見出し画像

03 自分を喜ばせるための努力は楽しい

前回でお話したように、私が最初にスタジオを訪問した時には社交ダンスについてほとんど何も知らず、「スウィングとサルサだけを学びたい」という希望を伝えた。それなのに、「それではここに記入してくださいね」と渡された用紙には「どのダンスを習いたいですか?」「あなたのゴールは?」という詳細にわたる質問が並んでいた。

アメリカに住み着いて約30年。ほぼアメリカ人化している私なのだが、こういう場面に遭遇すると瞬く間に生真面目な日本人に戻ってしまう。

用紙にはスウィングとサルサのほかにワルツ、タンゴ、ウィンナ・ワルツ、フォックストロット、クイックステップ、アルゼンチンタンゴ、ルンバ、チャチャ、サンバ、ハスル、ボレロ、マンボ、バチャタ、メレンゲ、ピーボディ、ウエスト・コースト・スウィング、ナイトクラブ・ツーステップ、カントリー・ツーステップ、クラブスウィングといったダンスの名前が並んでいた。

私は「ワルツとタンゴは名前だけは知っているが、どんなダンスかと尋ねられたら答えられない。ほかのダンスはどんなものか想像もできない。知らないダンスは選べない…」と考え込んでしまった。学校を離れて40年経った今でも、「答えられる質問がない!」と焦るテストの悪夢をたまに見るのだが、その悪夢のように白紙で戻す恐怖が舞い戻る……。

「いや、これはテストではない。お金を払う私が学ぶことを決めればいいのだ」と気を取り直して「私はスウィングとサルサだけしか興味がない。でも将来的にはアルゼンチンタンゴをやりたいかも……」と書いて提出した。

せっかく質問に答えたのだから希望が通じていると思っていたのだが、いったんレッスンが始まったら、「今日はワルツとフォックストロットをやりましょう」と(私の希望などまったく無視して)異なるダンスを次々と教え込まれるのである。あの質問用紙はいったい何の目的だったのか、いまだに私はよくわからない。

私はこのダンススタジオを「近場であること」と「カスタマー評価が高い」という条件でグーグル検索して選んだので、これが世界最大の社交ダンス教育フランチャイズの「Arthur Murray(アーサー・マレー)」に属しているとは気づいていなかった。というか、ダンススタジオの名前はもちろん知っていたが、どんな場所なのか調べようとも思っていなかったのだ。後で知ったのだが、かのアル・パチーノやマドンナ、ジョン・トラボルタもここでダンスを学んだというくらいアメリカでは有名なダンス教育フランチャイズらしい。

これも後で知ったことなのだが、日本人の多くが踊っているワルツと私が踊っているワルツは同じダンスではないのである。こっちのほうが私にはショックだった。

「変だな」と気付いたきっかけは、YouTubeで観たイギリスや日本でのダンス競技だ。あちらは上級者なので「レベルが異なるからだろう」と最初は思っていたのだが、アーサー・マレーのダンス競技で上級者のダンスを観たら、やはり異なる。

そこでようやく調べて知ったのが、競技ダンスとしての社交ダンスには国際的に大まかに2つの主流があるということだ。ひとつはイギリスを中心に発展したインターナショナルスタイル(インターナショナル・スタンダードとインターナショナル・ラテンアメリカン)であり、もうひとつは北米を中心に発展したアメリカンスタイル(アメリカン・スムースとアメリカン・リズム)だ。日本での主流はインターナショナルスタイルらしい。

なぜゆえこのような違いが出てきたのかというと、アーサー・マレーなどのフランチャイズ・ダンススタジオが広めたアメリカンスタイルは、もともとはパーティなどの場での社交ダンスを目的としていたからだということだ。食べ物でもなんでもオリジナルに手を加えて「アメリカ式」を作ってしまうのがアメリカらしさだ。

最初にこれを知った時には「日本でダンスを習っている人と一緒に踊れない」とがっくりしたのだが、後になってインターナショナルスタイルに比べるとアメリカンスタイルは自由が多くて競技の場から社交の場に簡単に応用できる利点があると学んだ。これもアメリカらしさといえるかもしれない。

