作詞家としてのユーミン
先日、ユーミン(松任谷由実)の39枚目のオリジナルアルバム「深海の街」がリリースされ、珍しくテレビ出演等も積極的にこなしている。
ユーミンについては、やれこの歳まで第一線で続けているのは凄いだの、やれ声が出ていなくて劣化しているだの言われることも多いが、敢えてそんなことをここで言及したりはしない。ここで取り上げたいのがユーミンの「詞」である。
音楽において、「詞」に脚光が浴びることは(少なくとも文学や詩に比べると)あまりない。基本人が音楽を聞く時は「曲」に身を委ねていることが多いためである。小さい頃何気なく歌った童謡の細かい意味を大人になってから知って驚いた、という経験は誰にでもあるのではないか。洋楽が好きな人で、その歌詞をいちいち「翻訳」して味わっている人が一体何人いるか。崇高に人類愛をうたったベートーヴェン交響曲第9番に、「天涯孤独に陥ったヤツはとっとと泣きながらここから出ていけ!」という非常に強烈な一言があることをどのくらいの人が知っているか。
私はシンガーソングライターである松任谷由実の「詞」は、もっと評価されていいと思っている。以下3つの視点からそれを述べてみたい。
1、「詩人」としてのユーミン
「プレバト」という人気番組があるが、そこで長年最大の人気を誇るコーナーが、「俳句」である。芸能人が作った俳句を俳人夏井いつき氏が添削するコーナーだが、これが人気ということは、日本人はやれグローバル化時代だの言いつつ日本語の奥ゆかしさを心の中で愛しているのかもしれない。ユーミンの歌詞からは、つい何かに引用したくなるような、そこはかとない「詩情」を感じることがある。有名な「春よ、来い」はその宝庫かもしれないが、他に私が好きなフレーズを挙げてみる。
「本当の孤独」とは一体何か?「なぜ昔が未来の先にあるのか?」など、いずれも「どこか心に引っかかる歌詞」である。この種の詩情を味わわせてくれるユーミンの歌詞。日本語を再発見する機会にもなってくれる。
2、「作家」としてのユーミン
松任谷由実の歌詞にはそれそのものが「ストーリー」として完結しているものがあり、あたかも1時間程のドラマを見ているようなものがある。このような曲は多いようで実は少ない。何故か?ポップスやロックの場合、曲構成が、メロ→サビ→メロ→サビ→間奏→サビ→サビとなっていることが多く、当然サビの部分には似たような歌詞が入るため、歌詞に「一貫性」を持たせるのが極めて難しい。しかしユーミンの歌詞にはストーリーとして「読める」ものもあり、私が中でも最も好きな曲を挙げてみる。
この女性の心理は一体いかに?正解はユーミン本人の中でも設定していないのかもしれない。微妙に揺れ動く心。本物のドラマでも再現するのは難しいのではないか。
3、「記者」としてのユーミン
ポップスやロックを社会と結び付けるのは難しい。嵐も乃木坂46も、トランプ政権や地球温暖化を題材にした曲を歌っているわけではない。しかしユーミンはたまに詩の中に「その時代」ならではの題材を(さりげなく)取り込むことがある。代表的なのはラグビーブームをバックにした「ノーサイド(1984)」だろうか。昨年のラグビーW杯で再び脚光を浴びた。敢えてそれ以外を挙げてみる。
この曲はユーミン本人の美大生時代から着想したものと言えそうだが、この歌詞では「画家を目指さず平凡な人生を送る」主人公を「臆病」と評している。つまり、1979年の時点で「芸術系を専攻する学生のリスク」をさらりと表現していることに驚かされる。今でこそ芸大生や音大生の闇(生活苦)がメディア等で取り上げられることもあるが、この時代でそこを歌詞に取り上げていることは驚嘆に値すると思う(似たような曲は他に存在するのか?)。
言うまでもなく東西冷戦である。しかしここで政治的メッセージなど当然発していない。ベルリンのホテルで繰り広げられるスパイの暗躍が歌われている。
当時大ブームとなっていたテレビゲーム(ファミコン)を歌詞に織り込んである曲である。私も「レヴェル」という言葉を最初に知ったのはゲームを通じてであった。この曲には他にも「ゲームオーバー」「リプレイ」など、ゲーム用語が散りばめられている。
「太平洋戦争の記憶」が垣間見れる歌詞はこれだけ。しかし歌詞に織り込むと極度な社会性を帯びてしまう題材だけに、自然に織り込む技術にかえって感心させられる。
ユーミンの曲は現在400曲以上。そして尚も現役。まだまだ新しい驚きを提供してくれることを期待している。ちなみに私がニューアルバムの中で歌詞が最も好きな曲は
百年前の世界を描いた「1920」だ。