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カレドニアンスリーパーの旅
長時間のフライトで16時頃にヒースロー空港に着いた。6月の夏至の時期で、夕方でもまだ太陽が高く日差しが力強い。イギリス人にとってはこれだけで最高な一日ということで、渡英にはベストなシーズン。ロンドンの緯度は北海道よりもさらに北で、1年を通して日が長い時期は限られており、晴れの日も少ないため、こうした夏晴れの日は非常に重宝される。それだけでお祭りのようで、街の真ん中でも広場や公園では半裸で日光浴を楽しむ人たちで溢れる。
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ヒースローエクスプレスでパディントン駅へ、そこから地下鉄に乗り換え、ベイカーストリート駅で降り、少し散策。まだまだ移動が続くので自制すべきところだが、同じく晴天を祝うようにパブ(イギリス式居酒屋)でエールビールとフィッシュアンドチップスを頼んでしまう。終業前の時間だがおじさん達がテラス席から歩道にまで溢れおおいに盛り上がっている。5年ぶりのパブ飯でこちらも良い感じに仕上がってきたころ、ユーストン駅へ向かう。
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北へ向かう夜行列車、カレドニアンスリーパーは21:15出発で、20:30から改札開始ということで、駅の本屋やラウンジで時間をつぶす。長距離便から直接夜行列車に乗る都合上、シャワー付きの車両にアップグレードしたのでラウンジが使えた。とはいえ地方の空港施設のようで、高級なくつろぎのひと時というよりもカフェで一息というイメージ。
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現在イギリスでは二つの夜行列車が走る。西に向かうナイトリビエラと、今回乗車した北のスコットランドに向かうカレドニアンスリーパー。日本でも夜行列車は少なくなってしまい、コロナ禍ではイギリスの鉄道でもいつ運行終了となるか心配だったのもあり、何としても乗っておきたいと思っていた。
しかし日本と同じく料金が高く、変動制だがClassic(B寝台相当)でもGBP170-250(180円換算で4.5万円)ほど、Club en-suite(A寝台)ではGBP250-350(6.3万円)と、片道GBP50(9000円)ほどの飛行機の5-7倍。日本と同様、普通は飛行機が使われるような状況で、鉄道好きか、優雅な特別な旅との文脈でないと中々選びづらい。
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改札の時間になったのでホームに向かう。パディントン駅やキングスクロス駅の方が、大きなドーム式の屋根に覆われ、ターミナルとしては見事な風格を見せるが、ユーストン駅も頭端式で、上野駅の地平ホーム的な中々良い雰囲気を持つ。カレドニアンスリーパーは堂々の一番線に入線していた。写真を撮って回っていてもどうぞどうぞという感じで、担当の駅員からも誇りが滲み出ている。深い緑の車体とロゴが美しい。
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列車は基本は16両編成で、座席車、食堂車、B寝台、シャワー付きA寝台の構造で、アバディーン行き6両、インバネス行き8両、フォートウィリアム行き2両の三つに分かれる構成。季節によって車両の増減があるようで、乗車した時には表示ではフォートウィリアム行きは無く、アバディーン行き4両、インバネス行き8両だったが、エディンバラで別車両で乗り換えの場合もあるとのことで、柔軟に運用しているようだ。ハイランダーと言われるこの列車の他に、ローランダーというグラスゴー、エディンバラ行きの列車がある。
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21:15、定刻に列車は出発した。客層はのんびりとした旅行を楽しむ老夫婦が多く、鉄道好きそうな人も車両をうろうろしていて同業者として安心する。乗車率は5-7割程度か。自分の部屋も2段ベッドを一人で利用する形で、収益性が少し心配。食堂車は出発前から寝る前の一杯を楽しむ人たちで満員だった。多少の揺れはあるものの乗り心地は快適で、規定では150-160キロくらいまで出せるようで、ぐんぐん速度を上げて走るのが伝わり、少しスリルが感じられた。22時頃にようやく日が暮れ、時差とフライトの疲れですぐに眠りに落ちた。
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イギリスの鉄道の状況も色々あるようで、97年に民営化。上下分離式で、運営を複数社が競争入札で担い、サービス向上を目指した。しかしインフラ面の問題で定時運行ができなかったり、採算性の問題で入札が一社だったりで、昨今は再国有化の流れに。そこでは実際の運営の一部のみを民間が実施するとの方式がとられる。
