対話3-A 二村さん、いいんですか?(石田月美)
二村ヒトシさま
前回、二村さんの書簡にて私の問題提起をまとめて頂き、ありがとうございました。折角まとめて頂きましたので、そちらを元に、更にわかりやすくなるよう今回は図を作って参りました。
私は二村さんの恋愛論に対して、「違和感」を覚え「痛み」を感じると、往復書簡の冒頭から述べてきました。また、この往復書簡が抽象的な物言いで終わることなく、実践的であるよう望んでいるというのは、互いの共通意見だとも思います。抽象的であり過ぎることは理論上の不備だと思うので、図は「実践上の不備」と「理論上の不備」で作成しています。
今回の書簡では、私が「痛み」と「実践的な不備」を備えていると感ずる、心の穴は侵入となる、心の穴は心の外のものを見えなくさせる、に関して言及させてください。
なぜ、一つに絞らず二つかというと、私は「心の外のものを見えなくさせる」ことによって、「侵入」が起きるのでは、と考えているからです。「侵入」は精神的な侵入、身体的な侵入、どちらも指します。そして、同時に起こることも少なくないでしょう。
そもそも、私が書簡の一番初めから『心の穴』への疑問を投げかけ、痛みから出発させたいと申したのは、そのような侵入の現場をあまりに多く見聞きしてきたからです。そして、その現場を見る度生じる痛みに、私はもはや耐えられません。侵入の現場で、彼らは判で押したように同じトリックを使います。そのトリックは、まるで『心の穴』の話のようで、非常に似通っています。そのような事態は、二村さんにとっても不本意で由々しきことでしょう。
例えば、「君は、本当は彼氏じゃなくて親を憎んでいるんだね。だから、そういう苦しい恋愛をしてしまうんだよ。でも、それは君のせいじゃないよ。そんな不器用さが君の魅力でもあるんだから」などと戯言を言って傷ついた女性とセックスする男性を、私は掃いて捨てるほど見聞きしてきました。
私がそのような男性を心底、掃いて捨てたいと思うのは、当該の女性がそのような男性に恋愛感情を抱いた途端、男性はセックス出来ればもう結構とばかりに「君が追い求めているのは僕じゃないよ。親との関係を見つめ直してごらん。でも、いつでも相談に乗る(セックスはする)から」と、ケムに巻いて去っていくからです。これはただの責任回避と邪な自己正当化でしょう。
おまけに、その女性が更なる親密さを求めようとすると「君のそれは依存だよ」などと利いた風な口をきくのです。依存し合わない恋愛関係があるのなら教えて頂きたい。きっと、このような男性のソレは恋愛ではないのでしょう。セックスだけの関係を私は否定致しません。「心」や「トラウマ」や「分析」などの御託を並べず、セックスしたいだけなら素直にそう仰れば良いのに。彼らにはセックスだけではなく、精神的侵入、つまり彼らにとって都合の良いコントロールや洗脳の意図もあるのではと邪推してしまいます。
しかも私がそういった男性に苦言を呈すると、彼らは「あなたは、本当は愛されたいんだね。愛されたいのに愛されないから怒っているんだよ」と言うのですから噴飯ものです。
そして、そのような男性がご自身の戯言の根拠として用いるのは、何故か決まって、フロイト・キルケゴール・二村ヒトシ、なのです。二村さん、いいんですか?
このような例は男女の反転が、あまり見受けられません。女性が男性をセックスに誘う際は、もっとあっけらかんとしていて、わざわざ「相手の心の話」などしない気がします。
そして私は、例に挙げたような女性が「被害者」だと言うつもりは決してありません。また、たとえ「被害者」であるとしても、被害者だからといってイノセントな存在、純真無垢で穢れのない、一点の落ち度もない存在だとも申しません。つまり責任がないとも思いません。けれどもやはり、私は単純にそのような男性を「卑怯」で「愚劣」だと思います。
二村さんの20年以上も愛され続けてきたご発明『心の穴』が、そのような男性たちにいいように利用されてしまうことを、私は二村さんの友人の一人としても歯止めをかけたいと思っています。
今回の書簡では、例がステレオタイプな男女二元論に終始してしまい、心苦しくも思っています。『これからの恋愛』と銘打った連載に不適切かもしれません。
私自身、何の疑いもなく今まで女性として生きて恋愛をしてきました。性自認は女性であり、性的指向は異性である男性に向かう、いわゆるシスジェンダーでヘテロセクシュアルという特権的なマジョリティ女性です。二村さんは、「女装子AV」なども監修なさっていますし、セクシャルマイノリティの方々にも造詣が深いかもしれません。
けれども、二村さんにも読者の方々にも申し訳ないのですが、私の遅い歩みに合わせては頂けませんでしょうか。もしかしたら今後、私の性自認や性的指向が変化しうることも十分あり得ます。
しかし今はまず、私の見聞きしてきた経験から出発させてください。なぜなら、私自身の経験や見てきた世界を記述することを通して、私個人のみならず社会の状況や問題の所在について明らかに出来るのではと考えているからです。私の経験が、他の誰かの経験へ、また私たちの経験へと開かれる可能性を信じております。そして、それがマジョリティである私の特権的な語りに陥るのではなく、様々な「恋愛」に開かれたものになるよう努めたいと思います。
どうか二村さん、『これからの恋愛』を考えるためにお力を貸してください。このような侵入の現場を、二村さんがいかがお考えなのか、教えて頂きたいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
石田月美