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学校の統廃合の反対の理由が「歴史」という違和感
小学校の統廃合
学校統廃合に反対をする人たちというのは一定数存在します。福岡県の久留米市では以下のリンクのような問題が発生しているようです。
福岡県久留米市教育委員会は24日、少子化に伴う小学校の児童数減少や施設の老朽化を踏まえ、大橋小(同市大橋町)と荘島小(同市荘島町)について、それぞれ近隣の小学校と「(統合を)最優先で検討していく」と明らかにした。
統廃合に関わる判断とはきわめて妥当でしょう。児童数減少と老朽化を考慮すれば、統廃合は避けられないでしょう。これに対して反発の声があるようです。
反発をする人たち
反発をする人たちの意見を記事より引用します。
教育民生委を傍聴した荘島校区まちづくり委員会の役員は取材に対し「荘島小は歴史があり、青木繁や石橋正二郎などの著名人も輩出している。築年数や児童数減で考えるだけの簡単な議論では納得できない」と話した。
この意見に関して個人的に違和感を抱きました。
確かに歴史のある小学校であるのは間違いないようです。2022年には150周年を迎えたとの報道もあります。
青木繁や石橋正二郎が卒業した学校だということもあり、おそらくは地域の人にとって馴染のある学校なのでしょう。その気持ち自体は否定するつもりはありませんが、このロジックが統廃合の決定に影響を与えるとすれば、それはそれで問題でしょう。
公立学校はあくまでも公的機関に過ぎない
言うまでもないことですが、公立学校は公的な教育機関に過ぎずその設置や統廃合に関しては児童数を前提として決定をされるべきです。学校の運営には多額の税金が投入されています。
したがって歴史があろうとなかろうとそれは無関係であり、あくまでも児童数や採算性、経済的妥当性、児童の通学可能区域などを考慮して考えるべきです。ところがこの反論に上げられているのが「歴史」というのではあまりにも稚拙な論理での反駁でしょう。
そもそも小学校は公立の学校であり、学校ごとに教育力の差があるわけではありません。偉人が卒業した学校だからと言ってその教育システムが優れているわけではないのです。教員も公務員であり、一定期間の勤務後には異動をします。したがって偉人を生んだ学校をそのままにするということに対し、教育効果という点でのメリットはあまりにも不明確です。
学校の価値の定義
さらに、逆に考えれば歴史が理由で学校の価値が定義されるとするならば、歴史が無かったり、偉人を生んでいない学校には価値が無いという考えを肯定することにもなるでしょう。
しかし公立学校の存在意義は全国あまねく教育を行きわたらせることにあり、個別の学校に存在意義があるわけではありません。
仮にその学校に歴史的価値のある物品が存在するのであれば、きちんとした形で保管をするなりすればよいのです。
どうにもこうした学校の統廃合に関しては地域住民の漠然とした不安や卒業生たちのノスタルジーに配慮をしないといけないような論調があるようです。
しかし現実には子供のいない学校には存在意義はなく、少子化の止まらない日本においては学校数減少は避けられないのが事実です。
ノスタルジーやお気持ちによらない議論が進むことに期待したいところです。