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盗撮事件で性教育充実を訴える人達への違和感
盗撮事件を受けて性教育の充実を訴える学生
東京都武蔵野市の小学校で児童による盗撮問題が起きた事件に関しての記憶はまだ新しい人も多いことでしょう。
この事件に関して様々な人が意見を持ち、また表明しているようです。
今回取り上げるのもそうしたものの一つです。
武蔵野市内の大学生たちが同様の事件を未然に防ぐために性教育の充実を求める陳述書を市議会に提出したそうです。
情報モラルの問題ではないが…
この事件に関しては以前、私も記事として一度取り扱っています。
このときはタブレットによる盗撮事件であったことから、情報モラル教育の充実を訴える人達(武蔵野市教育委員会など)の意見に関して思うところを書きました。
情報モラルというのはSNSに個人情報を無配慮に拡散するなどの行為をさすものです。
盗撮は立派な刑法犯であるから情報モラルとの因果性は低いということや、性的な衝動を抑ええられていないことが問題であるということを書きました。
ではこうした問題はこの学生たちが提言したように、学校における性教育で解決するのでしょうか。
盗撮は犯罪であり、家庭教育が第一義にある
正直なところ、盗撮行為を犯罪であると認識できていない小学校高学年生に学校における性教育がどこまで効果があるか、私には疑問です。
盗撮をした子供がそれを犯罪である、相手を傷つけ権利を侵害する行為であると認識していない可能性はかなり低いと思います。
自身の経験でも、小学生の時に同級生の着替えや入浴を覗く人がいたように記憶していますが、彼らの多くは犯罪であることが分かった上でその行為を行っていました。
しかしながら、彼らは私と同様に学校で道徳の授業を受けていました。
つまり学校における道徳や規範教育ではなく、問題は別のところにあると考えるのが自然でしょう。そしてその可能性の最も高いのは家庭内における教育となるわけです。
犯罪行為に関する意識は家庭教育がまず前提となる必要があり、学齢に達した小学生に対する学校での道徳教育はあくまでも補完的な意味合いしかありません。
盗みや暴力を悪いと感じていない生徒をどうして教員の教育だけで悔い改めさせることができるでしょうか。
それができるならばまさに「聖職」でしょう。
「性教育の充実」は重要だが
私の個人的な感覚としても、性教育をよりオープンにする必要性は感じています。
したがって「盗撮防止」という観点ではなく、学校における性教育自体に関してはテコ入れが必要なのは間違いないでしょう。
特にネット社会においては不正確な性の情報が溢れており、その情報に触れる機会がかつてよりも格段に多い現代の子供たちへはこれまでと異なるアプローチが必要なのも事実です。
しかしそれは別の文脈で議論すべき内容であり、情報モラルを、性教育を、という指摘がこうした事件の防止策として機能するかは全く異なる問題だと思います。
今回の盗撮事件は明らかな「犯罪行為」です。
それをこれまでは学校が子供をかばい、なあなあにしてきました。保護者の家庭教育がある程度機能している時代、そしてコンプライアンスが緩い時代においては教育の美名の下にそれが許容されてきました。
しかしそうした状況は一変し、家庭の教育力は低下し自然発生的なモラルと道徳で学校内の治安を維持できる時代は終わりました。
もちろん家庭におけるモラルや道徳教育への喚起は必要ですし、行政からの働きかけも求められるでしょう。しかしそれでは現実の問題には対処できません。
だからこそ、警察や司法と協力し、粛々と処罰を行う方向性とそれを周知することが未然の防止策のただ一つの解だと私は思うのです。