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「高校に予備校講師を招く」という無駄をさらに増やすお仕事

都立高校では次年度から予備校講師を校内に招いて受験対策授業を行う、ということ報道されていました。

記事によると「当面の対象は都が指定する15校で、数学と英語の2教科について1回90分の授業を土日や放課後、夏休みなどの長期休暇中に実施する」とのことです。

受験対策で予備校を利用すること自体は大いに賛成

受験対策で予備校を利用する生徒は、現役生であっても決して少なくありません。

特に私の住む九州の片田舎ならともかく、東京ではターミナル駅の周辺には予備校が林立しているため、地方と比較すると現状でも高い利用率であると考えられます。

そもそも、受験対策に関しては学校の教員よりも予備校の講師の方がノウハウを蓄積しやすいという職業特性があります。

これは公立学校の場合は校種や実業系などの異動を行うため、特定のスキルを伸ばしにくいこと、また学校の勉強やカリキュラムは受験勉強と完全にリンクしていないことがその理由です。

近年の新傾向の問題ではそうした状況がさらに強まっており、共通テストと記述試験型、推薦・総合型選抜の面接や小論文、プレゼンなど身につける必要のある力が多様化しており、特定の指導者だけでは手に余るほど指導が高度化しています。

導入は「教師の指導力欠如」の問題ではない

こうした文脈において、すぐに「教師の指導力欠如」という表現をする訳知り顔の人もいます。

これはそんな単純な話ではなく、すべての教員、予備校講師が良い、悪いという二元論で語る問題ではないのです。

学校教員と予備校講師には求められる資質や能力がそれぞれ異なっており、その中に隣接領域や重なる部分があります。

今回の導入はそうした部分の切り分けを行い、生徒にとっては受験環境を整え、教員にとっては授業を充実させる時間を捻出しようという試みなのです。

大きな落とし穴の存在

ところが、今回の試みには大きな落とし穴が存在します。

それは「学校内に招く」ということです。

例えば土曜日や夏休みなどの長期休暇のときに授業をしてもらう場合、その間に教員が施錠や出席確認の責任を負うことになります。

確かに授業をしなくてよいという意味では負担は減りますが、実際にはその時間に張り付きとなってしまいます。

また、土曜日は休日であるにも関わらず出勤をしなければならないケースも出てくるでしょう。残業手当は出ないにも関わらず、です。

場合によっては教室の整備なども求められますし、資料などの印刷準備までをお願いされるケースもあるでしょう。

結局のところ、学校を会場として実施をする以上は教員側の負担は決して無くなりはしないのです。

また、生徒側からしても便利であるということは、緊張感に欠けるというデメリットが存在します。

塾や予備校に行くメリットの一つは環境を変えることにあり、そうした点では切り替えをする機会が失われることになるでしょう。

予備校の受講チケットや割引講座の受講制度ではだめなのか

こうした欠点を考えれば、わざわざ学校に招く必要性は低いのではないでしょうか。

学校に招くのではなく、実施は予備校の校舎で行い、受講チケットを配布したり、当該校の生徒のみの割引講座を設定するほうがよっぽど効果は高いように思います。

また、予備校側からしてもホームで授業が行えるうえに、入塾のきっかけになりやすくなり一挙両得ではないでしょうか。

昨年度まで進学アシスト校のモデルケースとして予備校講師の授業が実施されていた都立松原高校を見ると、世田谷区に立地し、わざわざ学校に招く必要性は低いように見えます。

大都市圏以外の学校や、東京でも西多摩地区や離島などであれば状況も理解できますが、はたして都内の利便性の良い地域で学校に招くことが効率的がどうか正直疑問です。

学校から生徒を解放できない人たち

学校という施設を利用するのならば、施設を設置していない業者や専門家を招く場合においては妥当性があります。

その場所を確保するだけでも金銭的負担が発生するからです。

また、予備校業界がキャパオーバーで教室を確保できない場合も同様です。

しかし、現実には教室を閉鎖する予備校も多く、箱が不足しているとは到底思えません。

こうした無理やり学校を利用する制度の根本には、学校から生徒を解放しない、できない従来型の教育業界の風土が原因なのではないでしょうか。

そうした潜在的な教員の意識が、働き方改革も、効率の良い学習も阻んでいるように思えてならないのです。

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