『THE EXORCIST エクソシスト 信じる者』のフライヤーをデザインから見る
映画『THE EXORCIST エクソシスト 信じる者』のフライヤーをデザインの視点から見てみる。
映画紹介
『エクソシスト』といえば、僕の「ホラー映画好き」としての人生を作った作品の一つである。小学校3年生くらいの時。我が家はTV派ではなく映画派であった。(僕としては意外と)珍しく、家族で夕食後の団欒をする際に映画をみていた。大抵は父親が何をみるかを決めていたのだが、とある日の 父親チョイスが本作品の原点、1973年公開の『エクソシスト』(The Exorcist)だった。
ちなみに、その時僕は小学校3年生、弟は幼稚園であった。その年の子供にとって、『エクソシスト』は明らかに致死量のホラーである。
圧倒的な映像恐怖で人生初めて見る「悪魔憑き」。その経験は、映画というフィクションではなく、実体験のようなインパクトで自分の中に居続けている。
僕が今ひたすらにホラー映画を漁っているのには、『エクソシスト』を超える作品を探していると言っても過言ではない。そして残念ながら、まだ見つかっていない。
最初で最高の悪魔憑きから十数年、エクソシストの続編が劇場で公開することを知った。
※正確には『エクソシスト2』などはすでにありますが。
フライヤーを見る
「お前ら、新たな『エクソシスト』だぞ」
と言わんばかりの、大胆なデザイン。
タイトルだけを載せる、というある意味の暴挙。
日本の映画のポスターといえば、より多くの人に映画を見てほしいがために、ポスターで「どんな映画か」を語っているものが多くある。そのために、登場人物や舞台などの視覚的をこれでもかと詰め込み、その上でキャッチコピーで十分すぎるほどに映画を語る。そのせいで、「海外版よりダサい」と言われることもしばしばである。
しかしこの映画は違う。タイトルだけを載せて、中央に大胆に空白を開けている。
ただ、この映画にはそれで十分なのである。ホラー映画を好きで、73年版のエクソシストを見たことも聞いたこともない人はいない。断言する。そのネームバリューがあってこそできる、このデザインなのである。
むしろ、黒く光るフライヤーの反射で、73年のエクソシストで植え付けられたあの恐怖が脳裏に映る。暗闇から、「あの悪魔の顔」がフラッシュさえする。
最初にフライヤーを見た時、1973年のエクソシストを思い返し「同じタイトル表記だ」と思った。
全然違った。
1973年版▼
2023年版▼
「THE」の配置は他を目立たせるために控えめになっており、
書体も若干縦長に、そして「セリフ」がより大きくなっていた。
そして、これが裏。(若干の閲覧注意)
比類なき
恐怖が
目覚める。
フライヤー全体の50%以上を占める面積をコピーで埋めている。そして、背景には今回悪魔に狙われたであろう女の子の顔。
表に負けじと、裏も大胆である。
コピーも非常に直接的に「この映画は怖いですよ」と謳っている。シンプルだが、「この映画は他よりも怖い」という内容にも「あの怖かったエクソシストが目覚める」という2つの意味で捉えられる。
表が黒一色なのに対して、裏は白をベースに構成されているのもうまい。
閲覧注意と言っていいほど怖い顔の素材を全体に貼っているのも、この一枚で恐怖を演出しようという気概を感じる。
映画館で、「あ、エクソシスト!」と思い手にとったフライヤーを裏っ返して見た時の「怖っ」という感覚は映画そのものを演出するかのようだ。
公開が楽しみでしかない。