君たちはどう生きるか考察/ネタバレ注意
宮崎駿監督の作品「君たちはどう生きるか」
の僕なりの考察をまとめます。
この物語は様々な事をメタファーしているが
その全てを通じて
僕は宮崎駿さんの人生そのものを作品で表しているように感じる。
そしてそこに戦争という当時のリアルな出来事が少し絡まってくる。
眞人は宮崎駿だったと言えるが
今、眞人は僕達なんだ。
そして宮崎駿は大叔父になった。
受け継がれてきているのだ。
こう僕が考察した理由を細かいストーリーと併せて説明していく。
あくまで僕の考察であり全く見当違いかもしれない。
ただ僕はこう受け取った。
まずは作品を通して宮崎駿さんの人生を表している
と僕が考察した点について。
劇中に出てくる本を読みすぎておかしくなった大叔父はきっと宮崎駿さんの事を表してるのだろう。
僕は劇中の大叔父についての説明の仕方が妙に気になった。作品の空気感を少し壊すように皮肉めいた口調で夏子さんは話すのだ。
「大叔父さんは本ばっか読んで頭がおかしくなってる」と。
きっと宮崎駿さんからすると宮崎さんは作品の世界に取り憑かれて現世からは消えてしまった。(そんな事はないが)自分の事を言ってるのでは?と思った。宮崎駿さんは作品を残すために生きる。そんな誰も知らない世界での日々の生きるか死ぬかの戦い宮崎駿さんにあるのだろう。
劇中で大叔父が持っていた綺麗な石の数は13個。
そして宮崎駿さんがこれまで監督を勤めた作品の数も13個。
それを積み上げる事を人生としてると眞人に伝える
過去作リスト
http://www.hyou.net/ma/hayao.htm
積み上げた積み木を見せながら眞人に言う。
「僕は石と契約してるのさ。」
まるで僕は「作家として生きる事を契約している」
と宮崎駿が言っているように感じた。
宮殿の奥で積み上がった13の積み木は今にも倒れそうになっていた。
倒れた時が彼の死なのだろう。
積み木が積めない=これ以上作品を残せない
死ぬから残せないのではない。
残せなくなった時が宮崎駿にとっての死なのだ。
でも分からない人には分からない。インコの大王に
「たかが石ころに世界を委ねるなんて」
と一刀両断されてしまう。
ちなみにこの作品を見て理解ができず一刀両断するようにネットに酷評する人達みたいなのをインコ大王として表すように見える。
今回の作品はインコ大王がたくさん現れそうだ。
人の作品を真似するのは死ぬのと同じ事。
映画の中で「我を学ぶものは死す」書いてある場所があった。宮崎駿さんが心で思う事そのものなのではないか。
戦争が始まってから3年目に眞人の母は亡くなる。
それから1年後には再婚し新しい家族の形ができるがそれを受け入れられない。
そんなある日眞人は「君たちはどう生きるか」の本を読んで涙する。
これはまさに宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を,読んで感銘を受けた自分の事を重ねているのではないかと思う。
他の考察をされてる方は吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937)を読んだ宮崎駿さんが感銘を受けていて今作にその小説の内容を少し落とし込んだという軸をもって考察されているが
僕はそうではないと思う。
シンプルに当時の宮崎駿さんには自分の人生とその小説が純粋に重なったんだと思う。
だからこそ小説「君たちはどう生きるか」に感銘を受ける事が出来たのだ。
そして自分の人生を作品にした今作では結果的に小説「君たちはどう生きるか」と重なる部分が現れた。
“小説に今作を合わせたのではない。
彼の人生がたまたま小説と重なっていたのだ。”
だからその小説と今作は全く関係がない。
はずだった。
しかし共通点がある。
きっと本人も驚くほど共通点を感じてるのだろう。
他の石ころとは違う自分自身の積み木を選び取り大切に13個重ねたはずだった。誰ともかぶるはずがない。
でもふと振り返ると今作はその小説と重なるところがある。影響を受けてると言われざるを得ない箇所があった。
それがまさにラストシーン、現実世界に戻った眞人が
持ってきたはずはなかったがなぜか自然と手に持っていた異世界の”石”なのではないだろうか。
その石は宮崎駿にとっての小説「君たちはどういきるか」なのだ。
