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悪意無き「受験エリート」の傲慢さと「自分をものさしにしない」重要性

受験指導を行うにおいて、指導者の学歴(大学歴を含む)はプラスに働くことが多いでしょう。

生徒や保護者などへのアピールとしても旧帝大卒や早慶卒の先生、という肩書きは指導者側の学力の保障だけでなく、指導力までも保証するかのように見えるようです。

実際にはそれだけで指導力が決まらないことはこの業界の人間ならばよく知るところですが、全くの相関性がないわけでもないため、どうしても信用のバロメータになりがちではあります。

「受験エリート」の勧める勉強法

ところが、自身が「受験エリート」であった人ほど知らず知らずの内に、成功体験や指導方法などを自分の受験生としての経験則で認識してしまうことがあります。

例えば、習熟にかかる時間や演習回数を自分が受験生であったときの基準に合わせて話をしてしまい、それができていない生徒を「できない」扱いすることなどが典型的なものです。

また、指導内容や利用する参考書などを自分自身の趣味趣向だけで選定し、完璧な自学ルートだ、と他者に勧めて回る、というものがあります。

このツイ主の方はプロフィールに愛知の名門、岡崎高校から一浪で東大理科一類、物理学の博士号を取得、と書かれています。

その後民間での就職後、大学受験指導を行っているようで、正真正銘の「受験エリート」と言えます。

参考書を仕上げるよりも、合格の方が簡単

この参考書は、河合出版「物理教室」も駿台文庫の「新・物理入門」もどちらも受験業界では名著として知られています。

そこからさらに「道標」となると、東大の標準的な出題内容を大きく超えるものになるでしょう。

これらの書籍は、学校では習わない微積分を用いた解説や解法にも触れているため、物理を専門に学習したい受験生のバイブルと言う人もいます。

しかし、それは東大、京大の理学部物理への進学を考えているような特殊な層に関しての話です。

多くの受験生はこのレベルの参考書を使いこなせるようになる前に受験が終わってしまいます。

ツイート内の「東大物理満点獲得の基礎土台」という表現がありますが、これは東大を合格するのは前提の上で、というレベルです、

普通の高校生、仮に難関大学志望者であっても、物理がこのレベルに到達するよりも、志望大学に合格をする方がよほど簡単でしょう。

東大志望、しかも合格可能性の高い生徒がこの方の示すやり方で学習することは非常に効果が高いかもしれませんが、決して万人(実際には難関大学志望者の大半)に勧められるものとは言えないのです。

悪意無き傲慢さ

このように、自身が学問的に優れていたり、興味が人並外れている指導者ほどこうした「悪意無き傲慢さ」を生徒に(結果的に)押し付けてしまう傾向があるようです。

帰国子女の英語教員や、元国体選手の体育教員などにもこうした例は見られます。

彼らの学習方法は、非常に限定された能力と環境において高い成果を発揮したという点においては間違いありません。能力や環境が近しいものを持つ生徒であれば、それをトレースして高い効果を得ることも可能でしょう。

しかし、多くの生徒はそれほどの能力を持たず、同等の環境下でないことがほとんどです。

ところが、指導者の経験則とその実績から、指導者、生徒の双方が疑いを持たずに学習を進めて、全く効果を得られずに袋小路に迷い込むケースは少なくありません。

指導者には「自分をものさしにしない」ことが求められる

これは、指導者側の資質が低ければよい、という逆説的な主張をしたいわけではありません。

公立中学校の英語教員の英検取得率が問題になったことがありました。

当然ながら、指導者としてその教科を教える以上、専門知識や学力は不可欠です。

アクティブラーニングやオンライン学習が普及し、教員がファシリテーターとして機能するようになったとしても要求される専門性は下がるどころか、高まるでしょう。

指導者には、高い学力(過去の学位や大学歴ではなく、日々の研鑽による成果)が当然求められます。

しかし、それと同様に「自分をものさしにしない」ということが求められるように感じます。

生徒に期待する学習速度や難度はややもすれば自分かそれ以上を想定していまいがちだからです。

だからこそ、常に「自分をものさしにしない」という意識を持ち、問い直すことを習慣づける必要があるのかもしれません。

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