そういうところでの自由は良いのだけれど、アーサー・マレーのように巨大なフランチャイズの困ったところは、個々のスタジオでのカリキュラムの融通がきかないところだ。

私が知らなかった(というよりも「スタジオが教えてくれなかった」というほうが正しい)のは、アーサー・マレーには独自のカリキュラムがあるということだ。アソシエイト・ブロンズ(ブロンズ1,2)、フル・ブロンズ(3,4)、シルバー(1〜4),ゴールド(1〜4)というレベルがあり、アメリカン・スムース(ワルツ、フォックストロット、タンゴ)とアメリカン・リズム(ルンバ、チャチャ、イーストコースト・スウィング)というメインの6ダンスをすべて同等にマスターしないと次のレベルに上がることができないという掟がある。つまり、私が最初に望んだようにスウィングとサルサだけどんどん上達させてくれたりはしないのだ。

映画『Shall We ダンス?』(周防正行監督)で役所広司が演じる主人公の杉山正平が競技で踊っていたのはクイックステップだが、アーサー・マレーでは生徒が「クイックステップを学びたい」と希望してもフル・ブロンズに上がるまで「まだあなたはそのレベルには達していません」と教えてもらえない。それどころか、フル・ブロンズに上がっても、こちらから希望しないと教えてもらえない。

この規則を知った時に「騙された」と怒ってやめる生徒もいる。私も「なぜ最初にそれを言ってくれなかったのか?」とムッとはしたが、今振り返ると、知らなかったからこそ私は多くのダンスに触れる機会を得たのは事実だ。始めてから1年半経ったときに、最初の日に渡された用紙に記載されていたダンスのすべてをある程度は踊ることができるようになっていたのは、最初に騙してくれたからである。その点には感謝している。

学んでいくうちに「一番好きなダンス」や「得意なダンス」が移り変わるのも興味深い発見だった。

初心者の時は予想通りにスウィングやサルサが一番得意で、ほぼ強制的に学ばされたワルツやフォックストロットは大の苦手だった。「今日はスムースをがんばりましょう」と言われると「うえ〜」と意気消沈したくらいだ。でも、ブロンズ3に上がったとたんワルツは大好きなダンスに変わった。始める動機になったスウィングとサルサは今でも好きだし楽しいけれど「得意なダンス」とはいえなくなっている。

本当になんでもやってみないとわからないものだ。

やればやるほどいろんなダンスへの好奇心が出てくる。そして、好奇心が出てきたら、ともかくトライしてみることにしている。「いつかやろう」と後回ししているうちに筋肉が衰えてできなくなる可能性がある年齢なので、さっさと挑戦しておくことにしているのだ。そんな感じで、今ではアーサー・マレー以外にもアルゼンチンタンゴやリンディホップなど異なるダンスを専門に教える複数のスタジオに通っている。

「そんなにたくさんのダンスを同時に学ぶと混乱するんじゃないの?」という質問はよく受ける。でも、「競技で勝つ」という目的がない私のようなダンサーにとっては、ひとつのダンスに専念する意義はあまりない。それよりも、多様なダンスを学べば学ぶほど個々のダンスが理解しやすくなるという利点のほうが大きい。ワルツを踊っているときに先生から何かを言われて、「ああ、それはアルゼンチンタンゴの先生が言っていたあれと同じ!」と膝を打ったりする。そして「なあんだ。どんなダンスでも結局はダンスなのね」とニンマリするのである。

こういう余裕は、高齢になってから好きなことを始めた人に特有のものかもしれない。

歳をとるにつれ、「忘れること」や「できないこと」は増えていくけれど、「新たに学んだこと」や「できること」が増えた時の喜びは若い頃よりも大きいような気がする。親や先生の期待に応える必要はない。すべての努力が自分を喜ばせるためにある。朝起きた時の筋肉痛も、ダンスパートナーに足の指を踏まれた青あざも、すべてへっちゃらである。

他人ではなく自分を喜ばせるための努力というのは、なぜこんなに楽しいのだろうか?
「もっと早く知っていたらよかった」という気もするが、この歳になったからこそ理解できたというほうが正しいのかもしれない。