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【題未定】信仰か、歴史か——寺社仏閣を巡るもう一つの視点【エッセイ】
先日、知人に朝から散歩をしていて寺社仏閣巡りをしていることを話したとき、「信仰心が強いんですね」という反応が返ってきた。その場ではその言葉に対して否定も肯定もしなかったが、その言葉に私自身驚く部分があった。「なるほど、そう考えるのか」という驚きだ。
確かに寺社仏閣巡りをしている多くは高齢者であり、非常に信心深い傾向の人が多いように感じる。あるいは御朱印帳集めに熱心な収集家か、パワースポットに喜ぶ若年層のどちらかであろう。少なくとも私のような中途半端な年代(まさに中年である)では少数派かもしれない。
このことに関して、以前記事でそうした考えについて私自身のスタンスを書いた。
今回はそれをさらに進めた寺社仏閣に対する私の考えをまとめたい。
まず、神や怨霊に関して私がその存在を信じているかというと、いわゆる熱心な宗教者のように「信じている」わけではない。何かの折に神に祈ったり、あるいは祟りを恐れるといったこともない。私の普段の生活において「神」という名の超自然的な現象や存在が意識されることは全くない。
しかしその一方で寺社仏閣における「神」や「仏」、「怨霊」はその存在を意識している。なぜならば、それらは遠い昔に生きた人々の存在そのものや足跡に他ならないからだ。
例えば日本の神話においては素戔嗚尊という神が存在する。伊弉諾尊が黄泉の国から帰り鼻をすすいだ時に生まれたという神話や、八岐大蛇退治で有名な神のことだ。
もちろんこの神話をそのまま読んでも荒唐無稽なおとぎ話にしかならないが、素戔嗚尊は海神であり海辺に住む人々の頭領が代々継承した名前、十三代目市川團十郎のように別の人物が同じ名前を名乗っていた伝承話と見ることもできる。また八岐大蛇伝説などは八つの谷に住む産鉄民を従えた話と見ると、大蛇の尻尾から剣=鉄が手に入ったと考えることもできる。
そもそも、大蛇退治するのに使用した十拳剣が本来は伝説の名剣とされるのが筋である。にもかかわらず、それよりも大蛇から出た草薙剣の方が記紀で活躍するのも不自然な話であり、そこに含みがあると考えるのが自然だろう。
こうした神話や伝説の多くは最初は比喩から始まっている可能性は高い。そしてその当時はその比喩を説明するまでもなく、真意が伝わっていた。ところがそれが時代を経ることで言葉や文字上だけで伝承されていった結果、そうした含まれた本来の意味が見えなくなったのではないだろうか。
この手の構造は種々の物語にも見られる。例えば『伊勢物語』の「芥川」では在原業平と思しき男が恬子内親王をさらって小屋にかくまったが、鬼に一口に食べられるという場面が存在する。これなどは鬼=賤民というのは当時の人間からすれば当たり前の表記だったのではないだろうか。また、あたかも男が一人で何もかもをしているように見えるが、実際にはその場に男の家来の身分の低い人が何人もいたはずで、そこに何も書かれていない=家来がいる、ということを意味しているのも有名な話であろう。
あるいは、ある小説で咥えタバコを投げ捨てるシーンが描かれていたとする。半世紀前には登場人物のクールで媚びない印象を持たせるシーンになっていただろう。しかし現代の人がそのシーンを見るとマナーの悪いごろつきのような印象を受けるはずだ。僅か50年でさえこれほどの変化があるのに、1000年以上前の口伝や文献の意図を言葉通りに読み解くことができないのは自明だろう。
したがって、日本における神話、伝説と歴史といったものは寺社仏閣と密接につながっており、一見すると荒唐無稽なおとぎ話こそがその実、歴史をきちんと伝えているということは十分に考えられるのだ。
したがって、寺社仏閣や神、怨霊はそうした歴史の証人の一つであり、そこに尊崇、畏敬の念を抱くのは科学的な思考として決して間違ったものではないだろうし、それは宗教的な信仰心とはまた異なるものだろう。
私自身は熱心な宗教者ではないし、厚い信仰心も持ち合わせてはいない。しかしそれを持つ人を否定もしない。しかしそうした熱心な宗教者が神話や伝説を曲解し、その中に潜む真実から子供向けのおとぎ話へと無自覚に忘却させた可能性は否定できない。だからこそ、そうした信仰から離れた立場で、歴史を調べ、楽しむ学徒として寺社仏閣に向き合いたいと思っている。