同性婚に関するアメリカ合衆国最高裁判決を読んで,日本の最高裁の尊属殺重罰規定違憲判決を思い出した件
■今回のテーマは何?
アメリカ合衆国最高裁判所が同性婚を認める判決を出しました。判決文を拝読していたところ,日本の尊属殺重罰規定違憲判決を思い出しましたので,簡単にメモを書いておきたいと思います。
■アメリカ合衆国最高裁判所の判決文
長文の判決ですので,基本的にURLをご紹介するに留めます。
アンソニー・ケネディ判事の意見が,以下のように話題になっています(但し,若干誤訳があります。)。
ケネディ判事は,その該博な知識と深い考察力を縦横無尽に駆使しています。
キケロに言及し,ブラックストーンに触れ,トクヴィルの言葉を引用し,過去の諸判例を検討し,そして,上記記事で引用されている最後の一文にたどり着いています。
ケネディ判事の意見に対する賛否は別として,これほどの人物を最高裁判事に就かせることができるという点で,アメリカという国家の健全性を感じます。
尚,ケネディ判事の意見の中では,次の一文も印象的でした。中庸の立場をとられるケネディ判事の姿勢に鑑みると,色々と考えさせられるものがあります。
■尊属殺重罰規定違憲判決
かつて,日本でも,今回の同性婚のように,人々の賛否が分かれる規定が存在しました。それは,尊属殺と呼ばれる犯罪に関する規定(刑法200条)でした。
簡単に説明しますと,要するに,尊属殺重罰規定とは,子が親を殺した場合は,通常の殺人罪よりも重く処罰するという規定です。
親を敬うという考え方は,特にアジアでは一般的な考え方です。ですから,この尊属殺重罰規定は,一見すると合理的な規定に思えます。
ただ,問題は,刑法200条に予定されていた刑罰が死刑 or 無期懲役しかなかったという点にあります。
誤解を恐れずに言えば,世の中には,鬼畜のような親も存在します。
昭和48年,最高裁は,鬼畜のような親に対する殺人についても,この尊属殺の規定を適用しなければならないのかという問題に直面しました。
これが,いわゆる栃木実父殺し事件です。
それまで,最高裁は,尊属殺の規定について合憲であるという判決を下していました。
しかし,あまり悲惨な本件において,被告人に死刑 or 無期懲役を科すことが司法として本当に正しいことなのか。地裁,高裁,最高裁の全ての裁判官が悩みました。
■尊属殺の考え方は誤りだと判断した宇都宮地裁
第1審の宇都宮地判昭和44年5月29日判タ237号262頁(須藤貢裁判長)は,従来の最高裁の判断は誤りであると考え,「刑法第200条は憲法第14条に違反する無効の規定としてその適用を排除すべきものである。」とした上で,過剰防衛(刑法36条2項)を認定し,次のように述べ,被告人の罪を免除しました。
判決文を読むと,当時の裁判官達の苦悩と苦心,そして,英断が伝わってきます。
■尊属殺の考え方は正しいと判断した東京高裁
ただ,宇都宮地裁の過剰防衛の認定はあまりに技巧的でした。
本件の事実関係を冷静,かつ,客観的に考えれば,過剰防衛の認定は不可能だったのです。私の邪推ですが,宇都宮地裁は,それを分かった上で,被告人を救うために,敢えて過剰防衛の認定をしたのだと思います。
そのため,検察官の控訴を受けた,第2審の東京高判昭和45年5月12日判タ255号235頁(井波七郎裁判長)は,過剰防衛を否定せざるを得ませんでした。
また,当時の東京高裁は,尊属殺(刑法200条)に関する従来の最高裁の考え方を支持しました。
もっとも,当時の東京高裁も,本件があまり悲惨であり,被告人が置かれた状況に同情すべき部分が多々あることは理解しており,心身耗弱を認定した上で,最大限の減刑を実行し,被告人に懲役3年6ヶ月を科しました。
東京高裁の判決文全体を読むと,東京高裁も,被告人を救いたいと思っていたことは十分に分かります。ただ,当時の東京高裁には,従来の最高裁の考え方を乗り越える勇気がありませんでした。
■最高裁はどう対応したか……?
最高裁には,大法廷,第一小法廷,第二小法廷,第三小法廷の4つの法廷があります。
このうち,大法廷は,最高裁判所に所属する全ての最高裁判事によって構成され,一定の重要な事件の場合にのみ,開かれます(裁判所法10条など参照)。
つまり,最高裁が,本件について,従来と同じ考え方を採用するのであれば大法廷を開く必要はありません。小法廷で本件を棄却する――十分に考えられる結論でした。
しかも,当時の最高裁長官は,タカ派で非常に有名であった石田和外長官でした。
上告棄却決定という無味乾燥な紙切れで,東京高裁の判決が確定し,被告人が収監される可能性も十分にありました。
しかし,意外なことに,物の本によれば,石田長官は国家的・全体的な体制に関する立場としては強烈なタカ派であったそうですが,個々の人々の救済についてはむしろハト派だったそうです。
また,当時の最高裁には,行政法の大家であり後の東大名誉教授である田中二郎判事,商法の大家であり京大名誉教授であった大隅健一郎判事,日本を代表するリベラル派の硬骨漢であった色川幸太郎判事(色川法律事務所創設者)など,錚々たる判事が揃っていました。
――今となっては,いかなる経緯があったか,正確な事実関係は不明ですが,分かっていることは,ただ1つ。
本件は,小法廷ではなく,最高裁大法廷で審理されることとなりました。
■15名の最高裁判事が出した判決
最高裁は,尊属殺の規定(刑法200条)は憲法14条に違反し,無効であると判断しました。第1審の宇都宮地裁と同様に考えたのです。
その上で,最高裁は,被告人を執行猶予に付しました。
本件おいて,最高裁は,初めて違憲審査権を行使し,国会が制定した刑法200条は現在では違憲無効であると判断しました。
最高裁は,本件の判決文において,中国古法制やローマ古法制など,多種多様な要素に言及しています。社会制度の基礎的な要素の1つを裁判所が変更するには,多大な労力と時間,そして説得を要するのです。
これは日本でも,アメリカでも同じです。
尊属殺も同性婚も社会の礎を構成する制度という点では共通しています。
したがって,冒頭でご紹介したケネディ判事の意見が,種々様々な物事に言及しているのも同様の配慮に基づくものと考えられます。
そのため,私は,ケネディ判事の意見を拝読したとき,尊属殺重罰規定違憲判決を思い出しました。
■国会は直ちには動きませんでした
余談ですが,国会議員の中には,最高裁の上記判決に反対する方々も少なくありませんでした。
そのため,上記のように,最高裁で昭和48年(1973年)に刑法200条に関する違憲判決が出されたにもかかわらず,国会は,なんと平成7年(1995年)まで刑法200条を削除しませんでした。
但し,実際には,検察庁が最高裁の判断を尊重し,上記判決以後,刑法200条による起訴を一切行いませんでしたので,刑法200条は事実上,廃止されました。
■最後に
洋の東西を問わず,裁判官は,時として,社会制度の根幹を構成する要素について判断を迫られます。日本の法制度の場合,最高裁以外は,通常,3人の裁判官がこのような重責を担います。
裁判官は,常に重圧と批判に耐えねばならない困難な職務です。裁判官は,皆さんが思っていらっしゃるより,遙かに過酷な職業です。
ただ,私は,裁判官という職業は人が一生を捧げるに値する素晴らしい職業だと考えています。
なぜなら,裁判官こそが,この国の――日本という近代国家の――法を守る最後の番人だからです。
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