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ピッコロ大魔王のセリフで妄想した話

前回の記事を上げた次の日くらいにレジェンズでガシャしたところ、1回目でマジュニアが来てくれました。

何となく来てくれる予感がしてました

まぁ元気よくはっちゃけてますねw
大魔王の生まれ変わりとしての貫禄というよりもやんちゃ風味が強いと言うかw

何か物凄く生き生きしてますね(´ω`)

あくまでゲームでのマジュニアの動きを見たりセリフを聞いたりして感じた事なのですが、大魔王の仇を討ちたい気満々なのに生まれてまだ3年経ってないせいか、悪ぶってるというか肩肘張ってるというか、とにかく何か凄く一生懸命に頑張ってるなぁと。
(原作だとどちらかと言うとクールに構えている印象が強かったので、あとから見て「ああ、あの頃はやんちゃだったなぁ」みたいな感じと言うか)

で、結局のところ、仇は取れずに悟空に敗れはしたものの、それだけ一生懸命なマジュニアを見ると「よく頑張ったね、次また挑戦すればいいよ」と言ってあげたくなるというか。
大魔王がもし親として少しでもそんな気持ちを抱くのだとしたら…と思った時に、ふと想像というか妄想が広がったので、忘れない内に書いておこうかなと。
と言っても自分は気持ち悪い程のピッコロさん贔屓ですし、DB超SH大好きナメックなのでこの妄想に関してはあり得ないくらいの性善説というか、
物凄く都合のいい解釈(もはや曲解と呼べるレベル)をしている自覚もあるので適当に流して頂けると幸いです。


今回妄想を膨らませたのは大魔王の死ぬ間際に遺した
 「いつの日か父の恨みをはらしてくれ……!」
 「悪の根をたやしてはならんぞ…」
というセリフについてです。

ピッコロさんを産んだ後で遺したセリフ

自分は今までずっと文字通りの意味で受け取っていたのですが、ここに来て鳥山先生が脚本を手掛けたDB超SHを見た影響もあるのか、一生懸命なマジュニアの姿を見て少し見方が変わった部分があります。

文字通りに大魔王のセリフを受け取ると、DB超SHのピッコロさんの姿を草葉の陰から見た大魔王は納得いかないどころか「お前マジで何しとんねん」と怒り狂いそうな気がするのですが、何だろうな…自分自身親になって日々子どもの成長を間近で見ているからかも知れませんが、大魔王が生まれた理由を振り返ると一概にそうとも言えないような気がしまして。

以前どこかでどなたかがDB考察の中で
「大魔王は自分の居場所を作ろうとしていたのではないか?世界征服もその一環なのではないだろうか?」
みたいな事を書かれていたのを見かけました。

そもそも大魔王を生んだナメック星人は(後から分かる事ですが)異常気象で滅びそうになった故郷のナメック星から逃れて地球に辿り着いたワケですが、記憶を失った事が良かったのか悪かったのか、ナメック星人である事も名前すらも忘れてしまい、親からの手紙だけを頼りに独りで生き延びて。
“神様”の存在を知って後継者になろうとしたけれど、当時の神様に(人間の影響によって生まれた)悪の心があるからダメと言われて、修行をして悪の心を追い出したらそれがピッコロ大魔王になってしまったと。

ピッコロさんと神様が亡くなった後で解き明かされていくルーツ
母星から地球へ1人逃れて来て記憶を失う設定は悟空と一緒
ピッコロさんにとっての「手紙」はそれまで寂しさを想起させるアイテムでしたが、
AJ2022の企画によってコミュニケーションのツールに!(余談)
自分以上に素晴らしい者がいないと信じていたってのが何気に凄いw

大魔王は神殿から地上に逃げて世界を恐怖のどん底に叩き込んだと。
その間にタンバリンやシンバルのような手下を生んでいたと。
で、亀仙人と鶴仙人の師匠である武泰斗によって魔封波で電子ジャーに封じ込められてしまったと。

亀仙人の感覚でも「ピッコロ」という名前はかわいいようですw
「わけのわからん術でこんなもんに封じこめおって…」byピッコロ大魔王

確かに大魔王はどこにも居場所が無かったんだなぁと、自分も感じました。
しかも神様になった本体も、実は地球上でたった1人のナメック星人であり地球人ではなく。
孤独で、どこにも居場所がなかった大魔王は世界を手に入れて自分の場所を得ようとしたけど封印され、時を超えて封印を解かれたけど(よりによって)悟空がいる時代に甦って倒されてしまい、でも死ぬ間際にすべてをタマゴにつめ込んでピッコロさんを産み落としたワケですが、生まれ変わったピッコロさんは大魔王の遺志を継いで、親の業を背負った形で復讐の為に第23回天下一武道会に出場して悟空と闘うことに。

