焼身自殺と失火責任法に関するメモ
ネット上で焼身自殺と失火責任法に関する情報に接したので,メモ。
■質問
焼身自殺された方の火によって,自宅が類焼・延焼した場合,ご遺族の方に対して,損害賠償請求はできないのですか?
■回答
ご遺族の方が,亡くなられた方を相続されていれば(=相続放棄等をされていなければ),損害賠償できる可能性はあります。
■説明
交通事故やケンカなど,日常生活で予期せぬトラブルに巻き込まれた場合,原則として(要件を満たせば)民法709条に基づいて損害賠償を請求することができます。
(不法行為による損害賠償)
第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
ただ,火事などの場合,この民法709条の例外が定められています。それが失火責任法(失火ノ責任ニ関スル法律)です。法律と言っても1条しかない法律ですが。
民法第709条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス
つまり,失火責任法が言う「失火」が原因の火事の場合,失火をした人に「重大なる過失」がなければ,民法709条に基づく損害賠償請求はできない,ということになります(民法415条の債務不履行に基づく損害賠償責任は別の話です)。
では,そもそも,「重大なる過失」とは何なのでしょうか?
この問題については,最高裁が次のような判断を示しています。
「そして,ここにいう重大な過失とは,通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも,わずかの注意さえすれば,たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに,漫然これを見すごしたような,ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解するのを相当する(大正元年(オ)127号同2年12月20日大審院判決,民録19輯1037頁参照)。」(最判昭和32年7月9日民集11巻7号1203頁)。
それでは,焼身自殺をされた方の場合,その方に「重大なる過失」は認められるのでしょうか?
これに似た問題が取り上げられた事件として,横浜地判昭和56年3月26日判タ448号123頁があります。
本件の概要は以下のとおりです。Aさんがガス自殺の目的でプロパンガスの元栓を開放し,約5時間,部屋の中にガスを充満させました。そして,Bさん(Aと同居する父)が朝,起床しタバコを吸おうとしてライターを点火し,その火がガスに引火して爆発,建物が滅失したというものです。Aさん・Bさんに対する建物の所有者の損害賠償が認められるかが問題となりました。
尚,幸いなことにAさんとBさんは一命を取り留めました。他にもいくつか認定された事実があるのですが,本稿では割愛します。
この事件では,失火責任法の「重大ナル過失」の有無が問題になったため,横浜地裁は,次のように判示しました。
「ところで『失火責任に関する法律』の但書に規定する重大な過失とは,通常人に要求される程度の相当な注意をしないでもわずかな注意さえすればたやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに漫然これを見すごしたような著しい注意欠如の状態を指すのであるが,プロパンガスは,一般家庭において燃料として使用されているものであるから室内にこれを漏出,充満させた場合,極めて引火しやすく,一旦引火すると爆発ないし爆燃を起こし瞬時のうちに建物を破壊,焼失させる蓋然性が高いことは通常人に容易に予見し得るところであり,これは,近時右ガス漏出による爆発事故が散発し,それが報道されていることからも首肯し得,わずかな注意を払えば右ガスの漏出,充満,右ガスへの引火,爆発ないし爆燃をふせぎ得たのにこれを怠り建物の滅失を生じさせた場合には重大な過失があるといわねばならない。」
「被告Aは,自殺目的で故意にプロパンガスを漏出させたもので,その目的から右ガス漏出による火災ないし爆発まで認識し容認していたとは認められず,本件事故の発生につき故意があつたとはいえないが、プロパンガスを故意に居室内に漏出充満させれば,被告Bが朝起床しタバコを吸うためライターやマッチ等を点火し,その火が右ガスに引火し爆発,爆燃を起こすことはわずかな注意を払えば容易に予見し得たというべきであり,被告Aには本件事故の発生につき故意に近い重大な過失があつたものというべきである。」
上記の論理は焼身自殺全般に当然に妥当するものではありませんが,特殊な防火構造等ではない限り,アパートやマンション,あるいは密集した住宅街で焼身自殺をした場合には基本的には同じ論理が妥当するのではないかと考えられます。