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        エスカレーターの謎

皆さんが日常的に気にも留めずに使っているエスカレーターの使い方について近年異を唱える人々が出てきている事をご存知だろうか??
彼らの主張は ズバリ”片側を歩くな” (危ないからというのが理由らしい)
エスカレーターが世界的に普及してから依然として確固たるルールが形成されていないのは何故なのだろうか?今日は僕も長年疑問に思っていたエスカレーター問題について歴史から紐解いていきたいと思う。

エスカレーターの歴史

エスカレーターはエレベーターができた僅か2年後の1859年に初めて登場した。その後、三越呉服店(現三越百貨店)が日本で初めて導入したのが1914年の事だ。しかし、これも関東大震災で焼失し日本初のエスカレーターはあっけなくなった。商標権の関係で日本に普及した当初は自動階段などと呼ばれていたらしくその後、商標権が維持できる50年が経過した1950年にエスカレーターとして世間に浸透したとされている。そう考えると、エスカレーターをエスカレーターと呼び始めてから月日はそれほど経っていないように思える。

いつから片側を開けるようになったか?
エスカレーターの片側空けが初めて登場したのは第二次世界大戦下のイギリスロンドンの地下鉄とされる説が濃厚だ。社会全体の効率上昇施策の一つとして地下鉄当局が呼びかけたものだった。その後、日本では1960年代後半に梅田駅にてこの文化が普及し始め後に東京でもそれらが一般化される事となり、当時のスローガンとして「紳士の国、英国を見習おう」というものがあったらしい。イギリス、日本に限らずその他の国でもこれらの現象は発生しており、そのいずれもが五輪やワールドカップ、万博など世界的イベントに合わせて実施された。その背景には、エスカレーターの片側空けを採用する事によってより先進的な国だとアピールする狙いがあったとされる。

片側空けによる事故の増加の可能性
想定できる事故の種類としては、、、

  • 片側にだけ重心がかかることによるエスカレーターの陥没事故

  • 歩く人と立っている人との接触事故

などだが、その他にも部品の消耗など片側空けによるメリットよりもデメリットの方が多そうな気がするが、専門家によるとラッシュ時にエスカレーターに人が溢れかえることによる線路への転落などの可能性を考慮すると片側空けを採用する正当性は十分にあるという。

僕個人の見解
私も個人的には片側空けは反対の立場だ。理由は至極簡単だ。

  1. エレベーターの寿命を縮める原因であるため

  2. 効率化という面でごく少数の人間たちを対象とした制度であり社会全体の効率を考えているようには思えないから

以上の2点である。しかしどちらにも言い分がある事も同時に認めざるおえない。

まず1についてだが、これには恐らく多くの大人の事情があるのだろう。社会には時に非効率的な事を黙認する節がある。代表的な例でいえば電球などが挙げられる。既に半永久的に交換不要な電球が開発されているとされながらも社会には普及していない。エスカレーターも事故防止の点検や定期点検などによって雇用を生み出している事は否めない。

次に2についてだが、これは効率的とは誰に向けたどのような事を指すのかに大きく依存すると思う。確かに通勤ラッシュ時における片側空けは効率的であると思う。しかし、僕が1番思うのは誰も歩いてないのに全員が片側によっている光景を見たときであり皆が両方に立てば皆が半分の所要時間でエスカレーターを使用できると感じる。

解決案
専門家によると解決案はあるという。

商業施設などの急ぐシチュエーションではない場所での歩行禁止
横に階段がある場合の歩行禁止
長距離のエレベーターでは歩行禁止

通勤以外の場合での効率化は彼らの主張にそぐわないし、横に階段がある場合も明らかに階段を使用した方が効率的である。また、長距離エレベーターにおいては全員が両側に乗った方が輸送量が30%上がるというデータもある。これは、長距離になればなるほど片側を歩く人が少ないというのが主な理由らしい。

最後に
結局シチュエーションに応じて臨機応変に対応することがベストだと思うが、それを集団の共通認識とするのは些か非現実的だと思う。発明されてから150年以上の歳月が過ぎても特定のルールが無い理由はこれらのルールが自然発生したものだからである。僕はここに全てが詰まっていると思う。先人は今の現状を最効率化だと定義し広めた。そして、私たちは時代が大きく変化した今なお使用している。それを”そういうものだから”と言い使うのか、これがこのような点で効率的だと感じるから私はこれに賛成し使っていると主張するかここに1番大きな違いが出てくる。人間として、個としての可能性を決して狭めず何事にも挑戦するべきだと思い常日頃過ごしているが、社会に出て色々な人と関わるうちに絶対にこの人には勝てないと思うような人に多分に出会う。発明家や起業家などはわかりやすい例なのではないかと思う。その中で全ての人間が特別な才能を持ち何かで輝ける社会であるというのは幻想で大多数の人間が他の人間でも変わりの効く仕事をし日々生きていることを再認識しがっかりする。しかし、既存のルールや常識に囚われずなぜそれらを自分達が遵守しているのかを常に考えることによって新たに自然発生するルールはもちろんの事、法律や憲法など国民1人で変える事が難しいものも時代に沿って変化する社会になるのかもしれない。





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