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学校教育へのCBT導入は賛成だが、入試を変えなければ進まない
CBTの導入
文部科学省は2025年度の全国学力学習状況調査の中学理科をCBTで行うという方針で、各地でその対応が現在行われています。
鹿児島県では24年度から学習定着度調査で先行導入を目指しているというネット記事を見かけました。
この取り組みはGIGAスクール構想に絡む内容の一つで、一人一台端末を活用して教育に生かすという目的をもって進められているものです。
こうしたCBTの導入に関しては反対の声が多いのも実情です。特に教育現場での反対の声は根強いようです。
鹿児島市内の30代小学校教諭は「デジタル機器ばかり使うことで児童に影響はないのか」と案じる。40代の中学校教諭は「そもそも毎年、全学校で実施することが、自治体や学校間の競争を生んでいないか。データを取るのが目的なら抽出でもいいのでは」と疑問符を付けた。
教員の中にはデジタルアレルギーの人間が少なくなく、学習効率という観点だけでなく教員側の問題もあるように感じます。
個人的には賛成だが…
私個人の意見としては回収や返却、採点の手間が大幅に軽減するため大きく賛成、と言いたいところなのですが、残念ながら現状の受験事情を考慮すると反対せざるを得ません。
なぜならば現状の大学入試、高校入試はすべてCBTではなく紙ベースの記述方式になっているからです。
中高の学習の目的が受験を突破する、高得点を取るという考えには賛成しかねますが、少なくともそれらを潜り抜けるだけの受験学力を身につけさせることもまた学校に求められていることは事実です。
そしてCBTで高得点を取ることと、紙ベースの試験で高得点を取ることはどうにも勝手が違いすぎるために、学校内の試験をいくらCBTへ変更したとしても受験対策としては意味が無い、効果が薄いということになるのです。(加えてタブレットによる学習効果を紙ベースの試験で測定しても関しても正確な結果が出ないため、学習効果の議論も意味がない)
いや、むしろCBTの対策と紙ベースの記述対策の双方を行う必要が発生し、またそれらを混同しないように注意をする手間を考えれば煩雑さは現状よりもさらに高まるのではないでしょうか。
CBTと紙ベースは競技が異なる
この辺りの感覚が鈍い人がいます。CBTができれば紙ベースもできるだろう、その逆もあるだろう、という考えの人です。(そしてそうした人たちが教育政策を決める立場にいることが多い)
そうした人たちに共通するのは、受験のことを全く知らない層か、さもなくば受験でそれほど苦労をしていない超優秀層に属しているということです。
知らない層は言うまでもありませんが、超優秀層の人たちは片方の対策をすればもう片方もすぐに微調整だけで対策をする必要のない人です。
この層は現行の共通テストでも記述試験の対策と並行することを楽々と行っています。
しかし現実にはマス層の大半はかつてのセンター試験と比べて、癖のある共通テストと記述式の違いに戸惑っており、それは得点にも、受験者の感想などにも表れています。
例えていうならば、CBTはラグビー、記述試験はサッカーといった異なる競技である、と考えると分かりやすいでしょう。
スペックの高い人はある程度の微調整でそれなりのレベルに到達するのに対し、そうでない人たちはその対策を別個に行う必要が出てきます。そして後者のフォローをすることが教育機関には求められます。
現行のカリキュラムでそれをどこまでできるか、難しいとしか言わざるを得ません。
入試から改革を
日本の教育制度は良くも悪くも受験に縛られており、受験という制約の中でしか変更が行えないのが現実です。
だからこそ、大幅な教育改革を行うのであればまずは入試の側、特に大学入試の側から変えなければ何一つ進むことはないでしょう。
仮にCBTを本気で導入したいと文科省か考えているのならば、まず行うべきは共通テストのCBT化と記述試験の廃止or制限による試験の原則CBT化です。
それさえ行えば、芋づる式に高校、中学校、小学校とCBTの普及は放っておいても進むでしょう。
そう考えると、学力調査のCBT導入といったやり方をする文科省の現時点での本気度は疑わしく、あくまでも観測気球の打ち上げなのではないでしょうか。