話はズレますが、ここからが何度原作を読み返してもワリと不思議に感じるというか、意図的ですらありそうな気もしますが、悟空と目が合ってもピッコロさんはその場でいきなり飛び掛かったり襲ったりもせず、きちんと列に並んでくじ引きして予選を勝ち抜いて、武道会のルールを守りながら試合で勝ち上がって悟空とぶつかるんですよね。
(逆にメチャクチャやってしまった桃白白は反則も取られ、DBという舞台そのものからも去ってしまう事に。)

参加者としてきちんと列に並んでいるピッコロさん
説明を聞くピッコロさん。何故かシェンと隣同士w
くじを引くピッコロさん。この時は審判のおっちゃんよりまだ背が低い!

悟空の事を考え過ぎていて他はどうでもよかったのか、結果として卑怯な手を使っていた大魔王の生まれ変わりとは思えない良い子な状態にw
しかも凄く巧妙と言うか構成の凄さと言うか、“ピッコロ大魔王の怖ろしさから来るパニックを回避するため”という理由の元で、悟空は決勝戦直前までピッコロさんの正体を伏せてましたし、マジュニアはマジュニアで因縁の相手以外の第三者(審判のおっちゃんやランチ)が気付くまで自分の正体を明らかにさせなかった事で、試合以外の場面でのマジュニア絡みの諍いを回避させているという。。
(話がとっ散らかって収拾がつかなくなってしまうからかも知れませんが)

更にマジュニアが正体を暴露して観客や住民たちが自主避難した事で、島全体を吹っ飛ばしても死傷者ゼロという環境を作り上げるという周到さ。。
人々を脅した事による脅迫罪と島全体を破壊した器物損壊罪くらいは適用されそうですが、必要以上の罪をマジュニアには犯させない配慮が物凄いというか。(果たして武道会主催者側の保険etc.で損害をカバーできるのか…

そんなピッコロさんですが、神様から切り離されたり電子ジャーに封じ込められたり悟空に倒されたり、大魔王の記憶も引き継いでいるらしいので人間や世界を恨んでいたのは間違いないと思うのですが、それ以上に大魔王が抱えていたであろう“自分の存在を認めて欲しい”“居場所が欲しい”という気持ちが根底にありそうなイメージもあって、マジュニアは世界から拒絶されたり排除される側だと自分自身で認識していて、その前提に立っているからこそ“自分が存在出来る場所があればそれでいい”と思ってそうにも感じたり。
そんな孤独のツラさを一生懸命強さで押さえつけて、自分自身でも見ないようにしている感じがすると言うか。
(孤独に対する哀しみについては、悟飯を庇って死ぬときにピッコロさん自身が言及してますね)

ピッコロさんがずっと孤独だったことが示唆されている場面。。
死ぬ間際に初めて零した本音。。

そうして見ると「いつの日か父の恨みをはらしてくれ……!」「悪の根をたやしてはならんぞ…」という大魔王のセリフをもう1度読み返した時に、「だ…だがこのまま ま…魔族が……消えてなくなるとおもうな…!!」という前置きもあるので、それまでは
 父の恨み → 悟空に倒されたこと
 悪の根 → 大魔王や魔族という存在
みたいなイメージで受け取っていたのですが、それだけではなくて、
 父の恨み → 居場所を作る事が出来なかったこと
 悪の根 → 「自分」という存在
と置き換えられるような気がしまして。
神様や悟空がいる世界において自分の存在を確立させるのに、“悪”から生まれた大魔王は悟空や神様に迎合出来ない以上分かりやすく“悪”を名乗る立場でなければ存在出来ないと思い込んでいたから「恨み」や「悪の根」という言葉が出て来たのかなぁとも。
言い換えると
 「いつの日かこの世界にお前の居場所を作ってくれ……!」
 「“お前”という存在を消してはならんぞ…(自分のように死ぬな)」
と、親が子に求める愛情そのものに置き換えられる気がしました。
一言で言うと呪いではなく祈りだったのかな、と。
だとしたら、“悪”のまま生きようとして倒された時に、(「見事というしかない」と悟空の事を認めていた節もありますし)子ども(魔族)がどうすれば消えずに生き残れるのか、粗暴でずるがしこい(神様談)大魔王がその時必要だと感じたものをタマゴに詰め込んだ結果、真面目で優しいピッコロさんが生まれたのだとしたら何か親としての愛情が感じられて素敵だなぁと思ったり。
なのでピッコロさんが生きる場所や道を見つけられれば“悪”や“魔”にこだわる必要は無くて、大魔王もそんなピッコロさんを見て「不甲斐ない」とか「親の恨みを果たせなかった愚か者」「魔族の恥さらし」etc.なんて思わず、むしろ「ただのピッコロ」と言えるまでになって自分の望みでもあった“居場所を作る”事が出来て嬉しいんじゃないかなぁと。
そして自らが生み出す魔族の手下と違い、ピッコロさんを受け入れてくれる人と場所が出来た事が喜ばしいというか。
そのキッカケを作ったのが自分を倒した悟空だという事にはモヤりそうですが、全力でぶつかって全力で返してくれた相手でもあり、自分と対極の位置にいて悟空と同じ側であるはずの神様に反対してまで、刹那的だったマジュニアの命を助けてくれた事はマジュニアにとっても大魔王にとっても物凄い転機だったんだろうなぁと。

