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国境付近に住む人はバイリンガルなのか?

隔離生活Day2.
今回はフランスの南西部にあるペルピニャンという都市に留学していた頃のお話。

ペルピニャンについて

ペルピニャンは日本だと香川県の高松市くらいの規模の地方都市で、国際空港だとお隣スペイン・バルセロナのエル・プラット空港が一番近い。

バルセロナまではバスで2時間・3000円で行けちゃう!

17世紀半ばにフランス領になるまではスペイン領カタルーニャの一都市だった歴史的背景もあり、スペイン色が濃い街である。

ディスコではスペイン語の曲が多く流れ、街の中心部にはキューババーがあり、同じ学校に通っていた日本人友達のホストマザーはベネズエラ人とフランス人のハーフだった。

語学学校にスペインや中南米出身のスペイン語圏の生徒が多かったことも納得できる。

街にはフランス国旗に加えて
サニェーラ(カタルーニャの旗)が掲げられている

そんな街で暮らしていたこともあり、週末には国境を越えてスペインに遊びに行くことがしばしばあった。

BlaBlaCar事件

10月のとある土曜日、メキシコ人のクラスメイトのフリエタと2人でスペインのフィゲラスという街にあるダリ美術館に行くことになった。

その日は交通手段としてBlaBlaCarという相乗りサービスを使った。
車を持っている人が同じ行き先への同乗者を募集し、車を持っていない人が乗せてもらう代わりにお金を払うという仕組みだ。

当日の朝、集合場所の街の広場で待っていると運転手から電話がかかってきた。

フリエタが電話をとるが、数秒して固まった。
そしてこちらを見て言った。
「何言ってるかさっぱり分からん、代わって」

彼女からスマホを受け取り電話に出る。
次の瞬間、耳に入ってきた音を再現するとこうだった。
「ボンジュール。xxxxxxxxxxx」
誇張抜きにこんな感じで、最初のボンジュール以降はマジで何も聞き取れなかった。

ここで折れてもしゃーないので
「もう少しゆっくり話してくれませんか?」と伝えるが、それでも何を言っているかさっぱり分からない。

「ならば…!」と思い「英語は話せますか?」と聞くも、「すまん、話せない」と返答される。
(パリなどの大都市ならともかく、地方の都市だったので英語を話せる人はあまりいなかった)

これで自分が持っている手札が全てなくなってしまった。

「そもそも語学学校の初級者クラスで自己紹介がようやくできるレベルなのに、いきなり電話越しに会話しろって無理な話だよなぁ。。。」
とBlaBlaCarを使う決心をしたことに後悔の念を抱き始め、「今日はダリ美術館いけないのかなぁ」と不安になった。

するとフリエタがこっちを見て「ちょっと貸して」と言った。

スマホを返すと彼女はスペイン語で話し始めそのまま会話を続けた。
そしてついに運転手と合流することができたのだ。

国境付近の言語状況

車の中で運転手に「ここらへんの人はスペイン語も話せるのが普通なの?」と質問した。

彼は「もちろん全員が話せるわけじゃないけれど、話せる人は割といるかな」と答えた。
彼の家系は長い間この地域に住んでいてスペイン語とカタルーニャ語を話せるらしい。

日本人の感覚からすると、英語は話せないのに他の言語を話せることが不思議だと感じた。

生まれ育った場所の地理的要因によって、(もちろん本人の努力はあるだろうが)バイリンガルになれるなんてラッキーじゃん、羨ましいな〜とも思った。

自分は地理や言語に興味があるのでこのような「国境付近の言語状況」というトピックは大変興味深く、調べてみたところいつか事例があって面白いと感じた。

ブラジルとの国境のウルグアイ・リベラ県
ドイツ語圏とフランス語圏の街・フリブール
中国に住む韓国系中国人

自分が日本という島国で生まれ育ったからこそ、「国境」という言葉に対しては、必ず海を越える必要がある「遠い」ものであるイメージを持っていたが、今回の運転手にとっては、それはもっと身近なものだ。

自分の常識が常識ではないことを認識した瞬間であり、世界は広いなと感じた。

おわりに

こういう感じで日々の出来事を通じて色々なことを考えるきっかけを与えてくれたのが留学生活で、刺激溢れる毎日でした。

今回のエピソードのように、スペイン語圏に馴染みの深いペルピニャンという街を留学先に選んだからこそ、フランスに留学したはずなのにフランス語よりも熱心にスペイン語を勉強するようになったんだと自分でも客観的に理解しました笑

最後まで読んでくださりありがとうございました!

もう一度行きたいダリ美術館

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