vol.4 歩く死体を追いかけろ!(前)――吉田悠軌の異類捜索記
「歩く死体」の話をしよう。
ただし、あの怪談は気がつくたび、さまざまなかたちへと姿を変えてしまう。いったいどの「歩く死体」から語りだせばよいのか……少々悩むところだ。
まあ、それはたいてい雪の山小屋から始まる。たとえば、こんな風に――。
* * *
とある山小屋にて、男二人の死体が発見された。二人とも銃で撃たれているが、特に争った形跡はない。また奇妙なことに、一人は自殺、もう一人は死後に弾を撃ち込まれたようなのだ。
現場に残された手帳には、震える筆跡で、ここ数日間の記録が記されていた。そのメモ書きから推測されたのは、以下のような事件である。
どうやら二人は測量技師で、山岳地帯での作業中、吹雪に巻き込まれたらしい。なんとか山小屋に避難できたのは幸運だったが、風と雪に閉じ込められるうち、一人は肺炎をこじらせて死んでしまう。「俺が死んでも一人ぼっちにしないでくれよ」と言い残して。
とはいえ密室の中、死体と二人きりで過ごすのは耐えられない。申し訳なく思いつつ、もう一人の男は、冷たくなった同僚を外に埋めてしまう。
ところが、である。朝になって目覚めると、埋めたはずの死体がきちんと椅子に座っているではないか。混乱しつつ、また埋めなおす男。しかし翌朝、同僚の体はやはり小屋に戻ってきた。埋めても埋めても、男が眠りから覚めるたび、死体は椅子に座っている。
度重なる怪現象に、男の精神は破綻をきたす。ついに男は同僚の体をライフルで撃ち抜くと、その銃口を自らにも向けたのだった。
数日後、彼らの遺体を発見した救援隊は、このような推測をした。おそらく「歩く死体」現象の原因は、男本人にあったのだろう。男は睡眠中、夢遊病者のように外に出て、自ら死体を掘り返し、小屋まで運んでいたのだ。相棒の頼みを無視した罪悪感が、そんな行動をとらせていたのかもしれない――。
* * *
怪談好きなら一度は聞いたことがあるストーリーだろう。日本では1980年代半ば頃から、現代怪談(あるいは都市伝説)として細々とささやかれていたようである。
たとえば『魔女の伝言板』(白水社)にも、「帰ってくる死体」と題された同様の怪談が紹介されている。ここで登場人物の無意識の行動を暴くのは、定点撮影している「ビデオカメラ」だ。同書では「1985年に当時二十代前半の女性から」採取した話と注釈されているが、この「1985年」という年は注目に値する。
「歩く死体」の物語は、密室空間と限られた登場人物、怨霊譚かと思いきや無意識の行動と判明する意外性(=非合理に見える設定から合理的解決へ)など、怪談というより推理ミステリーに近い。そうした構成上、オチの真相解明のための客観的視点、「記録媒体」が必要になってくる。
その要素をカバーするものとして、ビデオカメラの普及は好材料となった。ビデオに残された映像なら、メモを解読するよりもずっと「記録媒体」として確実な証拠だ。またラストの一瞬で真相が明らかになるため、話の運びもスムーズで、どんでん返しのインパクトも鮮やかになる。
ソニーがハンディカム第一号機「CCD-M8」を発売したのが、やはり「1985年」のこと。当時の日本こそ、この都市伝説を語るにはうってつけの環境だったのだ。
90年代に入ると、テレビ番組「世にも奇妙な物語」の一篇、『歩く死体』(1991年3月14日放送)として実写ドラマ化もされる。ほぼ同じ骨子の物語ながら、閉じ込められたのが恋仲の男女というところに独自性があった。私も小学生の時に視聴しているが、主演の渡辺裕之が恋人の凍死体にキスした瞬間、冷えて乾いた唇がペリッ……と持ちあがる演出が、妙に印象に残っている。
同回は好評だったようで、その後の映画版でも『雪山』としてリメイクされた(「世にも奇妙な物語 映画の特別編」2000年11月3日公開)。
雪山に墜落した飛行機事故の遭難者たちが体験する一夜、という筋立て。同じ雪山の都市伝説「スクエア」が組み合わされていたり、どんでん返しのラストがあったり、なかなか凝った構成の秀作である。ここにおいて「歩く死体」を主題としたストーリーテリングは、完成の域にまで達したといえよう。
ただ、私は当記事において、「歩く死体」がいかにして都市伝説として成長・洗練していったかを語るつもりはない。むしろあの話は、過去の原点にさかのぼってこそ、独特の異様さが際立ってくる。
いったい「歩く死体」とは、いつ、どこで、誰が、語りだした物語なのか?
