02 アメリカの社交ダンスは高齢者大歓迎!
前回でダンスを始めたきっかけを語ったが、私はいったんやると決めたらわりとすぐに行動に移すタイプである。というか、すぐに行動に移さないとやらない言い訳を作ってしまうので、自分にその暇を与えないようにしているのだ。
想像できる言い訳の代表的なものは「高齢者が社交ダンスを始めても、周囲と違い過ぎて浮いてしまうのでは?」とか「せっかく社交ダンスを習っても、踊る相手がいなかったら役立てる機会なんかないのでは?」というものだ。
まず私が子供の頃の「60歳」は立派な高齢者であり、肉体的にも精神的にも衰えた年寄りのイメージがあった。なにせ私たちがテレビで観ていた「サザエさん」一家のおばあちゃんである磯野フネは50代だったのだから、フネよりずっと年上の63歳で社交ダンスを習い始める未来の私なんか想像できなくて当然だ。当時は社交ダンスなんて耳にしたこともなかったので、たぶんシンデレラが王子様と出会った舞踏会を想像して「その歳でダンス習って何に使うの?」と疑問を抱いたに違いない。
「王子様に出会う」という目的でダンスを習うとしたら手遅れには違いないが、「高齢者が社交ダンスを習っても踊る機会などないから無駄である」という推測は間違っている。それについては別の機会に「Ballroom DanceとSocial Danceの違い」というテーマで詳しくお話するとして、年齢についても子供時代の私は大いに間違った推測をしていた。
60歳を超えた人は「よっこらしょ」と言わないと動けない老人だと想像していたが、自分が実際に60歳になってみると老人になった自覚は全然ない。精神的にはあまり変わっていないし、身体的にも若い頃よりむしろアクティブになっている。小学校時代には教師から「お前は学校で一番の運動オンチだ」と言い渡され、高校時代には短距離走中に自分で自分の足を蹴って転倒して体育の教師から「お前はふざけているのか!」と怒鳴られた私なのに、60歳の誕生日には8kmの早朝トレイルランニングを楽しんでいた。
鏡を見た時に頭の中の自己イメージとあまりにもギャップがあって一瞬ギョッとするけれど、数分後にはそのショックをほぼ忘れている。つまり心理的な回復力の速さ(忘れやすさ)は若い頃より確実に優れていると言える。
この精神的なフィットネス(単に厚かましくなっただけという見解もあるだろう)のおかげで、私は「63歳でダンスを始めるなんて恥ずかしい」という気持ちにはまったくならなかった。かえって「若い人だとすぐに上達しないといけないプレッシャーがあるだろうけれど、60を超えた私には誰も上達を期待しない。私にはズンバの経験があるから『その歳でそんなに踊れるなんて素晴らしい!』と褒めてくれるかもしれない。ふふふ」と勝手な想像をしていい気になっていた。
ところが私の期待は外れた。
最初の「無料お試しレッスン」でベテランのN先生のリードで15分ほど踊った後、”You are natural”(あなたは才能ありますよ)と言われた。そこですかさず「私もうじき63歳なんですよ!」と意気揚々と報告してみたところ、N先生は「その年齢でそんなに動けるのはスゴイ!」と褒めるどころか驚きのリアクションはゼロ。「そうなんですか」とそっけない返事が返ってきて、がっかりしてしまった。年齢差別があまりないのがアメリカの良いところだが、高齢者だからといって特別扱いしてもらえることもないらしい。
後で分かったのだが、このスタジオには社交ダンスの大会で常に上位に入るトップダンサーが何人かいて、彼女たち全員が50代から60代で私とほぼ同世代なのである。中には70代もいる。彼女たちは体操の側転もできるし、前後開脚も軽々とやってのける。だから初心者の私がワルツの曲に合わせてちゃんと「1、2、3」と足を動かすことができるのは(たとえ高齢者であっても)ちっともすごいことではなかったのだ。
幸いなことにこの時点で私はそんなことは知らず、先生たちはレッスンごとに「Great job!」と褒めちぎってくれるので舞い上がっていた。こういうアメリカ式だったからこそ、私は「私には才能あるかもしれない!」と勘違いして何も知らない社交ダンスの世界に足を踏み入れることができた。「褒め殺しで自信をつけさせ、ダンスの魅力に取り憑かれた後でビシバシ厳しく教え込んでいく」というのがスタジオのプランなのだが、私がそれに気付いた時には既に手遅れでダンス依存症になっていた。
