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小論文と作文の違い【小論文の戦略】  

 小論文.comの添削指導講座を受講していただく前に「私が受験をするのは作文試験なのですが、小論文.comで対応できますか」といったご質問・お問い合わせをいただくことが多くあります。結論からいえば、一般的に作文試験と呼ばれる試験の中の約95%は、実質的には小論文・論文をベースにした文章を書く必要がある試験です。なぜそのようになるのかについてご説明いたします。



【1】 そもそも小論文という科目がない  


 一般的に高校までの段階で正式に「小論文」を学習しないために起こる最大の誤解は、小論文と作文を同じものとして捉えられてしまっているということです。学生だけでなく学校の先生たちがその違いを正確に認識していないことも多々あります。私の経験上はむしろ小論文とはどのようなものなのかを正確に理解している先生の方が少ないように感じられるくらいです。また、通常学校で小論文という分野が1つの科目として設定されていないこともあり、小論文を専門的に正確に教える先生がほとんどいません。国語(現代文)の先生や進路指導の先生が一生懸命に学生たちのために時間を作って添削指導しているというような状態です。専門科目ではないためボランティアのような状態でサポートしてくださり感謝しかないわけですが、その添削指導の正確性についてはどうしても疑問が残ってしまいます。

 そのようなことから、最終的に小論文と作文をおおよそ同じものとして認識したままの状態で出題者の意図・期待に応えられない答案用紙を提出してしまうことで、望まない通知が送られてくるという最悪の結果になってしまいます。そのようにならないためにも、小論文や作文とはどのようなものを指すのかを深く考察し、正確にその違いを理解しておきましょう。それを理解するだけでも合格可能性はかなり上がります


【2】 「作文」の中の ”小論文” と ”作文” ?!  


 作文とは、あるテーマに関して自分や自分の周りで起こったことを自由に語るもので、言いたいことを自由気ままに書き並べるものだと言えるでしょう。それに対して小論文とは、ある事柄に関して論理を使って自分の意見が正しいということを読者に納得させ証明していくもので、自分の主張を論理で説明するものです。読み手を納得させ、証明していくには作文のように自由気ままに語るわけにはいきません。論理を用いて読み手を納得させていく必要があるのです。そのため「作文」と「小論文」は大きく異なるものです。

【作文】(狭義の作文)
あるテーマに関して自分や自分の周りで起こったことを自由に語るもので、言いたいことを自由気ままに書き並べるもの

小論文】
ある事柄に関して論理を使って自分の意見が正しいということを読者に納得させ証明していくもので、自分の主張を論理で説明するもの

 しかし、この考え方は「作文と小論文」という同じ土俵で比較し、相違点を考えた場合に出てくるものです。そもそも「作文とは」ということで検索をすると「文章を作ること。また、その文章。」と出てきます。まさに、「文」を「作」ること、すなわち「作文」ということです。

 つまり、そもそも「作文か小論文か」という話以前に「文を作る=作文」という当たり前ともいえる意味での「作文」が上位概念として存在しているということです。要は、大きな意味での作文(広義の作文)というものがあり、その大きな輪の中の要素として、小論文という論理で説明する文章、小さな意味での作文(狭義の作文)という自由に語る文章が存在するということです。

 「作文」という2文字の言葉自体をどの土俵での話をしているのかによって、実際に指している内容は変わってくるということです。大きな意味での作文を表している場合は「文を作る」作業をすればどのような文章でもすべてが当てはまることになりますし、小さな意味での作文を表している場合は、小論文のように論理を用いて自分の意見の正当性を証明していく必要はなく、まさに感じたこと思ったこと言いたいことを自由気ままに書き並べればそれで問題ありません。


【3】 「作文試験」は大小どちらの ”作文” か  


 では、受験において「作文試験」と表記されている場合、これは大きな意味での作文を表しているのでしょうか、小さな意味での作文を表しているのでしょうか。実際のところ大学受験の約95%大きな意味での作文を指しています。なぜなら、第1に、約95%の受験先は受験生の論理的思考力や自己表現力、分析力や課題解決力の検査をしようとしているからです。その大学、就職先、昇進後の役職にふさわしい能力を持った人物なのかどうか、究極的に言えば将来社会の一員として優秀な人材として社会貢献ができるような立派な人間になる素質があるのかどうかを検査しているということです。また第2に現実的な話として、小さな意味での作文では受験生全員が自由気ままに感情のおもむくままに書き並べていって良い以上、他の受験生よりも優れているか優れていないかという評価により合格・不合格を決めるという「相対評価」ができなくなってしまうからです。そのため、実質的に「作文試験」と記載されていたとしても受験生としては小論文を書いていく必要があるということになります。


【4】 なぜ最初から「小論文試験」と書いてくれないのか  


 ほとんどの場合実質的に小論文を書くということであれば、なぜ「作文試験」というわかりにくい表記にするのでしょうか。それは受験先として、厳密には論理的な説明ができているかどうかという「小論文」での論理に対する評価だけでなく、やはりその人の意気込みや熱い想いといった感情の部分、心の部分も検査したいという考えがあるからです。つまり「小論文試験」と記載してしまうと、あるテーマに対する意見・主張の正当性を論理的に証明できるかどうかのみを検査するように見え、その受験生の人柄や受験先や将来に対する熱い想い、心の温かさやそれらに伴うこれまでの言動・経験というものが見えにくくなります。そこで、原則的には小論文を書いてもらいたいものの、少しそのような個人的な感情についてもある程度見ておきたいという意味で、意味としてぼやかすために「作文試験」ということで大きな意味での作文を意味する試験名称としているというわけです。ですから私たちは「作文試験」と書かれているからといって、すぐに小さな意味での作文と捉えて自由気ままに書き並べていくのではなく、このように正確に出題者の意図を分析した上で、受験先の期待に応える文章を作成していかなければなりません。約95%の作文試験は「小論文+自己PR文」の試験を表しているものだと理解しておきましょう。

約95%の ”作文試験” は
小論文+自己PR文


【5】 残りの約5%はどのような試験か  


 約95%の試験は実質的に「小論文+自己PR文」を書くということですが、残りの約5%の試験はどのようなものでしょうか。それはまさに小さな意味での作文を書くべき試験だということになります。先ほど受験先は(1)論理力の検査、(2)評価の難しさという主に2つの観点で大きな意味での作文を書くということで説明いたしましたが、残り約5%の受験先は、(1)論理力ではなく感情表現の検査をする、(2)個々の能力そのものを相対評価ではなく絶対評価で合否を判定する、ということを目的としています。そのためこちらの場合は小さな意味での作文を書く必要があります。このような感情表現を絶対評価したい受験先というのは、まさに芸術・アート等に関する分野に他なりません。論理的思考力や自己表現力、分析力や課題解決力ももちろん人間として必要なものの、鑑賞力や考察力、そして何よりも創造性や感受性がどのようなものかを検査対象としています。そのような感情に関わることそれ自体を習得していくべき受験先の場合は、小さな意味での作文が課せられているということになるわけです。


【6】 自分が受験する試験は約95%側か約5%側か  


 基本的に”試験”が課され、合格人数がある程度定められていて、特に分野として芸術系ではない場合は、約95%の側である「小論文+自己PR文」を書くものだと判断しておくのが良いでしょう。約5%の側の試験においては、その募集要項・試験概要の中で、鑑賞力や観察力、創造性や感受性、その他自由に好きな表現をどんどん出して欲しいといったような指示が書かれているものですから、その点も判断材料としておくと良いでしょう。またもしどうしてもどちらの作文試験なのかが判断しにくいという場合は、小論文.comまでお問い合わせください。


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