その出生の秘密を探れば探るほど、なにやら不可解な闇にとりこまれていくような気がするのだ。
それを説明するために最適な例を出しておこう。
夢枕獏の「小説現代」での連載エッセイ『奇譚草子』である。1986年4月号掲載の回にて夢枕は、おぼろげに記憶している怪談として、「何度も雪の中に埋めた死体の話」を紹介している。
――しかし夢枕はこの話を、いったいどこで仕入れたのか覚えていない。もしかしたら山小屋にて、登山仲間から聞いた話かもしれない。とにかく何年もかけて調べているのだが、誰に聞いても、どの本をあたっても、出所がわからないのだ……という。
夢枕の述懐では、登場人物は冬登山のパートナー二名であり、相棒の死因も「病死」ではなく「少ない食料を巡っての殺人」だったとのこと。もともと「歩く死体」としてあった話が、アルピニストたちに「登山怪談」として広まるうち、そのような改変がなされたのかと思われる(ちなみに映画版「世にも奇妙な物語」『雪山』内で登場人物たちが言及するのも、このバージョンである)。
本文中にて夢枕は、この話の出所を知っている人は一報してほしい、と読者に依頼。するとコラム掲載から2ヶ月後、編集部に手紙を送ってきた人物がいた。文中では“Iさん”と紹介されているが、これはなんと当時の新進作家・井上雅彦のこと。
井上はS・H・アダムズ『テーブルを前にした死骸』こそが話の元ネタではないかと指摘。原著は1942年に発表され、日本では「怪奇小説傑作集 2」(創元社、1969年3月5日初版)に翻訳されている。これに夢枕も納得し、自分だって蔵書で持っているのになぜ気づかなかったのか……と悔しがった。当記事の冒頭で紹介したストーリーこそが、その小説の概要である。
まあ、これだけなら、新旧ホラー作家の微笑ましい交流に過ぎないだろう。しかし背筋が寒くなるのは、ここからだ。
どうも元ネタのはずの『テーブルを前にした死骸』ですら、筆者アダムズの完全オリジナルではないようだ、と井上は主張する。確かに同作冒頭には、この話が「いったいだれが、いつ、どこで発表したのであろうか」不明である、とのアダムズの断りが入っている。夢枕獏が漏らした「いつどこでしこんだのかという記憶がまったくない」という呟きと、奇しくもリンクしているではないか。
S・H・アダムズはニューヨーク州北部、ハミルトン大学の出身。その在学中に学生仲間から、大学の北東にそびえるアディロンダック山地にまつわる怪異譚として、この話を聞いたのだという。アダムズの大学在籍期間(1887~1891年)から推察するに、彼がこの怪談を知ったのは1890年前後のはず。つまり百年のスパンを経て、日英の作家が「誰から聞いたか覚えていない“歩く死体”の話を、出所がわからないまま書く」というシンクロニシティが起こったのである。
「小生は怕【こわ】くなってきました」
夢枕宛ての手紙の中で、井上雅彦はこう綴っている。
「もしかすると、この物語のベースとなっているフィクションなどは、この世には存在せず、それは無意識の領域を通じて特定の人々の頭の中に語られてくる物語ではないだろうか。見えざる語り部が人々の夢の中で伝えていく異次元のフォークロアではないだろうか……」
同エッセイの連載中、また別の読者から別の指摘がなされた。
『世界の怪談集』(1970年、KKベストセラーズ)にも類話が載っているはずだ、というものである。しかし夢枕はその件について「(引用注※アダムズと)作者が別人であれば、話はおもしろくなるのだろうが、がっかりするといけないので自分では調べない」と敬遠している。