「何も知らなかった」というのは本当のことで、私が最初にスタジオに足を踏み入れた時の社交ダンスの知識はほぼゼロだった。「どのダンスを習いたいですか?」というアンケートのようなものを渡されたのが、そこには知らないダンスの名前がずらりと並んでいた。スウィング、サルサ、ワルツ、タンゴはなんとなくわかるのだが、バチャタとかメレンゲとかは想像もできない。そこで私はスウィングとサルサだけ学びたい」という希望を伝え、俳優のように長身でハンサムなスタジオのオーナーのA氏は笑顔で「そうですか」と頷いた。だから私の要望は通じていると思いこんでいた。
ところが、いったんレッスンが始まったら「すべてのダンスにつながる基本ですから」とアメリカン・スムーズ(ワルツ、フォックストロット、タンゴ)に加えリズム(ルンバ、チャチャ)をどんどん教え込まれる。時々おそるおそる「スウィングとサルサを踊りたいんですけれど……」と言ってみると、「じゃあ踊ってみましょう」といきなり踊らされる。そして先生のリードに従って踊ると「基本はちゃんとできるじゃないですか。大丈夫」とまたもワルツやチャチャを踊らされる。
そんなこんなであっという間に6ヶ月が過ぎた時、A氏が再び俳優のような笑顔で「8月のダンス競技に出ませんか?」と持ちかけてきた。
「新しいことにチャレンジする」というのが今年の目標だし、好奇心もあるので「じゃあ一度くらいは体験してみるか」と承諾した。
びっくりしたのは、エントリーの下書きを見たときだ。ワルツ、フォックストロット、タンゴ、ルンバ、チャチャ、バチャタ、サルサ、スウィング、ウエストコーストスイング、ハスル、2−ダンスイベントなど合計27種目も踊るというのだ。
「バチャタとウエストコースト・スウィングはまだ習っていません」と指摘すると、「あと2ヶ月ほどあるから、今から習えば大丈夫」とA氏は平然としている。次に「27種目なんてたくさんすぎて踊れません!」と抗ってみても「1種目につき1分だから実際にはたいしたことはないのですよ。あなたならできます」と穏やかに説得されてしまった。
最終エントリーを記入している時にA氏が「Yukariは何歳ですか? 失礼かもしれませんが、エントリーに必要な情報なんです」とたずねた。「63歳です」と応えると、A氏は満面の笑顔になった。このスタジオが出場する社交ダンスは水泳のマスターズほど細かくはないが年齢区分があり、私はちょうどBからCグループに上がった年齢だったのだ。
スタジオ・オーナーは、私のカテゴリ(初心者レベルに匹敵する「アソシエイト・ブロンズ」)でCグループなら大会で上位に入る可能性が高いと思ったらしい。
私はそんなことは知らなかったのだが、知らなくて良かった。自分を含めて誰も何も期待していないという気楽さがあったので、初めての大会だったけれど自由に楽しく踊ることができたから。
楽しかったけれども、午前7時から午後8時過ぎまで競技場で過ごすのは疲れる。「2ダンスイベント2種目(タンゴ&ルンバ、フォックストロット&チャチャ)が終わったら即座に家に戻って寝たい」とばかり思っていた。
2ダンスイベントを終えてパートナーとして踊ってくれたN先生に「着換えてもいいですか〜?」とたずねたところ「受賞者の発表がもうじきあるからそれまで待って」と言われて〈私には関係ないことだから着換えさせてくれてもいいのに〉と少々むくれていた。授賞式が始まってもぼーっとして何の注意も払っていなかったので自分の名前が呼ばれた時にも最初は「(Watanabeの発音がイマイチだったので)なんか、変な名前の人がいるなあ」とぼんやり思っただけだった。パートナーのN先生とH先生に「名前を呼ばれたよ」と言われて慌てて一緒に審判の前に駆けつけたところ、アソシエイトブロンズのCグループで総合1位になったということでびっくりしてしまった。
嬉しいというより何事が起こったのかよく理解できなくて雲の上を歩くような感じで戻ってきたら、また連続で名前を呼ばれて表彰状をもらった。2ダンスイベントの2種目両方とも1位だったというのだ。
私が属するスタジオの50代、60代の数人が上級レベルで数々の賞を受賞し、A氏のスタジオは「トップスタジオ」のトロフィーを獲得した。
もしかしたらA氏は高齢者ダンサーをおだてて(騙して)育てる特殊な才能の持ち主なのかもしれない。高齢初心者の私を歓迎してくれた時のあの笑顔の意味がようやくわかってきた私である。