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手続的正義とは何か?に関するメモ

このメモを書いた理由・目的

「手続的正義」という言葉は法学の文献等でよく目にしたり耳にしたりするけれど、正確にはどういう意味なのだろう?と、ふと思いましたので、備忘録的にメモしておきます。作成中です。


文献における説明

谷口安平先生のご説明

「人間社会において、一定の状態を作り出すためには一定の時間経過をもって行なわれる人間活動の過程が必要である。これをひろく手続と呼ぶ。実体的正義に重点を置くときは、手続には二次的な重要性しか与えられない。しかし、どのような手続を経るかによって結果が大いに変りうることは誰の目にも明らかである。そこに手続独自の存在理由が認められ、正義にかなった手続とそうでない手続が考えられる。このように手続の次元で問題となる正義を手続的正義(procedural justice)と呼ぶ。」

谷口安平「手続的正義」『岩波講座 基本法学8 紛争』(岩波書店、1983年)35頁~36頁

阪本昌成先生のご説明

「手続的正義とは、《何人もみずからの裁判官たりえない》《疑義があれば当事者双方から審尋すべし》《同じ行為について、二度不利益処遇に問うべからず》等をいう。」

阪本昌成『憲法2 基本権クラシック』(有信堂高文社、全訂第三版、2008年)271頁~272頁

田中成明先生のご説明

「実質的正義が決定の結果の内容的正当性に関する要請であるのに対して、手続的正義は、決定に至るまでの手続過程に関するものであり、その決定の利害関係者の各要求に公正な手続にのっとって公平な配慮を払うことを要請する。従来、「目的は手段を正当化する」とか「結果よければすべてよし」などと言われ、実質的正義の実現の手段にすぎないとみられがちであった。だが、最近では、手続的正義の遵守自体が、その結果如何を問わず、別個独立の固有の価値をもつことが一般的に認められるようになっている。
 手続的正義は、もともと、決定における恣意専断を排除することによって一定の不正義を除去するという消極的機能を中心にとらえられ、その要請内容は、基本的に英米法における「自然的正義(natural justice)」の格率(「相手側からも聴くべし」「何人も自分自身の事件について裁判官となるなかれ」など)や「適正手続(due process)」の観念を基礎に形成されてきた。最近では、① 当事者の対等化と公正な機会の保障(手続的公正)、② 第三者の公平性・中立性、③ 理由づけられた議論と決定(手続的合理性)という三側面に関する手続的要請を中心に理解されている。だが、これら三側面のいずれにウエイトをおくか、各手続的条件を具体的にどのように規定するかについては、議論領域や論者によってかなり見解が分かれている。
 手続的正義は、一般的準則の公平な適用を要請する形式的正義と重なっており、混同されることもあるが、それに尽きるものではない。以上のような三側面に関する手続的要請は、関係者の人格に対する正当な関心と尊重に関わる一種の人権的価値によって基礎づけられている部分もあり、黙秘権の尊重など、一定の手続的要請が、その結果如何を問わず、真実発見の妨げとなる場合ですら遵守されるべきだとされるのも、このような実質的価値を手続的正義自体が内合しているからに他ならない。」

田中成明『法理学講義』(有斐閣、1994年)185頁~186頁

「純手続的正義とは、賭博のように、正しい結果に関する独立の基準は存在しないが、その代わりに、公正な手続が適切に遵守されている限り、その結果はすべて同様に正しいとされ、手続の公正を結果の正しさに移し変える正統化作用を持つものである。それに対して、完全な手続的正義は、ケーキの均等な分割のように、結果の正しさを決定する独立の基準が存在し、かつ、そこに確実に導く手続があることを本質としており、不完全な手続的正義は、刑事裁判のように、正しい結果に関する独立の基準は存在するが、確実にそこに導く手続が存在しないことを特徴とする。ロールズは、以上三つの区分のほかに、一定の許された範囲内にある限り、同様に正義に適っているとされ、一定範囲内で正義が不確定な事例を「擬似的な純手続的正義」と名付けているが、不完全な手続的正義という基本的枠組みの中で純手続的正義が補充的に作用する事例と理解してよいであろう。
 このような区分に従うならば、民事裁判における手続的正義は、法適用について罪刑法定主義の拘束がなく、事実認定においていわゆる相対的真実で足りるとされていることなどによる違いもあるが、刑事裁判と同様、基本的に不完全な手続的正義だと考えられる。だが、適用されるべき法的規準が開かれた構造を持っており、法的議論・決定の正当化理由を限定し枠づけるけれども、その枠内での具体的な意味内容の確定を個々の裁判の手続過程の展開に委ねている場合が少なくない。その限りで、とくに裁判による法創造や政策形成が問題となるハード・ケースにおいては、純手続的正義の正統化作用に依拠せざるをえない。だから、民事裁判は、全体として、擬似的な純手続的正義をめざしているとみるべきであろう。」

田中成明「手続的正義と裁判〔法哲学の側から〕」星野英一=田中成明編著『法哲学と実定法学との対話』(有斐閣、1989年)334頁~335頁

須藤典明先生のご説明

「法的正義の具体的内容としては、いろいろ難しい議論もあるようですが、私たち実務家にとっては、皆さんもご承知のとおり、「実体的正義」と「手続的正義」とを内容とするものと考えられています。ここで実体的正義とは、民事紛争についてなされた解決(判決や決定等の裁判)の内容が法的要請に合致していて、落ち着きの良い妥当な結論であることと考えられます。また、手続的正義とは、民事裁判の手続を定めている民事訴訟法等において求められている審理手続上の諸要請に合致していて、当事者間で攻撃防御が尽くされたことと考えられます。」

須藤典明「高裁から見た民事訴訟の現状と課題」判タ1419号(2016年)15頁~16頁

「21世紀の民事訴訟の構想」研究会裁判所チームのご説明

「民事訴訟制度は、正義の実現を目指すものであるが、「正義」の意味については、「実体的正義」と「手続的正義」とを区別すべきである。実体的正義とは、結果の正しさであり、実体的真実が発見され、勝つべきものが勝てば正義が実現される。手続的正義とは、手続の公正さであり、公正な手続で審理されることによって正義が実現される。手続的正義の内容は、利害関係を有する者の手続参加、参加の「場」に関する保障及び参加の結果の確証である」

「21世紀の民事訴訟の構想」研究会裁判所チーム「21世紀の民事訴訟」判タ1063号(2001年)46頁

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