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【題未定】「男女平等」の果てに──都立中高一貫の男女比崩壊は何をもたらすのか【エッセイ】

 都立中高一貫校の合格発表が話題になっている。正式なプレスはまだのようだが、学習塾の調査によると女子の割合が7割近くになっているということだ。

 これは今年からの現象で、その原因は明らかだ。今年度の入試から男女別定員制を廃止したためだ。これまでは男女で別枠で合格ラインを設定していたが、これを一律にしたため、従来高かった女子の合格ライン下の生徒が合格したということだ。この結果を受けてSNS(主にXだが)では、一部の熱狂的ミサンドリストは狂喜しているようだ。いわく、男女の能力差が証明されたのだという。

 まずもって確認すべきは、この結果をもって男女の能力差の証明にはならないということだ。そもそもこの試験は公立中高一貫の「適性検査」であり、難関中学校の入試とは全く異なる性質の試験である。難問はない代わりに複数教科の横断的な思考と、作文などの能力が問われることになる。これらの問題の多くは発達段階の早い女子の方が有利であることは間違いなく(個人差はあれども)、男子の点数が低く出やすい傾向にある。また一般に首都圏の公立中高一貫の志願者は女子が多い傾向があるともいわれているため、今回の結果は受験関係者からすれば想定内ではあったともいえるだろう。

 この男女別定員撤廃を大学入試の女子枠批判へのカウンターと捉える人は決して少なくない。特に先に上げたミサンドリストたちにはその傾向がみられる。ところが今回の男女別定員撤廃は大学の女子枠とは全く異なる問題を抱えていることを理解する必要がある。大学女子枠は歴史的経緯からのアファーマティブアクションであり、高等教育機関に男女比を規定する必要はないという前提の制度である。一方、中等教育機関における男女比は実際の社会構成比と近づけることそのものに教育的意義が存在することを忘れてはならないだろう。

 そもそも公立中高一貫校は成績上位者を選別し、大学受験に特化させるような目的で設立されたわけではない。あくまでも高校教育との接続性や多様な経験を積みやすくするために設計された制度である。そしてその考えの中には中等教育における異性との関係性の構築なども含まれているのだ。そしてそのために従来は男女別定員を設け、意図的に男女比を調整して教育環境を構築してきた。ところが都教育委員会は一部の人権派や左翼的なポピュリズムに屈してこの比率を崩した。果たして今後、都立中高一貫が従来設計目的通りの教育活動が行えるかどうか、はなはだ疑問である。

 ここで勘違いをしてほしくないのは、私は男女の能力差を議論するつもりはないし、別学を否定、批判しているわけでもないということである。

 男女の能力に関して性差が存在するのは厳然たる事実だ。それは優劣ではなく、適性という意味で全体傾向としては確実に存在する。例えば数的処理の能力や興味関心などは顕著である。これはOECD加盟国を対象にしたPISAの調査でも世界的に見られる傾向である。

 昨今はこれらをアンコンシャスバイアスであると切って捨てる論者も少なくないが、そもそも人類の繁殖や社会構成自体、性別とは切り離せない以上、それを本来は存在しないとすること自体無意味だ。それは地球上における物質のふるまいを考えているのにそれを真空中での議論にすり替えるに等しい行為だろう。

 また性差を前提に考えると、男女別学という特殊な環境を学びの場にあえて設定することにも意味が存在する。異性を意識せずに学習に取り組めたり、カリキュラムを性差に合わせてカスタマイズされた環境は決して否定されるべきものではないだろう。

 今回のこの都立中高一貫の男女定数撤廃における問題点は平等や公平という概念とは別に議論がなされるべきである。公立の中等教育機関であり、男女共学を前提とした場所において極端な男女比が発生し、従来設計していた教育システムが機能しなくなるということこそが問題の本質なのではないだろうか。表面的な平等論やミソジニー、ミサンドリーに惑わされるべきではないのだ。

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