で、原作内での神様によるピッコロさん考察が実は今まで自分の中ではワリと唐突過ぎると言うか、ピンと来てなかった部分があったのですが、、

アイデンティティの1つでもあった“魔族”という属性もなくなったピッコロさんが残せるものとは…

↑の置き換えが出来た時に、悟空と闘って敗れて命を救われたことで生きる理由が出来たピッコロさんが大魔王の遺志に応えられそうにない(生きろと言われたのにその願いを果たせそうにない)と悟った時に、それでも
 自分の存在(生きた証)を消さないように → 何かを残したいと思った
という流れで繋げたらすんなりと納得する事が出来ました。

そうなると、月を吹っ飛ばした直後に悟飯に「魔」の字付き道着を与えたのは、悟飯に技を教える前の段階だったので、まだ何も持たない悟飯に与えられる(残せる)ものがピッコロさん(大魔王)を想起させる「魔」の字しかなかったからなのかな、とか。
で、悟飯が修行して技を会得した事で自分の技(教え)は残るようになったので、「魔」の字は特に必要がなくなり、自分とお揃いの道着を与える事も出来たのかな、とか。
悟飯の道着の変化については他にも色んな解釈と理由があると思いますが、こんな理由が含まれていても順番的にも一応理に適っているというか、色んな意味で流れが整い過ぎてるのが凄いなぁと。。

更にちょびっとだけ語ると、だからこそ原作で描かれた番外編「TRUNKS THE STORY」時間軸の未来トランクスが魔閃光を使うとすげぇグッと来るというか、アナタの生きた証がアナタが助けた命(悟飯)の手で未来に続きましたね、とピッコロさんに言いたくなると言うか。

旧ブロリー映画でのダブル魔閃光

もっと言うと、DB超SHでパンちゃんのトレーニングに付き合っているピッコロさんを見ると堪らなく嬉しくなると言うか。

DB超SHでパンちゃんは舞空術を見事体得!

それを思うとDB超SHのこの場面はその意味で最高の形になってるなぁと改めて感じました。

劇中で唯一技の名が叫ばれるシーン

そんなこんなで、以前はパンちゃんの子守をするようなピッコロさんを大魔王は認めないんじゃないかとかって思ったりもしたのですが、これだけ一生懸命頑張って、自分の手で人の輪を作り上げて行って自分の存在出来る場所を確立させた子どもの姿を見たら、親なら多分喜びが勝るんじゃないかなーと。ましてや自分の居場所を求めていた大魔王ならきっと喜ぶんじゃないかなーと妄想した次第です。
言うても魔族なので。
大魔王なので。
そこまで甘いキャラとも思いませんがw

そんな感じだったら(自分が)何となく嬉しいなぁと思いました。
それもこれもDB超SHを見た事によって膨らんだ妄想なのですが、廻り廻ってDB超SHはピッコロ大魔王の救済にもなっている気がしてますます作品が好きになりましたw

ピッコロさんは大魔王の生まれ変わりで記憶も引き継いでる設定ですが、だからこそ大魔王の存在を自分としても自分以外の存在としても見つめることが出来たのかなぁと。
自分自身を見つめるという事は決して簡単なことではないと思うのですが、
ネイルと融合した事も含めてどんな自分でも受け入れられる柔軟さと前向きさこそがピッコロさんの強さなんじゃないかなーとも思いました。

妄想全開の長文でしたが、ここまで読んで頂きありがとうございます。

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