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嫌われる勇気、実践となるとムズい。

’’自己啓発の集約本だ’’、と誰かが言ってたから、

書店で見かけても、読もうと思わなかった。

実際、本書で触れられてる考え方の多くは新しいものではなかった。

でも、ザッと呼んでみると、たった1行の中の言葉なのに、時間を割いて考えてみると、自分の思考のレベルアップにつながる言及があった。

書評ではないけれど、読破した後のアウトプットとして、印象に残った個所を3点紹介する。


①経験に意味を見出すことで、自らを決定すること。
②不満の状態を欲しているから、立ち直れない、前を向けない。
③’’自己受容をすること’’&’’他者貢献vs自己実現’’。

特に、③について、第五章では今まさに自分に必要な考え方を再考できたため、この本を手に取ってよかったと思う。



①経験に意味を見出すことで、自らを決定すること。

p30, トラウマについて、オーストリア出身のアドラーは、

「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と説いている。

たしかに、小さい頃に大型犬に追っかけまわされた人にとっては、大人しいゴールデンレトリバーにさえ恐怖感、トラウマをもつ人が大多数だと思う。

でも、もう一歩踏み込んで、そのトラウマの原因を考えてみると、

犬は攻撃性があって十中八九噛みついてくるもの、犬は危険をもたすもの、犬と接触することは今後一切において自分の選択肢の中から排除しなければいけないもの、という意味付けを無意識にしているのかも。

たまたまその時だけ、その犬の機嫌が悪かったり、気づかないで尻尾を強く踏んづけていただけかもしれないのに、

犬=危険、自分の世界からは排除!みたいな認識が作られているだけかもしれない。実際には、癒し効果をもたらしたり、危険というよりむしろ、危機的状況で自分の命を助けてくれるパートナーかもしれないのに。。。

自分のトラウマを洗い出しみたら、今の自分に役立つものになるかもしれない。長年避けていたからこそ、それが案外劇的に自分の生活を一変させるものかもしれない。人に頼ってみること、とかかな。



②不満の状態を欲しているから、立ち直れない、前を向けない。


本書は、青年と哲人という二人の会話形式になっている。

「(現状から)変われない」と相談してきた青年に対し、哲人は、

p52,「いろいろと不満はあったとしても、『このままのわたし』でいることのほうが楽であり、安心なのです。」と回答。


たしかに。まさに今の自分(数日前)だ、と思って非常に実感することで来た。

具体例を挙げたらきりがないから、試験とか人間関係で落ち込んだ時に、落ち込んでいる自分、ピンチであり息苦しい絶望状態にある自分が置かれている状況に’’いることを’’味わうことがある。人生100年の中で自分は今マイナスの状況に対して、まるで他人の不幸を見て喜んでいる自分がうっすらいることを認識している。

これは考えすぎかもしれないけど、とにかく一刻も早く立ち直らないといけない状況なのに、その負の感情と現状を味わっている。

映画で主役を演じながら、それを鑑賞している感じ。自分だけのオリジナルだから、ずっと見ていたくなる。



上記のようになるのは、現実逃避をして突然現れたストレスに対して、じっくり適応しようとしている本能なのかもしれない。

動物は変化を好まないらしいから、生存の活動ができる位にピンチが差し迫ってない限りは、その動物の生態に適した生息環境にいることで生存の可能性は上がるだろうから、その環境に留まる(当たり前)。

一方で、人間は複雑な社会の中で活動しているから、働かないといけないし、(本能的に避けたいような)気の進まないこともやる機会は、動物に比べて、多いと思う。

でも、動物にはないような、はっきりとした喜怒哀楽が、感情の持ち主である本人ですら紐解いて解消できないくらいまでに、複雑なストレスとなって私たちに、日々変わるか、変わらないかのチャンスをくれていると思う。

本能にあらがう人間の性ってこういうことなのかな。とりあえず、今は人間に生まれて、こんな体験を毎日のようにできて幸せだと今実感している。



③自己受容をすること、他者貢献vs自己実現。


自己受容、これから体に叩き込みたい。


自己肯定と自己受容の違いについて、

本書の中で哲人さんは、60点のテストの点数を例に紹介している。

p227, 「もっとわかりやすくいえば、60点の自分に『今回はたまたま運が悪かっただけで、ほんとうの自分は100点なんだ』と言い聞かせるのが自己肯定です。それに対し、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で、『100点に近づくにはどうしたらいいか、』を考えるのが自己受容になります。」


今後の自分の中で、この違いを明確に分けたい。

自己肯定だと自己満足で終わってしまいそう。

一方で後者は、逆算して最短最速の目的達成と必要な、常に現状とかマインドの更新に必要な考え方だと思う。

やり始めると当初の目的を忘れがちなる自分に、今ガチで必要。



上の引用のすぐ後に、

肯定的なあきらめ、「変えられるもの」と「変えられないもの」の見極めが必要だとある。

余計なものは捨てる、課題の見極めについては、落合陽一さんも読み込んだというISSUE DRIVENでも触れられてた。読み返さなきゃ。


他者貢献か自己実現か問題


今は、自分の将来の夢とか理想を最大限達成すること(自己実現)で、最大の幸福であろう達者貢献を得られるだろう、というスタンスで生きてる。

でも、最近人から感謝されて、自分で何かを達成するよりもはるかに大きい喜びを感じる。

他人のために何かしようかな、と考えたりで、結局のところ、軸が定まってないなと思った。


おもい返せば、

自分への肉付け、個性を強くすること、経験とか信念をもって、生きたり意見を述べたり行動をしたい、と大学入学当初は自分に重きを置いてた。

最近になってようやく、自分も承認欲求が強く、人との交流も求めていると自覚してきたからこそ、また軸がブレてきている。


このブレをもたらしている要因も、間違った相手に並びに間違った態度で鑑賞しているからだと、この本から学んだ。

自分にとって、この本の特に第五章が役立った。

それが、信用と信頼の違い。


信用とは、信頼に近いようでまだ相手に対して懐疑心をもっている状態で、

この状態では、その人に貢献をしたら見返りを求めてしまうらしい。

まだ中途半端な信頼。


一方で信頼とは、

見返りを求めない関係性を指す。

例えば、家族とか、限られた友人etc...

たしかに、自分も気を許してる人には、お返しが返ってくることを考えないでgiveする貢ぎ癖がある。その状況では、お返ししてくれる相手よりも、giveをした自分に関心が向いているから、お返しが返ってこなくてもストレスを感じないし、そもそも忘れてしまっている。



まとめとして、


この本から、学べたこと。

まず自己受容の基盤をつくっておく。逐一、更新もする。

でないと、そもそも自分に自信が持てず、心理的に不安定だから、懐疑心が全開で、次の段階の信頼ができない。

そして、最後の段階。

信頼をもってして、他者貢献をすること。これがどうやらこの本の言う幸せ哲学らしい。自己受容⇨他者信頼⇨他者貢献

※他者貢献の価値については、学べたことあったけど、長くなり過ぎたので、割愛または追記する。



まだまだ内容を頭で噛み砕けてない、思ってるよりも実践は難しいと思う。

だって、嫌われる勇気だから(笑)。


<引用>

岸見一郎,古賀史健, 「嫌われる勇気-自己啓発の源流『アドラーの教え』」ダイヤモンド社, 2016年







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