では代わりに、私が確認しておこう。結論からいうと『世界の怪談集』の筆者は矢野浩三郎・青木日出夫であり、つまりアダムズとは別人物だ。本書収録の『生きている死体』が問題の類話にあたり、矢野・青木のいずれかが書いたものとなる。アダムズ『テーブルを前にした死骸』が本邦初翻訳された「怪奇小説傑作集2」初版は、本書刊行の一年前。常識的な判断をするなら、ディテールまでまったく同じ『生きている死体』は、アダムズを下敷きにした(いわゆるパクリ)記事だと考えるべきだろう。
もっともアダムズ本人が「歩く死体」を「アディロンダック地方に古くから言い伝えられているフォークロア」と捉えている以上、矢野・青木両氏が当地の民話を採取した可能性も捨てきれない。または、いつどこで誰から教えてもらったかも思い出せない怪談として聞き及んでいた可能性もある。他のネタならともかく、こと「歩く死体」という物語についてだけは、単純な流用・パクリなどの判断をつけにくいのだ。
* * *
怪談マニアであれば、稲川淳二『北海道の花嫁』として、この話を知ったというケースが多いだろう。
カセットテープ「秋の夜長のこわ〜いお話」(1987年)では『夜毎舞い戻る花嫁の謎』とも題される、稲川怪談の初期代表作のひとつだ。
このエピソードは、稲川がテレビ局の衣装スタッフから採取したもので、体験者はその衣装スタッフの「おじさん」となる。
1960年代後半、おじさんは当時の流行りであったカニ族(バックパッカー)として、北海道への長期旅行をしていたという。そこで牧場の女性と恋に落ち、結婚を誓うものの、帰京後は仕事に忙殺され約束を忘れてしまう。
数年後、おじさんが北海道の牧場を再訪したところ、例の女性が数日前に病死したことを知る。しかもその日は偶然、彼女の埋葬日だったのだ。追悼のため、牧場に連泊することになったおじさんだったが……。
あとはお察しの通り。明け方におじさんが目覚めるたび、土葬したはずの女性の死体が、すぐ傍らに横たわっているという怪現象が続く。実は彼が睡眠中、無意識に死体を掘り返していたのだ……というオチのパターンも同じ。
まだ家庭用ビデオカメラがなかった時代のため、真相解明のツールとして「写真機の自動連写」を使っている点が独特だ。また雪山ではなく、北海道の寒村が舞台となっているのも珍しい。
おそらく1960年代当時、これと似たような怪談が、北海道バックパッカーたちの間で広くささやかれていたのだろう。北海道はもともと限定的な都市伝説が生まれる土地だが、そこにカニ族という固有のコミュニティが合わさることにより、「歩く死体」の話が発生・流布していったと考えられる。
ただこれも奇妙なのだ。
おそらく『北海道の花嫁』は「おじさんの実体験談」ではない。とはいえ、おじさんが北海道旅行中に聞いた噂であることは、虚偽ではないだろう。それが1960年代後半だったというのも、確かに北海道カニ族の流行期と重なる。
だが、そうなると疑問が生じる。それでは「怪奇小説傑作集2」刊行の1969年よりも前に、もう北海道では同様の噂が流布していた、ということになってしまうからだ。いったい、いつ誰が、そのような話をつくり、広めていったのか……。
稲川淳二『北海道の花嫁』もまた、出生の謎をはらんだ怪談なのである。【後編に続く】 (敬称略)