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「女子の制服はスラックス選択可能」という非対称性

近年、多様性をの尊重意識が高まるのに伴って学校の校則や制服のあり方もまた変化しつつあります。

埼玉県の公立高校では、女子はスラックス選択が可能になるというニュースが報道されていました。

こうした動き自体には反対する余地は当然ながらありません。

しかし、同時に違和感を抱く部分も存在します。

「女子のみ」という非対称性

記事を引用します。

県教育委員会は、去年7月、県内の県立高校に対し、女子生徒の制服についてスカートか女子用のスラックスか、自分で選べるようにするよう通知を出しました。
(中略)
埼玉県教育委員会人権教育課の塩崎豊課長は、「社会情勢や生徒のニーズを踏まえ、スカートしか選択肢がない状況を解消するよう努めてきた。引き続き、性自認に悩む生徒が安心して学校生活を送れるよう取り組みを進めたい」と話していました。

NHKニュース

このニュースを見ると、まるで性自認に関わる制服問題は解決した、と言わんばかりの印象を受けます。

しかし、この記事をいくら読んでもわかるのは『「女子」が「従来男子が着用していた」制服である「スラックス」を着用できるようになった』ということだけなのです。

ここでは「一言」も男子の性自認に関する言葉が触れられていないということです。

『「男子」で「従来女子が着用していた」制服である「スカート」を着用すること』に関しては、議論の有無や賛否とその理由などを含めてまったく触れられていない、ということです。

そして、こうした状況こそがこうした性自認に関わる問題の最も大きな課題のように感じるのです。

表面上を取り繕って、問題の風化を狙う思考が透ける

こうした非対称な扱いに関しては、決定権のある人間が問題意識や当事者意識などが欠如しているためにこのようなことが起こるのではないでしょうか。

このプレス発表をした側、今回の場合は埼玉県教育委員会、は本気で性自認の問題に取り組む心構えがあるのならば、男子の制服を放置するわけにはいかないはずです。

男女全ての制服を統一するか、あるいは誰でもどちらも選択可能とするのか、そうした話や展望が多少なりともあるべきです。

仮に男子のスカート着用に関しては同意が得られなかったというのならば、その経緯を説明すべきでしょう。

また、この記事を書いた記者もそうしたことに関して突っ込んだ質問をすべきです。

回答が得られなかったのならばその旨を記事に書いて読者に問題提起をすべきであり、まさに社会の公器とは名ばかりの体たらくです。

この記事からは「ニッチな言い分に場当たり的な対応をして理解者ぶっている」という印象しか受けず、性自認に対する問題意識や本気や、改革をする意欲や意気が見えてきません。

制服不要論に行きつく

そもそもこの問題の根底にあるのは、男女や性自認だけでなく、公立学校が強制的に同じ服を着せて管理するという多様性やダイバーシティとは真逆の思想や方法論の存在です。

私は制服自体は希望する人が着るという分に関しては全く反対ではありませんし、制服を売りにして生徒募集をすることもまた「あり」だと考えています。

ただ、多様性を認めると言いつつ、その一方で制服を強制し、しかも男子には依然として変わらないスラックスのみ、そして髪型なども女子と異なる基準で指導を行うというのは筋違いだと感じます。

仮に、教育委員会の中でも賛否が分かれ、男子のスカート導入は時期尚早という判断のために、便宜上は「防寒対策」としてスラックスを認めるという発表であったのならば理解もできるのです。

とはいえ、こうした変更自体を評価すべきという考え方もあるため、一概に悪いとばかりは言えないでしょう。

ただ、少なくとも記事の中で男子のことに触れることは、最低レベルのリテラシーではないのでしょうか。

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