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「原因」と「責任」を切り分けられない人々
いじめ問題に関する研究会などでよく出る言葉に
「いじめる側が悪いのであって、いじめられる側は悪くない」
というものがあります。
もちろん、この言葉や考え方は否定する気はさらさらないのですが、この言葉を勘違いしているケースが非常に多いように感じます。
それこそ、生徒や保護者だけでなく、教員やこうした言葉を発した研修講師でさえもです。
いじめる側が100%悪いことに異論はない
いじめはもはや社会問題と化しており、学校の指導だけで矯正することは難しくなりつつあります。
特にSNSなどのオンラインでのいじめが発生するようになった現代においては学校や教員が生徒の行動すべてを観察できるわけがありません。
そもそもスマホなどの情報端末は保護者の監督の下で使うものであり、その使用において受けた損害やトラブルに関しても保護者が責任を持たなければならないのです。
そうして考えれば、いじめは警察介入が必要な嫌がらせ行為や名誉棄損に相当し、やった側が100%悪いのは自明です。
「原因」を考えることは被害者に「責任」を押し付ける行為ではない
こうしていじめが発見された後、多くの場合はいじめた側を罰する、注意を行う、訓戒などの懲戒処分にします。
マスコミがかぎつけた場合は、いじめた側にすべての「原因」があるような報道を行い、公開処刑を行うでしょう。
そして、いじめが発生した原因を考えないまま放置し、いじめをした側が悪い、やられた方には「責任」はないとして結論付けます。
しかし、それは本当にいじめられた被害者にとってプラスになる行動と言えるでしょうか。
例えばいじめられた側が、話し方に癖があったり、他人に対して横柄な物言いをする癖があったりした場合はどうでしょうか。
確かにそれを理由にしていじめる人間をかばったり、擁護したりすることはできません。
しかし、そうした行動の一つ一つは人間関係を構築する上で障害となる可能性があり、をいじめの「原因」となりやすいという行為を学習をする機会を失うことにはならないでしょうか。
「原因」を分析することの重要性
話し方が特徴的である、動作が緩慢である、態度が気に食わない、などなどいじめの原因というのは様々です。
もちろん、そうした理由で誰かに精神的な嫌がらせなどを受けることを正当化することは決してできません。
(理由なきいじめの存在も知っています)
言うまでもなく。間違いなくいじめた側が悪いでしょう。
しかし、そうしたいじめられた「原因」が存在し、それがいじめを誘発する要因であるのならば除去する方が間違いなく効果的です。
にもかかわらず現代のっ学校文化においては、「原因」分析がタブー化されているため、そうした「原因」除去がを行くこと自体が難しくなっています。
その結果、加害者だけでなく、それ以外の人間に対しても被害者を特別扱いをすることを要求することで、さらに次のいじめを誘発する可能性すらあるのです。
「原因」と「責任」の分離
私たち日本人の文化、特に学校文化は「原因」と「責任」の切り分けが非常に苦手としているようです。
いじめ問題にしてもそうですが、教員の労働時間の問題など、多くの問題が相手側への「責任」を訴えるだけに終始するようです。
そうして問題の原因が除去されぬままたらいまわしになり。解決を遅らせているのではないでしょうか。
私たちにも、そうしたセンシティブな感想文で品定めし、従順さを評価軸とする過去を捨て去る時期が来ているのかもしれません。