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#7 なんでもかんでも海外。
Super-diversity.
この’Super-diversity’という言葉は記載した論文の中で、現代のロンドンのダイバーシティー、いわゆる多様性の多様化・複雑化について語る際に用いられたもの。
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今、僕らが生きてる2022年では、すでに5年前に使っていたダイバーシティーとは意味や捉え方が大きく変わってきてるだろうし、あと2年いや、すでに世界のあちこちでは捉え方が大きく違っているのかもしれない。
自分は色々なものを見るために、挑戦するために海外に行くという決断をした。
もちろんこの一文だけでまとめてしまうほど単純な思考ではないが、英語とフランス語を話せる状態で、日本に居るのは勿体無く、日本語だけを使うのではなく、日本語以外でも、色々な人と多様な話をしたいと思った。
ただ、海外に挑戦するなかで、忘れてはいけない自分の考え方として、
「なんでもかんでも海外に行けば良いのか?」
ということ。
先ほどあげた論文を読んでもらえればわかると思うが、ロンドンという街だけとってみれば、もうすでに「政府や社会が人々をオーガナイズし、把握しやすくするためにカテゴライズ」できないほど人種、社会的ステータス、宗教、言語、経済環境などが多様化し、複雑化している。
これは、ロンドンだけでなく、日本、特に東京という街を見ても、民族的なものはロンドンほどではないとはいえ、一つの街に集まる人の多様さは本当に計り知れない。
それを「日本人は」という括りでまとめてしまうのは、安易なのではないかと思えてくる。自分もそう思いながらもそういうまとめ方をしてしまう時がある…。
だから、英語やフランス語を磨くために、海外がベストな選択肢かどうかはハッキリ言って分からない気がする。
日本にいても、そういう環境を見つけることができるのではないか。
これはベルギーに来る前からもなんとなく思っていたが、人々が無意識的にもつステレオタイプの危険性は本当に高いし、大学院で学ぶことでそれをより一層強く感じる。
例えば「日本人は内気」「中国の人は同じ中国出身の人と固まる」「フランス人は英語を話そうとしないし、意地が悪い」
など(あくまでも自分が一度でも耳にしたことがあることを述べたまで)。
ベルギーにいるアジア系の見た目(この定義もだいぶ幅広いが)をしているグループを見て、
「中国の人たちがまた固まって行動してるよ」
と本当に傾向に合わせて捉えて良いのか。
僕の友達には、「親は二人とも中国の方だが、その友達自身はずっとベルギーで生まれ育っている」という人がいる。
もしその友達がその輪の中にいたとしたら、ただ
「アジア系の見た目の人がベルギーにきてるのにわざわざ固まってる」
「ローカルを知ろうとしてない」
という見方をするのが正解なのだろうか。
はたまた、全員親が日本国籍の4人組だが、
それぞれ南米、アフリカ、ヨーロッパ、東南アジアで人生の9割を過ごしたグループ
の中に入った時、「日本人のグループ」だけとして捉えることが妥当なのか。
目には見えない、圧倒的に大事な情報がたくさんある。
それを|蔑ろ《ないがしろ》にしてしまうのはすごく危ないような気がする。
もう、一つの箱に収まらないほど一人ひとり自分なりの考えを持って生きていて、様々な場所に自身のアイデンティティーを置いているから。
だから、
海外に行ったから挑戦している。
日本にいるから新しい文化を知らない。
が正解かなんて分からないし、上記のような発言をしっかりと深く考えた上で行動していかないといけないんだなと思う。
複雑すぎて、さすがにややこしいけどね。笑
人々をしっかりとカテゴライズし、「箱」に入れることが良いとか悪いわけではない。
カテゴライズしてわかりやすくなること、話しやすくなることもある。
ただ、同時に、自分たちで築き上げてしまった「箱」の中身をしっかりと確認していく作業も大事になってくると思う。
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〈参考文献〉
Vertovec, Steven 2007. "Super-diversity and its implications." Ethnic and Racial Studies 30(6): 1024-1054.