
──金田淳子(社会学研究者、やおい・ボーイズラブ・同人誌研究家)
「ゲームはフェミニズム的にもホットなメディアになっている」。フェミニストで歴史研究者、パンセクシュアルで車いすユーザーの書き手が、フェミニズムとクィアの実践の場となっているビデオゲームの世界の面白さを伝える、画期的なエッセイ!
「トラウマを語ったり、現実の世界の問題を考えたり、そうした行為を少しだけ遠く、少しだけコントロールできる状態でやっていく。ゲームのそんな機能に私は助けられてきた。そこでは自分にとってつらい問題を、距離をとりつつ思考することができる。この本も、誰かにとってそんな役割を持つことができたら、そしてそんなゲームを、フェミニズムを広めることができたら、そんなふうに考えながら今、書いている」(「おわりに」より)
【目次】
はじめに なぜフェミニスト、ゲームやってる
Ⅰ あの有名なゲーム
#01 かくして私は収奪と救出に失敗する
──「ピクミン4」、やってみた
#02 多様なキャラクターのシューターゲーム
──「スプラトゥーン3」「オーバーウォッチ」「エーペックスレジェンズ」、やってみた
#03選べない環境と自分自身のはざまで
──「ラスト・オブ・アス パート2」、やってみた
【コラム】ボーイズクラブとしてのゲームコミュニティ
Ⅱ クィアが活躍するゲーム
#04 大作ゲームの女性表象とクィア表象の歪みと良さを体現する
──「アサシン クリード オデッセイ」、やってみた
#05 ゲームの難しさがマイクロアグレッションを表現する?
──「セフォニー Sephonie」、やってみた
#06 クィアがオプションじゃない恋愛ゲーム!
──「ボーイフレンド・ダンジョン Boyfriend Dungeon」、やってみた
【コラム】語られるレイシズム・語られないセクシズム
Ⅲ マイノリティの日常を感じるゲーム
#07 トランスジェンダーの日常と過去の解釈
──「テル・ミー・ホワイ Tell Me Why」、やってみた
#08 バイセクシュアルの表象とモノの方を向くお引っ越しゲーム
──「アンパッキング」、やってみた
#09 トランスジェンダー男性同士の交流を描く
──「ペイトンの術後訪問記 Peyton’s Post-Op Visits」、やってみた
#10 卒業間近のノンバイナリーの学生たちの日常を活写する
──「ノーロンガーホーム No Longer Home」、やってみた
【コラム】成果を礼賛するゲームと差別の乗り越え
Ⅳ 80-90年代を描くゲーム
#11 90年代のZineとレズビアンの反抗物語
──「ゴーンホーム Gone Home」、やってみた
#12 クィアなミドルエイジ女性の過去・現在・未来を描く
──「レイク Lake」、やってみた
#13 トランスジェンダー女性記録を消しながら記憶をたどる
──「イフ・ファウンド… If Found…」、やってみた
【コラム】ゲームと障がいはじめに なぜフェミニスト、ゲームやってる
Ⅴ 歴史を想像するゲーム
#14 台湾の戦後と恐怖を再訪するホラーゲーム
──「返校-Detention-」、やってみた
#15 哀悼と歴史の可能性を考える
──「シベリア:ザ・ワールド・ビフォー Syberia: The World Before」、やってみた
#16 男らしさに呪われる運動家たちの殺人事件
──「ディスコ エリジウム Disco Elysium」、やってみた
#17 社会運動の理想と抵抗のあいだに…
──「スパイダーマン:マイルズ・モラレス」、やってみた
【コラム】オープンワールドと都市の遊歩者
Ⅵ ファンタジー世界を旅するゲーム
#18 ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー
──「ゲット・イン・ザ・カー、ルーザー Get In The Car, Loser! 」、やってみた
#19 過去と未来を作り変えられる魔女になってどうする?
──「コズミックホイール・ホイール・シスターフッド The Cosmic Wheel Sisterhood」、やってみた
#20 かつて私は、あのゲームの余白にフェミニズムやクィアを投影していた
──「MOTHER2」「ドラゴンクエストⅥ」「ファイナルファンタジーⅥ」、やってみた
【コラム】ゲームを作るフェミニストとクィアな人たち
おわりに フェミニストたち、ゲームやっていく
参考文献
さらにゲームを知るための文献リスト
フェミニストのためのゲームリスト