そして戦争について
夏子さんは下の世界に行きたくないのに行った。
そうだ。誰も戦争は行きたくていく場所ではない。
あの異世界は戦争をも表している。
僕は巨大なインコが当時の日本人から見た異国の外国人に見えて仕方がなかった。
なぜ日本を舞台にした映画で仲間となったサギと対する鳥としてあまり日本には馴染みのないインコが登場するのかと。
人をも食べる武器を持つ巨大なインコだが彼らは妊婦は食べれないと言っていた。
一体なぜだろう。戦争中、女、子供は本来殺してはいけなかったのではないか。
それでも男は食べれる。
そんな恐ろしいインコだが異世界の扉を開けて本来の時間軸に迷い込んでしまった時はどうだろう。小さなインコになっている。
ラストシーン思わず夏子も「綺麗」とインコを見て言っていた。あんなに恐ろしかったインコなのに。
では2023年僕らにとって外国人はどうだろう。
例えば当時の日本兵が見た米兵はそれはもうとても恐ろしかったろが、今僕らが出会うアメリカ人は友達になれるし、一緒に仕事もできる。ちっとも怖くはないのだ。
当時は恐ろしかった外国人。しかし今では友達。
それを僕は「異世界では恐ろしいインコと、現世ではかわいい僕らの知るインコ」にメタファーしたのではないかとも思った。
現世に戻ってきた眞人は異世界での出来事を覚えていた。しかし青サギが言う
「みんな忘れちまうのさ」
戦争は忘れ去られる。みんな忘れていく。
それを表してるようにも思う。
戦争だけじゃない。
嫌な思い出や不思議な経験はみんな忘れていくものだ。
覚えておくには眞人(宮崎駿)が積み木を持って異世界から出てきたように
いつの間にか手にしているその時見つけた大切な物を持っておかなくちゃならない。
その積み木とは今回宮崎駿にとっては小説「君たちはどう生きるか」だった。
そして眞人はラストシーン東京に帰る時、カバンに
小説「君たちはどう生きるか」をしまいこむ。
そう。彼もまた大切な時間を忘れないために
大切に本を持っているのだ。
ここでは宮崎駿と眞人は完全にリンクしている。
異世界では不思議な事がたくさん起こるし、知らない文化がたくさんある。
それはまるで異国には異国の文化があったり、僕らの人生でも想像もしない事が次々と起こる事を表しているように思えた。
今作には他にもたくさんの事がメタファーされている。
例えばアオサギ。アオサギは自立心の象徴とされている。
眞人が頭を石でわざとうち家族に嘘をついた時アオサギの声が聞こえるようになった。
これは彼自身が自立するまでの物語でもある。
眞人の時は母が亡くなった時から止まっていた。
もちろん新しいお母さんも受け入れられない。
そして最初塔の中にいたのは自立心の象徴のアオサギと偽物のお母さん。
眞人が偽物のお母さんに触れた時その偽物は消えてしまう。
そしてアオサギは言うのだ
「触らなければもっと長く持ったのに」
あの塔は眞人の心そのものかもしれない。
いない事を確かめたりするから本当にいなくなるのだ。
「遺体をみてないだろ?」とアオサギは言ったが
眞人自身がそう思っていたのかもしれない。
自分自身を知る事は辛い事で大変な事だ。だからアオサギは言うのだ。
「下の世界に行くのかい?夏子を探しに行くかい?
大変だと思うけど…頑張ってね。」
そうして眞人の自分との戦いが始まるのだ。
あの異世界は眞人の精神世界とも言える。
そして自分自身と対話し戦いが終わり眞人は自立していく。
異世界での出来事は戦争であり精神世界であり人生である。本当に自分や自分を取り巻く環境などその全てなのだ。
そして大叔父さま(宮崎駿)が作り上げた塔から入った異世界だからこそ過去の宮崎駿作品を感じさせる描写も入っていたのではないか。
宮崎駿作品は宮崎駿にとっての人生そのものなのだ。
眞人は宮崎駿だったと言えるが
今、眞人は僕達とも言える。
そして宮崎駿は大叔父になった。
受け継がれていくのだ。
異世界で世界の時間軸がおかしくなってるように今の僕達も当時の宮崎さんも眞人であり作品の中で
つながっている。
まるで血縁のように。
宮崎さんが「俺はこう生きたが君たちはどう生きる」と僕達に選択肢を与えてくれているようにも感じる。
。
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