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カレドニアンスリーパーもこうした流れを背景に、運営会社と国の契約交渉が決裂し、6月後半より民間のSerco社から政府企業に運営主体が移った。Serco社は2015年より、30年までの運営で8億ポンドの契約で参入した。古い車両の刷新やオペレーションも改善し、旅客増に貢献した。しかしコロナやその後の需要低迷で年間300万ポンド以上、7年間で6900万ポンドの損失を計上。改善のために契約内容の更新を政府に求めたが交渉は合意に至らず、7年早く、23年に終了となった。図らずとも、Serco社による最後の運営に立ち会うことになった。
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3時頃、空が白み始めたころ目が覚めた。4時前にエディンバラのターミナルに到着。20分ほど停車し、アバディーンとフォートウィリアム、インバネス行きに分かれる。ここからは進行方向が逆向きに。発車後、ほどなく火災報知器が鳴り響く。全員起きて外に出ていた。同じ車両のお兄さんが大型犬と外に出て散歩していた。愛犬も公共交通機関で家族同様に扱ってもらえるのは文化の進んでいる部分か。誤報とわかり、携帯も圏外が続くため、もうひと眠りする。
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朝食の前に目が覚め、7:30から食堂車に向かう。家族用にはボックスシート、一人用は窓むきのカウンターに案内される。牧草地の丘に羊、おとぎ話のような町並みが美しく、遠くまで来たなと思う。メニューはスコットランド伝統の朝食で、ベーコン、ポテト、トマト、そしてイングランド式朝食と異なるのはスコットランドやアイルランド名物のPotato breadという薄いパンとBlack puddingといわれる豚の黒いソーセージ。食堂車で非日常の車窓と朝食。コロナの時代にどこも出れなかったことを思うと、夢のようなひと時だなとしみじみ感動する。
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経営の問題は色々あるものの、旅は総じて快適だった。列車自体は1873年に開始で150年の歴史を持つが、車両自体はSerco社によって1.5億ポンドを用いて新しく75両作られ、非常に綺麗だった。また、工夫の形は隅々み見られた。例えば直前のリマインドメールにはシートアップデートの案内。こちらはSeatfrogというスタートアップ企業がサービスを請け負っているようで、正規価格よりも50ポンドほど安くアップグレード可能なオプションがアプリで確保可能だった。この辺りは日本の鉄道もまだまだ便利なサービス導入の余地があるなと勉強になる。
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実際、施設から顧客対応までサービスは素晴らしく、逆に至れり尽くせりで収益性が心配になるくらいだった。予約状況を確認した時には週末は一杯。平日は各クラス空きがあるようで、やはり飛行機の利用者が多いのかもしれない。ななつぼしや銀河のように、夜行列車の生き残りにはクルーズ船的な優雅な旅としての運営が有力な戦略か。6月末より経営権が変わったということで、今後も素晴らしい旅の提供が続けばと願うばかり。
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食堂車から部屋に戻って荷造りをしていると列車は停車。何事かと思ったが10分早い8:35に終点のインバネスに到着した。この辺りは、遅れを高速で飛ばして取り戻すことが普通など、イギリスの鉄道の運行は柔軟のよう。確かに終着駅に早く着いても困ることはない。
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ホームに降りると潮風が心地よく、カモメが構内で鳴いている。到着した列車は食堂車付き8両編成、気動車重連で堂々の風格。インバネスは北のターミナル駅の様相で往時の旭川といったところか。北端のサーソ、東のアバディーン、西のカイル・オブ・ロハルシュなど、ここからさらにスコットランドの各地へと鉄路は続く。長い旅が終わるとまた新しい旅が始まり、そこには期待と不安が入り混じり、さながら人生の一場面のようだ。長旅の疲れを見せることなく、乗客たちは希望を胸に次の目的地へと歩みを進める。
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(2023年6月)